あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Undeads 前編

2018-01-24 05:57:50 | 物語(小説)
人が何故死ぬか。それは人が、この世に全(まった)き存在と成り果てたときに、結句死ぬのではないか。
わたしはそういった考えに至り、この度、誠に、死ぬことを決意した。
これを本気で止める人間は、数人かそこらはいるだろうが、どうか逝かせて欲しい。
わたしはこの世に、未練は最早、微塵もありはしない。
つまりわたしの価値とは、既にこの世になく、向こうにある。
これはもうどう考えても、間違いは無い。
もう一度しつこいが言うけれども、わたしはこの世に一切の未練を喪ったので本気で死ぬことにした。
確かに”向こう”の世界が実際在るのかどうか、というのはこれ知りようが無い話だ。
だから直裁に言うと、わたしは”本当の絶望”なるものに至った為、今、樹海にいる。
樹海からアンドロイドで、今これを打っている。
樹でできた海とはよく言ったもので、ここは正しく樹の海の底のように、静かである。
鳥はずっと鳴いていて、樹はずっとざわめいているが、ここには人間たちが作りだすことも叶わない静けさというものがある。
彼らはわたしがここで何をしようと、決して責めるようなことはしない。
わたしの死に場所を、ここに選んだことはきっと神の想(おぼ)し召しであるだろう。
しかし先程から沸き起こるこの胸のざわめきは何か。
それは想いださなくとも良いだろうことを想いだしてしまったからだ。
樹海という場所には、決まって自殺企図者が度々訪れる為、自殺企図者を狙った快楽殺人者がよく待ち伏せているという。
わたしはもう少し奥で死のうと考えていたのだが、どうにか殺される前には死にたかったので、もうここらでええかな、と想った。
早朝に麓(ふもと)に着いてからずっと歩いてきたし、十分深奥(しんおう)だろう。
深奥で死んおう(死のう)と言った人は自分だけだろうか。
今から死ぬ、というときに、変なテンションになる人は多いのかもしれない。
取り敢えず、向こうから快楽殺人者風の人間が歩いてきたらば、わたしは想いきり奇声をあげようと想う。
一百百百百百(いっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ)ひゃっひゃっひゃっひゃあああああああっっっと叫びながら尋常ではない動きで相手に向かって、四つん這いになって走り寄っていくのである。
するともしかしたら、逆に恐れて逃げてくれるかもしれない。
しかし相手がもし自殺企図者だったらば、非常に罪深い話なので、わたしは早くに死ななければならないという焦りに囚われた。
わたしは鞄の中からロープを手に取り、ちょうど良い按排(あんばい)な樹を見つけるとひゅいっと樹の枝にロープを投げて引っ掛けた。
ロープに錘(おもり)を付けていた為、一度で成功した。
これで輪っかを作り、輪っかに頭を入れて樹を登る。
あとは登ったらロープの長さを調節して樹に括りつけ、樹から想いきりジャンプするだけで多分首の骨を折って即死か窒息死かで死ねるはずである。
簡単なものだ、自らを、絞首刑に処してやるのだ。
この世界に想い残すことなど、なんにもないのだから。
早く死んでしまおう。わたしはこの世界に、必要な存在ではない。
わたしは手にしたロープを少しのあいだ見詰めると、それを頭の入る大きさに輪を作った。
そしてその輪に首を入れ、樹をふうふう言いながら猿みたいに登った。
そして高い位置にあったロープを引っ掛けている枝のところまで来た。
こんなちょっと登っただけで、随分遠くのほうまで見渡せるものだ。
といっても樹が何本と生えているばかりで特に珍しい何かがあるわけでもない。
と、そう想ったそのとき、わたしは少し向こうのほうの樹と樹の間の土の上に見える変なものを見つけてしまったのであった。
あれはどう見ても、人のように見える。
人のような何かが、地面に仰向けになって寝ているように見える。
もしやあれは、自殺者ではないか。
わたしは自分の逝く末が、あれであるのだと想うと、それはどういうものであるのかということを見ておかなければならないという激しく苦しい強迫観念に瞬時囚われ、気が進まないものの、のそのそと輪から首を外して樹を下りた。
一体どんな状態であるのだろう、もし、酔っ払ってただ寝ているおっさんとかならどついたろうと想った。
でもこんな山奥まで来て寝ているのは明らかに不自然である。
酔い潰れて寝ていたとしても何か深い事情があるのは確かだろう。
寝ている人間の側まで来て、恐るおそる、その顔を覗いてみた。
わたしはその顔を見たとき、畏れと感動と昂奮(こうふん)がわたしの胸奥(きょうおう)を凄烈に震わせた。
これはどうして、なんという美しさであるのか。
見たところ、西洋系の若い20代後半か30代前半くらいの男であった。この顔は日本人ではない。
これほどまでに美しい人間はわたしは見たことが無い。
いやこれは既にとっくに死んでいるから人間ではないのだろうか?
