このシリーズもそろそろ最終節で、ブルガリアの放送局です。
【背景】
「♪ 黒き瞳いずこ、わがふるさといずこ・・・」と歌われるロシア歌曲「バルカンの星の下で」で知られるブルガリアは中世から近世にかけて東ローマ帝国やオスマン帝国に蹂躙されてきましたが、1908年に独立を果たしました。
<Под звёздами балканскими~バルカンの星の下で>
第二次世界大戦では「枢軸国」の一端を担いますが、ナチスのユダヤ人虐殺には加担せず、むしろユダヤ人を受け入れました。
1944年、既に成立していたソ連邦の影響を受け、王政を廃止し共和制に移行するとともに、ソ連邦との関係を強化させました。国名も「ブルガリア人民共和国」にします。
戦後の1949年には、ソ連邦、ポーランドなどとともにСЭВ*を結成しました。
*СЭВ(ローマ字転記SEV):ロシア語の「経済相互援助会議(Совет Экономической Взаимопомощи)」の頭文字を連ねたもので、セフと発音されます。日本を含む西側の国々ではCouncil for Mutual Economic Assistance、略してCOMECON(コメコン)でした。私も中学校時代の学校教育でコメコンと教えられましたが、実際にはありもしない勝手につけた名称で、正しくは「セフ」と言うべきでした。それを知ったのはモスクワ放送を聴くようになってからです。
ブルガリアは旧東ヨーロッパの国の中でもソ連邦と非常に近い路線をとっていましたが、1989年、ベルリンの壁の崩壊を受けて、社会主義政策を放棄し、翌年、国名もブルガリア共和国にしました。
現在はEUの一員ですが、経済的にままだまだ立ち遅れているようです。
<ブルガリアの位置>
【ラジオ・ソフィア】
ブルガリアの首都ソフィアには国営の放送委員会があり、外国向けには「ラジオ・ソフィア」という放送を中波と短波で行っていました。
アジア向けの放送はなく、私は北米あるいはアフリカ向け英語放送を聴いていました。ログを振り返ると、受信状態は比較的良好だったようです。
<ラジオ・ソフィアの受信ログ>
英語放送は繰り返されるインターバルシグナルに続いて「This is Radio Sofia,Bulgaria.」というアナウンスで開始されました。
1回の放送は30分程度でしたが、ニュース以外は毎日日替わりのレギュラー番組が組まれていました。
受信報告に対しては、定型的な手紙とともに受信証が送られてきました。
<ラジオ・ソフィアからの手紙>
私にとっての初期の受信証はブルガリアの位置を示した地図をデザインしていました。
<ラジオ・ソフィアを聴き始めた頃の受信証(ベリカード,QSLカード)>
多言語で放送していたこの局の案内はアラビア語、イタリア語、英語、ギリシャ語、クロアチア語、スペイン語、ドイツ語、トルコ語、フランス語、ブルガリア語、ポルトガル語の11言語で書かれていました。
<多言語による局案内リーフレット>
年末には季節の挨拶状も送られてきました。
<季節の挨拶>
ヨーロッパ、北米向け英語放送はDXプログラムや聴取者コーナーを始め、バラエティに富んでいました。
<ヨーロッパ、北米向け英語放送プログラム>
音楽放送も様々なジャンルにわたっていました。
<音楽プログラム>
アフリカ向け放送のスケジュールもヨーロッパ、米大陸向けとはまた別の内容の放送でした。
<アフリカ向けプログラム~私は "African" friend ではないですが>
何年かの後、受信証の図案は風景の写真になりました。
<風景写真の受信証>
比較的地味な放送局でしたが、私はニュースとともに音楽番組をよく聴いていました。
今はインターネットでも音声および文字による情報発信を行っています。
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