大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

東北四大祭・青森ねぶた祭り

2017年08月08日 | 伝統芸能
8月5日。

昨夜は真夜中の到着で、床に就いたのは1時を過ぎていましたので朝までグッスリ。
朝食を美味しく頂き、旅館の出発は9時。

東北自動車道で北上して秋田県鹿角市まで移動。
昼食後、発荷峠展望台から十和田湖の全景を望み、和井内貞行がヒメマスの養殖を成功させた十和田湖では高村光太郎作の乙女の像を見学。

その後、奥入瀬渓流にて渓流沿いを散策して豊かな水と緑のもと森林浴を満喫。
八甲田山麓から城ヶ倉大橋を車中から見学して青森市内へ。
早めの夕食後、青森ねぶた祭会場観覧席へ。

青森ねぶた祭
国重要無形民俗文化財。日程は毎年8月2日から7日。
(下記写真が本年のねぶた大賞「紅葉狩」です)

七夕の灯籠流しの変形であろうと言われていますが、起源は定かでありません。
青森におけるねぶたの記録では、享保年間の頃に油川町付近で弘前のねぷた祭を真似て灯籠を持ち歩き踊った記録があり、明治時代以降人形をかたどった灯籠(ねぶた)が主流となり大型化していきました。
昭和の初め頃までは担ぎねぶたが主流でしたが、現在のように大型化したのは戦後に入ってからです。

ねぶたとは、農作業の妨げをする眠気を送り出す習俗「ねむりながし」の「眠り」が「ねぶた」に訛ったといわれます。
方言で「眠たい」=「ねぶたい」と言います。

ねぶた師は祭りが終わると次の日から来年の構想を考え始めます。その年の終わりには具体案ができ、制作の依頼側と話がつき次第、顔や手足の制作が始まります。
ねぶたの制作日数は約3ヶ月かかり、ねぶた小屋内での制作は5月半ばからとなりますが、細かい部分はその前から手がけます。小屋に入ると急ピッチで作業が進み、追い込み時には徹夜の連続で祭りの数日前ギリギリでようやく完成します。

大きさは、高さ約2mの台車も含めて、幅9m・奥行き7m・高さ5mの制限があります。重さは台車も含めて4トンもあります。
ねぶたの骨組みは、昔は竹でしたが今は針金に和紙を貼っています。新聞紙片面の大きさの和紙(奉書紙)を約2500枚使用します。
費用は約2千万円要します。

跳人(はねと)と呼ばれる踊り手は、体中に派手な飾りや鈴を多く着けて跳ねまわり祭りを大いに盛り上げます。
1台のねぶたに500~1000人くらい、多いときには2000人が跳ねています。
期間を通して約9万人ものハネトが参加しています。
(写真下左・跳人の頭飾り、写真下右・お土産品の金魚ねぶた)

ねぶたの運行コースは、新町通りを右折し平和公園通りから国道7号へ各右折し進みます。
国道7号の私達の観覧席の前にも最後尾のねぶたが待機しており、19時10分運行開始です。
しばらく待っていますと、ねぶたの先頭が到着。

思っていたよりも遥かに大きく、囃子方の大太鼓・笛・手振り鉦の音色にのって、ねぶたが上下に揺れ回転する様は大迫力です。
そのねぶたが次から次へ目の前を通り過ぎて行き、時間の経つのを忘れます。
約90分の見学を終え、本日の宿青森の星野リゾート青森屋へバス移動。
到着したのは23時。温泉にゆっくり浸かってグッスリ。




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