これは明らかに死体であり、生きた人間では決して無いだろう。
その証拠に、この変に蒼白な肌は生きた人間の肌色とは言い難い。
さらに、わたしはその軀に触れて確かめた。
完全に死後硬直していてひんやりとした冷たい肌とその感触は生きた人間のものではなかった。
この男は、確かに死んでいる。
瞼も脣(くち)も静かに閉じて、眠っているかのように死んでいる。
この美しい男は惜しくもこれから腐乱してゆこうとしている。
何故この男はこんな処で独りで死なねばならなかったのだろう。
誰にも見つけられずに、ここで独り、白骨化してゆくのだろうか。
なんと寂しく、哀しい死に様(よう)であろうか。
わたしはこの男が、これまでどのような人生を歩んできて、自殺を実行するほどの絶望へと至ったのか、想像を廻(めぐ)らしてみた。
この男は一流会社に勤め、一流エリートとして活躍するまではそこそこ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生を送ってきた。
子供の頃は気弱で本(特に神話や幻想小説系)ばかりを読んで空想にいつも浸っているような少年時代を過ごしたが知識を増やしてゆくと共に自分の魅力にようやく気付き始め、自分の魅力をみんなにわかってもらいたいという強い欲求を抱くようになって行った。
だがインテリゲンチアには甘い(うまい)話が付き物で、一番危ないのは、わたしは貴方の知識を信じている。という人間で、この男は世の実力者たちに益々(ますます)評価されたい一心でまんまと煽てられ、良かったら君の力を貸してはくれないか。君の力が是非とも必要なんだ。と言われて甘い話に乗っかった。
純真なこの男が求めているのはマネーではなく、自分が尊敬し続ける人間からの更なる評価と称賛であった。
この男は、可也(かなり)のナルシストであっただろう。
自分のすべてを信じていた。自分の行なうすべてのことが、必ず著大な評価をされるべきだという己惚れを自恃のままに信じて疑わなかった。
男はその為に純粋であると同時に愚かで、高慢であったので、男を嫌いながら妬む人間たちはある極秘の派閥を生んだ。
実力者たちが用意した甘い話とは、実は男をどん底まで突き落とすための大掛かりな謀略(ぼうりゃく)であった。
具体的にどういうことがあったのか、というところまでは想像しづらいのであるが、まあそんなところではないだろうか。
いや、でももっと、もっと哀しい話があったのかもしれない。
例えばどういう話だろうか。
わたしは穏かな顔で死んでいる男の死体を眺め渡し、またもや想像してみようと想ったのだが、ふと、”或る”異変に気付いた。
それは男の下腹部が、異様に膨らんでいるのである。
丁度、大事な処に当たる部分であるのだが、何故そんなに膨らんでいるのか、奇妙な話である。
わたしはその部分がどうしても気が気でならず、男に向かって手を合わして心の中で「許してください」とお祈りをしてから履いていた黒いスーツのトラウザーのボタンを外しファスナーを下ろすとその下のボクサーブリーフも下ろした。下ろす際に、何かがしつこく引っ掛かった。
わたしは、目のまえに起ち聳えるそれに対し畏怖と哀愁と欲情を感じ、もう一度それに向かって手を合わして深く礼拝した。
何が哀しくて、男は死んだあともこうして屹立(きつりつ)しているのであろうか。
此の世のすべてへの望みを断ち、こうして樹海にやってきたがいざ死ぬときになって、寂寞(せきばく)のなか異常な情火が男を襲い、己れを慰み(衣服の上から)ながら命を絶ったので、硬直したそれは硬直したままの男にとっての持続可能性という奇跡を生みだしたのであろうか。
わたしはそれからどれほどの時間、男の臍側に向かって勇ましく、また未練がましく立つ悲壮な凛々しきそれを凝視し続けたことだろう。
気付けばこの樹海に、夕闇が訪れていた。
刻一刻と、闇は深まって来て、止めることは最早できない。
わたしは己れのなかに流るる、情欲の血の道というものを放免する為、履いていたCUNEのうさぎジーンズを脱ぎ、ショーツも脱ぎ捨て、男の下腹部の上に跨った。
わたしは今から、自殺という一線の前に、一線というものを超える。
それは死体の男と交合するという神に背く不義と堕落の魔の道の行為である。
わたしは男の上に跨りながら、ある一つの妄想をした。
それはわたしの生涯のベスト2に入れたいほどの我が愛書、「チベット永遠の書」というドイツ人探検家の実話の訳者あとがきに書かれてあった話から膨れ上がっていった。
この本はチベットの秘境に探検家が辿り着き、そこで数々の恐ろしき現実を目の当たりにするという世にも稀有で珍異(ちんい)な前代未聞探検記の奇書である。
