野口のタネ・野口種苗研究所代表 野口勲さん
伝統野菜消滅の危機を感じ、
著書に 「 いのちの種を未来に 」 「 タネが危ない」
家業を継ぐ前には、漫画家・手塚治虫氏の 「 火の鳥 」
誰も種を採らなくなった。
いま、うちで販売しているタネも、どんどん種類が減ってきています。
日本の菜っ葉は交雑しやすいので、すべてのタネを一カ所で、自家採種する
ことは難しい。
例えばうちはカブのタネを採ってるんですが、カブをやると菜っ葉のタネは取
れないんです。
みんな交雑しておかしくなっちゃうから。
菜っ葉の下がカブになってしまったり、カブの葉っぱが小松菜になっちゃったり
白菜になっちゃったりするから。
だからカブ以外のタネは他所から買うしかないんです。
だからどんどん減ってるんです。
タネを採る人がいなくなったから、タネもなくなってきているんです。
タネは採るものじゃなくて買うものだという時代になってしまったから。
いまタネ採りの仕方を知っている農家は、80~90歳くらいの人だけ。
その下の世代の50~60代の人たちはタネを採るなんて面倒くさい、それよりも
買った方が安いし、楽だし、お金になる野菜ができると考えています。
タネを採るためには 9月にタネをまいて、12月にだいたい野菜ができる。
その中からいいものを選んで、もう一度植えて、そして 3〜4月に花が咲いて、
そのタネを採れるのが7月になる。
一枚の畑をそれだけの期間、占領してしまうんです。
でも今の農業は同じ畑をいかに回転させて効率よくお金にするか、という農業
だから、半年以上ムダなことに畑を使うなんて、もったいないという考えなんで
すね。
だから僕の話を聞いたり、本を読んだ人から 「 種採りをしたいんですけど、どう
すればよいですか? 採るのは難しいですよね?」 とよく訊かれるんですが、
難しいことなんてないんです。
植物は人間に食べられるためじゃなくて、自分の子孫を残すために生きてるん
だから、ほっとけばみんなタネになるんです。
昔は世界中の何億人という農民がみんなやってきたことなんです。
それが昭和 30年代後半くらいからF1のタネができて、形のいい揃いのいい市
場で売れやすい野菜ができるというので、農家がみんなよろこんで買って、その
あとタネを自分で採ってみた。
すると先祖帰りしてしまって、次の代では原種に近い物に戻ってしまい、売り物
にできない、ということがわかった。
そこからタネはもう採るもんじゃない、買うもんだ、ということになってしまった。
昭和 50年代くらいからタネ採りをする農家はなくなってしまいました。
大手の種苗会社はF1か、雄性不稔か、自家不和合性かなんて言う必要がない
から自分からは言わない。
雄性不稔か自家不和合性かなんて訊いても絶対に教えてくれない。
JAで売られているのもほとんどF1で、しかも古いタネです。
そして、いまのF1のタネはほとんど海外採種になってしまいました。
海外から入るF1のタネと国内で採る固定種のタネの値はそんなに変わらない。
海外の方が安く入る場合もあります。
昔は海外の種採りメーカーも、1エーカー作らせてくれたら何でも採りますよ、
ぜひ依頼してくださいと言ってたのが、いまでは5エーカー作らせてくれないと
採ってやらないぞ、ということになってきて、5エーカーというと2町歩、2ヘクタ
ールのタネというと何 トンもの量になる。
それが海外でできると、アメリカやイタリアなどの北半球では、日本と同じよう
に7月ころにタネが実って、それが船に乗って日本の神戸か横浜について、港
の植物検疫所で、菌や虫の卵が付いていないか検査されて、そのあと日本の、
種苗会社に入ってくるわけです。
昔の種苗法という法律では、採取年月を表示する義務があったんですが、
海外採種のタネが日本に入ってくる頃には蒔き時期を過ぎるので、古いタネ
を次のシーズンに売ることになってしまう。
そこで農水省と大手種苗会社で相談をして、最終発芽試験から1年間有効と
いう表示に法律を変えてしまった。
そのために、何トンというタネが、採取から半年後に日本に入ってきて、農水
省が何億もの補助金を出して作った種子貯蔵庫に保管する。
その中に入っている限り発芽率は落ちないという前提で、温度は15℃以下で
湿度が30%以下、タネの保存に最適な環境を作り出す。
タネは呼吸しているから、梅雨時から真夏にかけて呼吸作用が増えて体力を
消耗して、夏を過ぎるころにはガクンと発芽率が落ちてしまう。
ところが、湿度温度が一定のところで保管すると発芽率はそんなに落ちない、
5年経っても10年経っても。
農水書の決めた標準発芽率をクリアしている限り、いつでも新しいタネとして
売ることできるんです。
( つづく )