現在過去未来を見通すこと | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

観光道路を作りたいという思いが事業を動かしたが経済の失速でそれが停滞、それでもやめなかったものをデフレ7年目で諦めた。しかし、その時からも2012年にここまでは道路は伸びたのである。書かれているようにゲートを開けば緊急車両が入る余地はあるにはあるが・・・本来の道は300m先で固定柵で閉ざされている。将来にも存在する意義はあると思って今日も行く。(塩那道路、深山園地駐車場ゲート)

 

 

西部邁氏の言っている本質はわかルマでは、もう少しかかるような気もするが、今回の番組での発言は、考え方の視野をぐっとひろげることにはなった。もちろんそれが答えというわけではなく、視野が広がったということである。当人は、嫁さんがなくなってからことさらもう死ぬ死ぬということが口癖にはなっているが、健康が許す範囲で行き続け、それでも発信し続けるだろう。そういう役回りだと思っているのではないだろうか。我々は、そこから何を学べるか、そこのほうが重要であり、それを引き受けて現在やらなければならないこと、将来やっていこうとすることを考えられたらいいのではないだろうか。

 

 

 

選挙でどこを支持するのか、という話については、議会制民主主義の選挙においては、そもそも政策で決められることは殆どないのではないか、という話があった。今の日本の状況はそのとおりではある。ただ、立憲民主党が、保守とは何かということを初めて言っていたという気もする。よくよく眺めれば、気が付きにくかった変化というものも捉えられるだろう。まあその中身を覗いていけば、本当に社会のためになるように考えているのか、ということが疑わしい面、過度な難民、イミンの受け入れの寛容さなど、もあったり、過度な貨幣、金融重視の考え方によって、なすべき仕事ができなくなる、仕事を続けることができなくなる状況を生み出してしまうこともあったりするのである。

 

このようなものは、そうしなければならないという空気が作られて、大衆もそれに流されて初めて政治家が喋ることになるので、今回の選挙の時に何を選べばいいのか、というのがないのもそういう空気ができてしまって、それを止められていないということになってしまうのだろう。要するに、一人ひとりが、考えを変えていき、それが空気となっていくまでやっていくしか無い、ということである。

 

 

 

まだ途中までしか読めていないが、むかしから、経世済民のやり方というのは、アカデミックからもマスコミからも攻撃を受けてしまうということではあるが、それが採用されたら、見事に国レベルで成長するという結果になっているという事実がある。もちろん、そのときには、資本家や経営者が相対的に力を失うことになってしまう。それが、人間の持つ欲望として許せない、ということの上で、政治力を持っている状況から、なかなか実現されないのだろう。第2位の地位で追いかけている立場であったり、国同士の競争がのっぺ木ならなかったりする状況があってこその、経世済民なのかもしれないが。。

 

本当は、日本自身がそういうのっぺきならない状況であることであり、西部が言うファッショならぬ結束してことにあたっていくことで国力を高めなければならない局面なはずなのである。何をのんきなことを言っているのか、ということであるが、それに気が付かなくてもいきてこれた状況を、現実と勘違いしてそのまま続けようとしているだけなのである。今まで上手く言っていた物自体も上手く回らなくなっていく。

 

上記の番組で上げられていた核問題についても、これまでなんで上手く回ってきたのか、なぜうまく回らなくなってきたのか、原理自身は同じ原理であるが、前提条件つきの結果を見てきて、それが続くと思ってしまうことの間違いに気が付かないといけないのであろう。前提条件が変わっているのだよ、と。

 

原発のみならず、ネットでさえも、科学の結果ではあるが、それが絶対に安全ということはありえず、生の面もあれば負の面もいつまでたってもつきまとう。しかし、それについて出来上がったものを燃やしたとしても、その知恵を消すことは出来ない。誰かがまた作ることを止められない、という観点で、みないといけないのだ。嫌でも付き合っていかねばならないもので、その危険をいかにどうしていくのかということを考え続けなければならないのである。科学の発展というのはそういう厄介なものである、ということを知らねばならないだろう。

 

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