著者はこの本のなかでチベット密教徒たちの行う死者蘇生の秘術について、あまりの不快感ゆえに著者はここに書くことを躊躇ったということを言っており、非常に厳秘的で肝心なことを教えてくれない著者にこちらも不愉快であったが、その本のあとがきには死者蘇生の秘術の方法についてほんの少しだけ書かれてあり、著者が知り得た秘術については詳細に書かれることがなかったものの、わたしは多分にそれが呪術的な行為と同時に行なう「屍姦(しかん)」の儀式である可能性は高いのではないかと想察している。
チベットの呪術師が、死者に対し呪術的な屍姦という行為を行い、死者を蘇えらせていた可能性は大いに考えられる。
何故なら人間の性エネルギーというものは人間のなかで最も大きな霊的なる創造エネルギーであるとよく宗教の世界でも言われているからである。
これを笑う者があるなら、その者は人間の持つ能力の可能性を、自ら閉じてしまっていることになる。
わたしは確かに先程までは、自分の可能性のすべてを断つように死にゆこうとしていたが、男の死体を目にして、気持ちが変化したのである。
この男の死体はまるで、わたしに請うようにその哀しき陰茎をそそり立たせ続けているかのように想えてならないのだ。
わたしはこの男の死体を、わたしの奇跡なる能力によって、蘇えらせよう。
強く信じ続ければ願いは必ず叶うとイエス・キリストも言い続けたではないか。
その魔の能力を、自ら封じ込める必要は本当に在るというのか。
わたしがこの男の死体を蘇えらせたいと願うこの想いが、愛でなくて、なんであるのか。
そうして、わたしは男を蘇えらせる一心で祈り続けながら男の死体と交わった。
さらに、呪術的なものと言えば生き血を飲ませるなどすると、効果がぐんと上がると想ったので持ってきた剃刀で手首を切り、その滴る生き血を口移しで男の脣の間から飲ませながらわたしは男の死体と交接した。
男の凍るような冷たい陰茎は、わたしの熱(ほて)った肉体と激しい摩擦とによってあたたまり始めた。
わたしは気付くと精魂も身体も果てていて、その瞬間、猛烈な睡魔に気絶するように男の上に突っ伏したまま眠りへと落ちた。
わたしは惜しくも処女ではないもののこれまで男との性交渉で最高潮に達して果てた経験がなく、初めて果てたことに心から満たされる想いで幸せな心地の眠りの入り口であった。

夢うつつの中で、わたしは目を閉じたまま鳥の声を聴いていた。
一つの鳴声は、カッコウの声であった。
カッコウの鳴声は樹海の朝の目覚めにふさわしいと想える異界に響き渡るような声である。
そしてもう一つの鳴声は、鴉の声であった。
その鴉はカッコウが「カッコウ」と鳴くと「アワ、アワ、アワ」と鳴いていた。
わたしはこの鴉の鳴き方にいつも想うのだが、一体なにが、「泡、泡、泡」なのか。
気になるのであった。
泡がどうしたのか。
そのときである。わたしの瞼の上に、何かがぱさぱさと動いた。
蛾か何かの翅虫が、わたしの瞼の近くで羽ばたいているのであろうかと想った。
わたしは静かに、その目を開けた。
瞬刻ののち、わなないて声にならぬ悲鳴を上げた。
何故なら男がこちらを真っ黒な黒曜石のようなてらてらと黒光りする目で見詰めながら瞬(まばた)いていたからである。
この男の二つの目に、虹彩の薄い色は見当たらなかった。
瞳孔は完全に開ききっている瞳孔だけの状態の目である。
死んだ鯨のような、顔面積に対して小さい目をしており、男の目は変に優しい目であった。
わたしはかつて市販薬をOD(オーヴァードーズ)したときに、死の手前の世界と想える地面も空も灰で埋め尽くされた寂しくてたまらない世界を何時間と漂い、嘔吐したあとに用を足しに行く途中ふと壁掛の姿見鏡に映った自分の目を見てみると、その目は瞳孔が開ききっているような真っ黒い人形の目に見え、異様にその目がてらてらと輝いており自分は死んでいるのかと戦慄したことがある。
男の目はわたしのそのときの目と同じ目であるように見えた。
わたしのあのときの目は暗い部屋で見たからきっと真っ黒に見えたのだろう。
だがこの男の目は、この目こそが、本物の”その”目である。
つまり、この男の目は、人形の目である。
白い部分と黒い部分しかない目をしている。
無心の目と想える男の目を見詰め返しながらわたしは再びチベット永遠の書の話を想いだしていた。
あの本に出てくる呪術師によって甦らされたのであろう者たちは、生気と人格をまったく感じられない存在であり、その歩き方から操り人形のように異様で死人のような空ろな目をしていたという。
