今回のBCL史はコンゴ民主共和国とタンザニアに挟まれた小国、ルワンダの放送です。
ルワンダはほぼ赤道直下に位置し、首都はキガリです。ゴリラ(ニシゴリラ)の生息地としても有名で、地形は標高差が激しく、「千の丘の国」とも称されます。
【背景】
現在のコンゴ民主共和国とタンザニアの間にはルワンダとブルンジ王国がありましたが、19世紀末、ドイツがアフリカに侵攻すると現在のタンザニア付近はドイツ領東アフリカになりました。そして、ルワンダとブルンジ王国はドイツ領東アフリカの一部としてルアンダ=ウルンディと呼ばれました。それより西のコンゴ領域はベルギー領になりました。
ベルギーは第一次世界大戦がおこると、ベルギー領コンゴから東へ侵攻し、ルアンダ=ウルンディをドイツから奪い、自国領にしました。1916年のことです。
ドイツが第一次世界大戦で敗戦国となると、ルアンダ=ウルンディはベルギーが統治することになり、他の大部分はタンガニーカとして英国領になりました。
第二次世界大戦が終わってしばらくした1950年代後半にはアフリカ各地で独立機運が高まり、1960年には多くの国々が独立しました。
ルアンダ=ウルンディでは特に1959年、「ルワンダ革命」と呼ばれる運動が起き、ついに1962年7月1日、北のルワンダ共和国、南のブルンディ王国として独立を果たしました。
【ラジオ・ルワンダ(RRR)】
新興ルワンダにはルワンダ共和国放送(Radiodiffusion de la République Rwandaise~RRR)という放送局がありました。国内向け放送で、最大出力は50KWしかありませんでしたが、時に日本でもよく受信できました。私が聴いていたのはフランス語放送です。
国際放送のようなはっきりしたインターバルシグナルは確認していませんが、時折民俗楽器による音楽が演奏され、「Ici Kigali.Radiodiffusion Nationale de la République Rwandaise.」というアナウンスが流れました。良好な受信状態が得られたのは短時間ですが、音楽番組が多くありました。
受信報告に対しては葉書で受信証が送られてきました。
ルワンダの首都キガリにはかつてNHK国際放送(ラジオ・ジャパン)やドイチェ・ヴェレ(DW)の中継所があり、NHKはヨーロッパに向けて、DWはアジア、アフリカに向けての放送拡大に利用していました。
【ルワンダのその後】
独立後、ルワンダは一時的に経済的苦境に立たせられましたがが、1966年以降は持ち直し、むしろ「中央アフリカの優等生」として経済発展を続けました。
しかし、1980年代に入ると、国内紛争が勃発し、特にトゥツィ(ツチ)族のフトゥ(フツ)族に対する襲撃が強まり、大混乱に陥りました。1994年におきた「ルワンダ大虐殺」では100万人にのぼるフトゥ族が虐殺されたといわれています。
そして、この混乱を先進諸国は何もせず見ていただけでした。遠く離れた他国にすぐちょっかいを出したがる米国も傍観者だったのです。
この国はその後も政情不安定な状況が続き、今に至っています。
ルワンダ共和国放送が現在どうなっているかはよくわかりませんが、「ラジオ・ルワンダ」という放送はインターネットで聴くことができます。
BCL史の過去記事はこちらをご覧ください。
地域別インデックスへもどうぞ。
相互リンク⇒アクティブなごやん(ゴートク、ブンデス、HSV)