あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

いやらしい女の新たなる試み

2017-11-14 23:28:07 | 日記
俺はとにかく、何時もいやらしい事ばっかり考えている。
どういった、いやらしい事かと申しますと、例えばこういったものである。
俺は今、っつってもこないだから、英会話の個人レッスンというものを、人生で初めて受け始めたのである(中学も不登校だった為、英語の学がまったくないので、初期の文法から教わっている)が、その美しいにも程があるだろうと呆れるほどの目が5歳児みたいに純真なアメリカ人男性の、大学院生の若い先生に向かって、こんなことを言ったら、先生はどないな反応を示すのであろうか。ということを。

「先生、ちょっとええですか」
「はい。なんですか?」
「あのね、はは、いや、そこまで知りたいってことでもないんですけどお、まあ気になってるっていうかあ、ちょっと日本語から英語に訳してもらいたい言葉があるんですけどお」
「はい、いいですよ、どういうのですか?」
「あのね、日本で言う、”いやらしい女”って、英語でなんて訳すんでしょうか?」

と、ここで、先生はその瞬間、どういった表情に崩し、どういった言葉を最初に発声するであるか?
こういうことを俺はいつも、いつも、いつでも、妄想しているといった具合であり、その為に、いつでもその自分の厭らしさに辟易して、死にたい気分であるのであるから、そういった、変態的で、気色の悪いことこの上ない36歳の独身女おまけに引き篭もり歴は9年以上、そんな人間とも、これから月に一度か二度、個人レッスン小さなテーブルを挟んだ向かい岸に見詰め合い、続けて湯かん蹴ればならぬのかあっ、くわわわわわわああああああああっという先生の因果、これ、深いよねっつってえ、他人事みたいにい、俺ゆってるう、っひっひっひっひっひ。

すごいと想うね、いや、俺なら、どんな人間が現れるか知らない個人レッスンとか、どんな知識豊富でもやりたくはない。
例えば、これは差別的に想われて傷つく人もあるかもしれないが、一俗人間として、身体にものすごい障害の在る人が現れたら、どういう顔で面と向かえばいいかって俺は考えてしまうんですよ。
あとは若いのに、天辺まで禿げ上がった男性が現れても、どこに目を当てれば良いかと視線が踊るのではないか、とか、相撲取りの如くに、っふうっふうっふうーっと汗を噴出しながらしゃべる巨漢の人が現れても、やっぱりどういう顔をしたらいいのか、英語を教えながらも、この人は何故ここまで禿げ上げているのか?はたまた何故ここまで太らざるを得なかったか?どういった理由で、身体に障害を負ったか?とそういうことばっかり気になって、個人レッスンなど、行なえたものではないのではないか。
そういった、本当に情けなく悲しい、人間の愚かなる心情に翻弄され、時に、誰かと笑い合いながら死ぬ迄生きる運命なのは、明白な事情とこれ、言えるのであろうぞ。

わたしは日本語のその知識で先生を、先生と尊敬するのではなくて、先生のその誰とでも個人レッスンを行なおうという勇気と大らかさと慈悲深さに、わたしは歳のずいぶん下の先生に向かって、やさぐれた酒呑みの笑顔で、「先生」と何度も、何度も呼びかけるのであった。(先生の苦悩も知らず)



















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