探検家のテオドール・イリオンはこの者たちを、「ロボットないしゾンビ、または自動人形」だと呼んでいた。
ここにきてわたしは、長時間ものあいだ男の上に跨っていたことからの腰の痛みを感じた。
なので非常に不安であるが、わたしは男から離れようと腰を浮かして、よいしょ、と言いながら離れようとしたそのとき、男の右手がわたしの腕を力強く握った。
きょとんとしたような表情は特に変わりは見られない。男はどうやらその無表情の奥に「嫌だ」という感情があるのかもしれない。
そうか、おまえはわたしと離れることを拒むということは、不満という感情がおまえのなかにあるということだろうから、そこはすこし、ホッとしたよ。
わたしは疲れた声でそう言うと男の上に腰が楽になるように横向きになって寝た。
男は重くて内臓が苦しいかもしれないが仕方ない。わたしも腰が痛いのである。
最初は男の目を見たときはその異体に怯んだが、それからじっと見詰めているとその異体さが痛々しく、美しいものに想えて男が愛おしくてならなくなり、男への愛を神に向けて心のなかで誓ったのだった。
気付けば男の身体は、人間の温かみと、その白い肌色とを甦らせていた。
男が甦ったことの喜びと安心から男の上でうとうととなり眠って目が醒めると、男はまだ同じようにわたしを邪気のない純然な目で見詰めていた。
こうとなれば日が暮れるまでに、この樹海を抜けださなくてはならない。
わたしは男の身体から起き上がって男の衣服を元に戻し、男を起き上がらせるためその手を引っ張った。
男は引かれるままに黙って上体を起こし、その肉身を立ち上がらせた。
衣服や髪の毛についた枯葉や土を払い落としてやると、地面に男の身体の下敷きになっていた黒いバックパックを見つけた。
拾って中を見てみると、男の免許証やクレジットカード、携帯電話や大量の包装シートの向精神薬、財布や手帳、ノートとペンなどがばらばらと入っていた。
今になって気になったのが、男は一体どのような方法で自殺したのだろうか?
首にロープの痕は見られなかった。薬や劇薬を飲んだような形跡は見られない。(どこかで飲んでそのゴミはその場に捨て、この場所までのた打ち回りながら這いずって来たか、普通に歩いて来てここで眠ってそのまま死んだのであろうか)
とにかくこうしていられない、この樹海を一時でも早く脱出しなくては。
わたしは男の左手を握り緊め、来た方向を想いだそうとした。
ところが、完全に、愕然とした。
見渡す限り、似たような樹木の海である。どのように来た方角を憶えていられるのか?
わたしは男の顔を、困窮の顔で見上げた。
男は薄っすらと、天使のように微笑んでいるように見えた。
一縷の望みを男に託し、男に話しかけた。
「わたしは来た道を戻りたい。おまえは憶えているよね。おまえの来た道を、一緒に戻ろう」
すると男は足をその場で踏み踏みした。
「そうだ、その調子だ、おまえの来た道を、今から歩いてゆこう」
そう言うと男はついに、足を前に出し、操り人形か自動人形のような歩き方で歩きだした。
わたしは感極まり、幾度も涙を流しながら男とこの戻れない世界であったはずの世界から、もとの世界へ戻って来ることができたのであった。
何時間歩いてきたかわからないが、わたしと男は無事にバスとタクシーを乗り継いで(わたしの鞄は失くしたので男の財布からお金を拝借した)、わたしの家に到着することができた。
家に着くと、夜中の午前二時を過ぎていた。
やけに自分の部屋が、懐かしく想えたものだ。
わたしは歓喜にうち震えるなか男を力一杯抱き締め、トイレで用を足して水をグラス一杯飲むと、疲弊のあまりベッドの上にぶっ倒れた。
という企図を脳内で作りあげ、わたしは歓喜にうち震えるなか、男を力一杯に抱き締めた。
したら男が、約30分あまりの時間わたしの身体を離そうとしなかった為、我慢していた尿を漏らしそうになった。
男はやはり、わたしの言葉が伝わっているようで、まったく伝わっていないようである。
何度も「ちょっとだけ離してくれるかな」と優しく言ったものの、男は言うことを聴いてはくれなかった。
そして次に、トイレに入って一応、鍵を閉めたのであるが、これが男は気に入らなかったのか、何度もガチャガチャとしつこくトイレのドアノブを回し、わたしが用を足し終わってトイレから出ると、男の顔が哀しい表情をして涙で濡れていたのである。
わたしは男にこのような繊細な感情があることを賛美し喜んだがそのあと男は、約一時間近くわたしを抱き締め続け、全く何をどう言っても離そうとしなかった為、男がやっと離してくれて一緒にベッドに横になった瞬間、意識が物凄い早さで遠のいたことだ。
