サヨク・ウヨクがいいこと言っているの正体 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
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上条さんのそげぶ「その幻想をぶち殺す」は男女平等(劇場版 とある魔術の禁書目録 より)

 

サヨク、ウヨクの二元論でどちらが悪いどちらが良い、などという筋の悪い言い合いをしているのは、まるで出来レースのプロレスを見ているようである。試合が終われば後ろで手を結び、次の試合の段取りをする。そんな程度のものであるから、言い争いをすることだけが目的で、決して国益のことなんかは考えていない。

 

朝日新聞が言っているからその逆が正しい、

安倍のやっていることを反対しているから正しい、

 

そんな両者からの声は、実は低レベルというよりは、本質的な議論の入り口にも立っておらず、欲望で動く民間が勝手に活動を縮小している中での小さな政府だの、経済成長の概念を持たない財務省あるいは経理部的な発想であり、な国益に利することとはあまり関係がないことに気が付くべきである。

 

下記のブログは、まさにそのことを指摘しているのであれば、サヨクウヨクの一軸でしか物がみられていない人にとっては、一見すると何を批判しているかわからないことになってしまう。

 

中国に後塵を拝している国力を復活するために、かなり邪魔になってしまっているのは、このような日本におけるサヨク、ウヨクの一軸での議論で満足してしまっている世論である。この世界観では、国益の良しあしが計れないというのがその趣旨なのである。

 

EUの各国と違い、通貨発行権を有する日本国にはお金が足らないから生じる財政問題は存在しない。

 

当たり前のことではあるが、上記のサヨクウヨクのプロレスの中では、このような基本的に事実すら無視して、予算をどっちに回す、軍事を強化する、貧相になりつつあるインフラを修復し、強化する、それに対して、予算が一定だから、社会保障は削るとか(75歳以上の社会保障を悪化させる政策、健康保険にかかわる徴収の値上げ)、そんなことを言っているのである。


 

掲示板の議論がほぼ90%役に立たない感じがするのは、まさにそのせいであり、本質的に問題を解決するところから議論がずれまくっており、そんなところの議論をしていても、解決にはほぼ全く無縁だということである。

 

喫緊の問題は、あらゆることに金をつけて、これまで削りまくった公共の力を復活させることである。

必要な公共に対する財政の出動は、予算の議論以前にやらなければならないのである。

やることで、人材が必要となり仕事が少なくなっている人々の仕事となっていく。

お金を絞る前に、必要な仕事を仕事として作り上げることが大事なのである。ここ20年の政権すべてにおいて、足らなかったのはその点であり、仕事を発注してカネを出すことでそれが実際に行われるのだ。

 

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そのサヨクウヨクの一軸から漏れている議論は、財政の問題に限らず、もう一つの重要な観点として、移民推進の議論がある。

 

サヨクとしては、国境にこだわる時代が過ぎ去った(by 安倍晋三)の観念に合致するものである。

ウヨクにとっては、新自由主義の思想により、儲からない時は、緊縮の流れで民間が飛びつく安上りな人材である。

 

その一軸の議論から漏れるのは、社会構造の破壊である。同化させられない程度の移民の受け入れは国内に第2第三の別国家を生むだけである。それを世界第5位の移民受け入れ国に仕立て上げたのが現安倍政権であり、それまでの自民党、民主党政権で準備を重ねてきた結果でもあるのだ。

 

このような社会を根底から破壊する「移民」の大量導入に対しては、元のように社会幸三を維持しながらの中で何とかできる程度まで、排除していくことであり、社会が受け入れられる程度にまで抑えることである。社会は、その社会が崩壊するほどの影響力があると、当然ながら持ちこたえることができない。社会が壊れてしまっては、それを受け入れる多文化共生もへったくれもないのである。

 

当然ながら、国力を増強するためには、その国力に助けられてよりよい社会が作られるという感覚を持った「国民」の意思が必要である。

 

自国より賃金が高い程度でやってくる連中などは、そもそも、捨てた彼の祖国に対しての郷土愛もなく、当然ながら移民先に対する愛もはぐくむ可能性は相当に低い。分が悪くなれば早々に出ていくに違いない。それでいて、先進国である日本の社会が何千年もかけて巧みに作り上げてきたシステムに、ただ乗りし要求ばかりをする。結果的に社会に貢献するのは自分が儲かるかどうかだけの基準であり、基本的にはその見返りを社会に還元するのは「もったいない」と思うに違いない。

 

旅の恥はかきすて などという言葉もあるが、これになぞらえれば、

 

移民先の暮らしは掻き捨て

 

であり、むしろ諫言しろと共用することは、多文化共生を唱える連中からするとあり得ないのだろう。そんな、寄生虫のような存在を自ら取り込むというのは、そのメリットにありつける一部の経営者以外の大多数の国民にとっては、どうしようもなく害しか残らないのである。