明くる午後、わたしは至福の感覚と全身の激しい倦怠感及び筋肉痛と共に目を醒ました。
時間はもう夕方で、何故こんな胸が圧迫されるのかと想ったら、男が頭をわたしの胸に突っ伏す状態ですやすやと子供のように眠っていたからであった。
それにしてもこの至福の時はなんという素晴らしさであるだろう。
まるでわたし自身も、男と共に甦ったような心地であった。
もしわたしが、男の死体を見つけなかったなら、もし男の死体が、わたしに見つけられなかったなら、わたしたちは共にあの樹海で腐敗してゆく運命であったのである。
わたしはそっと起きて男のバックパックのなかに入っていた免許証をもう一度よく見た。
名前はデニス・バーソロミュー(Denis Bartholomew)、年齢はわたしより7歳下の29歳、住所は都心に近いここから電車とタクシーで一時間あれば着くようなマンションだった。
財布のなかには名刺が入ってあり、会社はネットで調べたところどうやら新しい次世代パーソナルコンピュータを開発している会社のようだった。
ブラック企業だという噂もネット上には見当たらないし、技術者と言える有能な人材ばかりを集めたパソコン開発企業に勤めながら彼は一体何に絶望したのだろうか。
未来のコンピュータはどのようなものなのだろうか。パソコン開発というだけで皆わくわくして社員たちが働いているようなイメージがあり、わたしは漠然とした悲しみを感じた。
親や兄弟たちはいるのだろうか。恋人はいなかったのか。結婚して子供がいてもおかしくない。
でも住んでいるマンションは広めのワンルームのようだから、ここで夫婦や子供と一緒に暮らしているのはあまり想像できない。
わたしは免許証を眺めながら、そこに映っている几帳面で神経質そうでありながらも慈悲深い表情をしている写真の彼と、今わたしのベッドにまるで幼児のように眠る男が同一人物であるとはとても想えないのだった。
それは彼が”死体”であったときに、既に違うようであったと想いだす。
わたしは彼の隣にまた寝そべり、そのあどけない寝顔を見詰めながらこの男に、新しく名前をつけてやろうと想った。
彼にふさわしい名前、それは・・・・・・そこでわたしは、ふと聖書の言葉が浮かんだのであった。
それは出エジプト記の3章14節の聖句である、「わたしはなる、わたしがなる者に」というところだった。
これは神がモーセに対して告げた言葉であり、「わたしは何であれ自分の望むものになる」という意味であるとされている。
つまりこの訳が正しければ、神はモーセに、「わたしとおまえは同じである。おまえの望むものはわたしの望むものであり、わたしの望むものはおまえの望むものである」と言っているようなものなのである。
これを言い換えると、「わたしとおまえは同じものとなる。おまえの望むものはわたしの望むものとなり、わたしの望むものはおまえの望むものとなる」と言える。
そしてこの、「なる(生る、成る、為る)」という意味は、同時に「ある(在る、有る)」という意味が必ずあるということにわたしは注目した。
すなわち、「なる」は「ある」になり、「ある」は「なる」である、ということを意味しているとわたしは想ったのである。
ということは、「ある」よりも先に、「なる」があったかもしれないという面白い矛盾がそこに生じるので、その矛盾こそが、真理的に想えるのであった。
さらに、「ナル」とは、同時に「ナイ」ことではないかと想ったのは、「Null(ヌル)」というプログラミング言語で「なにもない」を表す言葉の英語の発音が、「ナル」であることから考えた。
このことから、「ナル」という言葉は「ある」という意味と「ない」という意味が同時に含まれている言葉であるのかもしれないという結論に達し、さらに、ナルシスの語源となったギリシア語のラテン語表記である「Narkhv(ナルケー)」には”昏睡、死、無気力、無感覚、麻酔、麻痺させる”という意味があるということを想いだし、「ナル」は「生る(ある)」という意味でありながら同時に「死」や「無」の感覚を意味しているという一つの言葉で対の関係性を表している言葉であることに気付いたのだった。
わたしのいま目のまえにいるこの男は死者なのか生者なのか、そのどちらでもあるのか、それともそのどちらでもないのか、と考え、今のところ、一番近いのは”死んでも生きてもいない”という状態であるのではないかと想い、在ると同時に無いという意味を持つ「ナル」という言葉に、同時に”在ることも無いこともない”という意味があると感じたので、この男に最も相応しい名前であるだろうとの想いから男の名を、「ナル」と名づけることとなった。
名前が決まったことにホッとしたので、わたしはもう一眠りすることにしたのであった。
わたしが次に目を醒ますと、男が真っ黒にキラキラと光る目でわたしをじっと見詰めており、その顔はどこか爽やかそうであった。
瞳孔は開ききったままの、瞳孔だけの目であっても、わたしはその目に癒され、その目に安心を覚えたのである。
わたしは男に向かって「おはよう」と言って微笑んだ。
男は何も返さないがどこか嬉しそうな顔をした。
「おまえの名を決めたよ。おまえの名は今日から、”ナル”。この名はとても深い意味が込められているんだ。どういう意味かというと、おまえの望むすべてが、おまえの望むとおりに”なる”という意味が入っているんだよ。そうであってほしいという願いを込めて、わたしはおまえを今日から、”ナル”と呼ぶよ。気に入った?ナル」
ナルはわたしを見詰めて瞬きをするばかりで、口角は微妙な笑みを湛(たた)えていた。
そのミステリアスな微笑はわたしの最も望む母性と父性のバランスをちょうど伏在(ふくざい)させているかのような笑みに想えたのであった。
わたしは胸の底があたたまる幸せな心地でナルと見詰め合っていた。
すると、ナルはすこし口元を引き締めるようにして鼻の穴も若干膨らませた。
わたしはどうしたのだろう?と想っていると、その瞬間、何かが噴出すような音がナルのところから聞え、次には仄かな赤ちゃんの糞便のような臭いが漂ってきたのだった。
ナルの顔は先程よりも益(ま)して、爽やかそうであった。
なるほど、なるほど、そうゆうことであるか。
わたしはナルの頭を撫でてやり、布団を捲(めく)って、彼の汚れた衣服を脱がせて丸裸にした。
彼は柔らかい糞便だけではなく、小便もしっかりと垂れておった。
衣服はもう、ナルの軟便を拭ったあと袋に詰めて捨てることにした。
彼は生まれ変わったのだから、同じ衣服を着る必要は最早ない。
わたしはナルの手を引いて、風呂場に向かい、わたしも服を脱いで二人で風呂に入った。
湯船にゆったりと二人で浸かっていたとき、ナルは気持ちが良かったからかまたも二度目の脱糞を行なった。
ナルと二人で湯船から上がり、栓を抜くと彼の糞便は水と共に、排水溝の奥へと流れて行った。
わたしはその様子が、非常に愉快であった。
彼の身体を洗ってやってると、彼の局部が元気になってきたので、それを打ち眺めているとわたしは昨日のことを想いだした。
たった昨日の出来事が、遠い昔に想えるのは何故か。
昨日、わたしが自殺の実行をしていたなら、わたしもナルもここにいないのである。
ナルはわたしを抱き締め、発情した雄犬のように下腹部を擦り付けてきた。
興奮と共に気が焦り、素早く彼の生殖器を、自らの生殖器の穴のなかへと挿し込んだ。
絶対に、彼の精液を外に放出させてなるものかと逆上して凶暴な感情になり、彼の尻を鷲摑みにして絶対に離すものかとその爪を尻肉に食い込ませながら行為に及んだ。
そしてその行為は、約30分以上続き、オルガスムスの脱魂するかのようなエクスタシーは延々と続いた為、わたしは快楽と同等の精神的な重苦に同時に襲われ、「消えてしまいたい」という感覚に陥った。
ナルはやっと力尽き、わたしを抱いたまま風呂場の床にしゃがみ込んだ。
わたしも貧血状態になったがナルも顔が蒼白になって苦しげに喘いでいたので可哀想でならなかった。
昨日に生殖行為によって、ナルを恰(あたか)も生まれさせ、そのたった次の日に早くも生まれてから初めての生殖行為を行わせてしまったことが哀れでならなかったのである。
ナルは身体こそ成人であるが、その意識状態は、成人のものとはとても言えないであろう。
いやその前に、ナルは人間と言えるのか。
人間とも言い難い存在とは、まるでまだ人間の形だけをして魂の宿っていない胎児のようなものではないか。
わたしはここに来て漸(ようや)く、ナルに対する過ちの意識と、彼と共に神から下された堕罪の苦しみを覚えたのであった。
ナルはそんなわたしの苦衷(くちゅう)も察することなく、わたしの乳首に興味を覚えたのか、乳首を弄ったり甘噛みしたりして遊んでおった。
わたしは起き上がってナルの手を引き、身体を拭いてやって風呂場から出て水を飲ませてシーツを換えたベッドに寝させてやった。
そして服を着てパソコンに向かい、ネットアパレルショップで黒とグレーのTシャツ4枚組セットと、グレーのシャツとチャコールのニットカーディガンとダークグレーのニットセーターと、黒のアンクルパンツと黒のテーパードデニムとブラウンのコーチジャケットとダークグレーのボクサーブリーフ5枚組セットと、セール中のグレーの靴下6枚組セットを、金欠なので仕方なくデニスのクレジットカードで注文した。
振り返るとナルは精根尽きてか、静かにうたた寝をしていた。
この時、樹海へ向かってから初めての空腹を覚えた。
家にあるのは白米とパスタくらいだったので白米を洗って炊飯器に設置して炊飯ボタンを押した。
こないだに、わたしはデニスの職場へ電話をかけた。
受付の男性が電話に出ると「そちらで働いているデニス・バーソロミューさんに繋いでもらえますか」と言ってみた。
男性は「少々お待ちください」と言って電話から離れ、少し経って戻ってくると「デニス・バーソロミューという社員は三ヶ月ほど前に自ら退職しており、現在この会社のどこにも所属しておりませんが・・・」と返ってきた。
わたしは「そうですか。ありがとうございました」と言って電話を切った。
自ら退職している、一体デニス・バーソロミューに何があったのだろうか。とりあえず仕事は辞めているので職場からの捜索願は出されることはないだろうからそこは安心した。
残るは友人、恋人、家族などからこの先捜索願を出された場合、やばいという問題である。
わたしがまるで自殺に失敗して白痴になってしまった男を誘拐し、監禁していると加害者扱いされるのではないか。
ここでわたしが彼らに「いや、誘拐したんとちゃいますがな、あのね、彼はね、わたしが見つけたときはもう死体だったんですよ。それでね、わたしがね、ちょっと秘術をあれしてね、彼を甦らせることにこれ成功したと、こないなわけだんねん」等と必死に弁明し説得させようとしても、わたし自身が閉鎖病棟に監禁される羽目になるであろう。
頭のおかしくなった彼をただ連れて帰ったと想われたならまだマシで、彼の頭をおまえがおかしくさせたんとちゃうんかと想われたらこれは厄介である。
彼はどう観ても、普通じゃない、特に彼のその目は、人間の目でもない。目の病気で目が瞳孔だけになる病気はあるのか知らない。
とにかく、わたしが恐れているのはわたしが彼らに変態性的嗜好者等と疑われることではなく、彼をわたしから奪われることである。
わたしは何があっても彼を奪われたくはない。わたしは彼の可愛い寝顔を見詰め、「ナルだって、そうだよね」と話し掛けた。
デニス・バーソロミューという男に、たぶん恋人はいなさそうだとわたしは想った。
多分いても、「てめーはよぉ、価値があんのはその顔だけだろ、顔以外、趣味は最悪だしくだらねえしよー、何が初音ミクだっ、話もつまんねーし、セックスは度下手だし早漏だし、てめー生きてる価値あんのかよー、死ねや、このghost faceがっ(白人を差別する用語)」等と言う女だったのではないか。
愛した女が、突如原因不明の粗暴で野卑な人格に豹変し、この世に絶望して死にたくなったのかもしれない。
あるいはこういう恋人だったのかもしれない。
「もう限界が来ました。本当のことをあなたに言います。あなたの身のこなし、ちょっとした仕草、ボディーランゲージ、何から何まで、女性的で柔らかくて、オカマ的で気色が悪いのです。わたしはもっと、上品だけれども男らしさの漂う、クールでニヒルのなかにもワイルドさを仄かに醸しだしデモニッシュ的かつディオニュソス的な男が好きなので、明日から約半年間地獄経験をこれでもかと言わんばかりに経験し、わたし好みの人格に生まれ変わる為に、中国の強制収容所で働きに行ってもらえませんか?それが嫌なら仕方ありませんね。未来永劫、無縁の関係となって戴きます」
こういった言葉を、「あなたを愛している」と今まで何度と言ってくれた天使のように美しく優しい微笑の顔で言われたので、男はその瞬間、”空”の境地に至ったのかもしれない。
または、デニスは同性愛者で、恋人の男が浮気をし、その浮気相手が自分の父親だったので死にたくなったのかもしれない。
ある晩、親父に旨い酒を持って行ってやろうと親想いの親切なデニスは、実家に赴くと、そこには髪がぼさぼさになって服を前と後ろ、逆に着ている親父が焦った様子で迎えて、その後ろから自分の恋人が同じく狼狽した様子で出てきて、「なんで君が、親父のところにいるんだよ」とデニスが言うと、明らかに言葉を探しながら「いやちょっと、おまえの親父さんに相談があってよ」などと引き攣った笑顔と震えの止まらない口許で言われて。
デニスが走って親父の寝室に行くと、ベッドの上には、恋人の長い栗色の髪が数本抜け落ちている。
よく観ると、その栗色の髪は、親父の白髪と、絡み合い、縺れ合っていた。
デニスの死を、誰が、止めることができるのであろうか?
最早、誰の「死ぬな」の言葉も、彼には届くまい。
逝くならば、逝かせてやろうデニスギス。
誰もがそう想うに違いない。
それ以外の万事がうまく行っていても、たったそれ一つのことだけで彼は奈落の底の底まで堕とされるのである。
その前に、彼の親父が死んでいてくれていたほうが、ずっと彼は幸福だっただろう。
哀れな男デニス。彼の一生は、一体なんだったのか。
何の未練も、きっとなかったのだろう。この世界に。
でももう大丈夫だ。彼の全ては、もう終った。
彼が生き返って、今ここにいるわけではない。
わたしが甦らせようとしたのは、彼ではない。
あそこにあったのは、彼ではなく、一つの鋳型(いがた)とダイカスト (die casting) のようなものだ。
ダイカストとは、金属製の鋳型に、溶かした合金を流し込んで器物を大量生産させる鋳造(ちゅうぞう)方式(方法)、またはその方法によって製造された製品のことである。
わたしがそのダイカスト法でもって、わたしの切実なる願いの熱く溶けた合金を彼の死体なる鋳型に流し込み、今ここにいる男、ナル(ダイカスト)を生産させたというわけだ。
”Die”という綴りは”死”という意味と”鋳型”という意味があるということは、死を裏付ける死んだあとの身体である死体というもの自体にも鋳型の意味が隠されているはずである。
聖書の創世記では、土(塵)で作りあげた男の型に神が息を吹き込んでアダムという人類最初の人間が創られた。
神が息(魂)を吹き込む前のその男の人型のものはまるで死体と同じものであっただろう。
そうであるならば、魂の抜けでたあとの死体を基に、神が再び別の魂を吹き込んで人間を創りだすことができないはずはないであろう。
わたしはこのダイカストと死の繋がりを知る前に、その繋がりを寓喩(ぐうゆ)しているかのような夢を見たことがあった。
その鋳型には、自分であって自分ではないという存在が拘束具によって拘束されており、それをわたしは中空から見下ろしていた。
その鋳型に、自分を嵌め込んで作り上げ、苦しく痛い幾つもの頑丈な拘束具で拘束したのはわたしであったはずだ。
新たに誕生した喜びというものを覚える暇もないほど、わたしは誕生する為に必死であり、失敗してはならないという緊張で絶えず高揚していた。
このとき、ピーッピーッピーッピーッピーッという「ご飯が炊けましたよー」という合図のビープ音が廊下で鳴り響いた。
あ、もう炊けたんや。しばらく思念の海底でもぞもぞしていたので、あっという間に時間が過ぎたようだ。
炊飯器、電子釜、電子ジャー、というダイスカットのその取り外しの利く内釜という鋳型のなかに、白米という魂を注ぎ込んで出来上がった出来立てほやほやご飯を、わたしはさっそく杓文字で混ぜに行った。
そしてこれで大き目の塩握り飯を二つ拵え、海苔を巻いた。
ちょうど、その握り飯を部屋まで持っていくと、わたしはナルとぱちくりと目が合った。
「ナル、起きたん」わたしはベッドで横になっているナルの身体を起こし、抱き締めようと想ったが、抱き締めるとまた数十分と離してくれないかもしれないと想ったので、頭を撫で撫でするだけにして、ナルに握り飯を手渡した。
わたしが目のまえで握り飯を食べると、ナルもそれを真似して食べてくれた。
こうしてすぐに真似をして食べることができるということは、ナルは幼児並か、それ以上ということだろう。
水を入れたグラスを二つ持ってくると、ナルは水も真似して飲むことができた。
食物を食べることができる、水も飲める、排泄もまだお漏らしだが問題はなくできる、風呂も嫌がらない、大丈夫だ、生きてゆく上での必要最低限なことはなんとかできる、わたしたちは、生きてゆけるだろう。
あとは二人が生きていくための生活費をどうするかである。
わたしは男の手帳やiPhoneを隈なく調べた。
どこかに、暗証番号は無いか?カードの・・・。
暗証番号さえわかれば男の銀行に貯蓄してきた死に金を確認して生活費として月に12万円でも引き落としてゆけるなら、なんとか二人で貧しいながらも生活してゆくことは可能だ。
もしそれが無理でも、わたしは長年の慢性的な鬱症状という精神障害を患っているため、生活保護を受けるなら二人で内緒に生きてゆくことも可能なはずだ。
男のiPhoneのアプリフォルダの2ページ目にあったメモアプリ、パスワードらしき羅列を発見した。
わたしはそのパスワードをアプリを隠すことの出来る機能制限という設定のパスワードに入れてみると、先程はなかったメモアプリが出てきたのでそれを開いてみると、そこには暗証番号らしき4つの数字が三つ書かれてあった。
これが何かの暗証番号だとすれば、暗証番号のメモを残しているということは、暗証番号を最近変えたか、男は健忘症のような症状があったのかもしれない。
しかしここで初めて、これがカードの暗証番号で、男の貯蓄を毎月引き落として男と一緒に生活した場合、わたしは何かの刑法に触れるのではないかという懸念が沸き起こってきた。






















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