自国を守り作ることの意志 | ずるずると道・郷・話を愛でる

ずるずると道・郷・話を愛でる

房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
持続可能で成長する日本の未来の為に成すべき事を考えます。
日々の個人的な興味について書くこともあります。

自国が繁栄すること。その中で自分たちが自由を得ること。自由は、バラバラに好き勝手な行動をすることでなすものではない。集団の中で相互作用しながら生きていくことが人生だとすれば、その集団を繁栄させなければ、その個人個人の自由はもたらされないのだ。その最大の単位は国家である。

 

大きな部分を他国に依存することは、それだけ自由が奪われるということである。たまたま、お目こぼしされていたからそれが永遠に続く前提に置くことはできないのだる。むしろそんな都合の良い前提がいつ崩されるのかと心配しながら、状況を打開していかねばならなかっただろう。

 

 

 

敗戦の苦しさからアメリカに抱き着いて、篭絡して繁栄を手にした日本であったが、ある種のずるいやり方であり、相手がそのずるさに気づけば、いくらでも仕返しができる近距離にあることでもあった。

ある意味、下記のアメリカの論者から、日本の自主独立論がでてくるのは、その篭絡のずるさに対する反発といえるだろう

 


 

アメリカによる駐留軍は、日本に対する安全保障の「福祉」活動だ

 

という表現をとったのはその感覚を表している。篭絡されたので貢いでいたという感覚だ。

中国が台頭し、中東の混乱の収拾がつかないご時世で、生産能力という意味の国力も中国に奪われつつある状況で、世界の超大国といってられないアメリカは、そういう遊びの余裕もなくなっているのである。

 

日本の政治言論は、特に最近台頭する安倍自民党応援団にしても、そんなアメリカの遊びの付き合いの前提での行動であるし、しかも、その前提が崩れる変化の時期において、いまだにその前提にきょこに依存しようとしている姿は、そのような世界情勢を全く無視している行動であり、とても、国を守っていこうという姿に見えない。左翼の皆さんは、国家の破壊を願望としている割に、超大国の軍事力の傘を前提とした、一国無軍隊主義であり、魑魅魍魎の欲望渦巻く国際い情勢にマッチした考え方では明らかにないのだ。

 

いずれも、先人が敗戦の苦難から逃れるために篭絡して作り上げたアメリカの軍事の傘で、その外の国際状況とマッチする音のない議論をしているわけで、自主独立のための議論には全くなっておらず、むしろ、それらを研ぎ澄ますと、アメリカが去るときに、どうしようもなくなって後を追って自殺でもするしかない道を突き進んでいるとしか思えないのである。

 

 

 

自主独立は抱き着きではなく、正攻法。書いてみると簡単であるが、第付いた状態から、正しい間合いまで離れる際に起こる苦労は決して小さなものではないが、もう抱き着いていながら自国のの区民を豊かにさせることのできる時期は過ぎ去ったのである。

 

未来志向で国家を考えるのであれば、真剣に自国のそのような危うい状況を直視し、肥後がなくなったときに耐えうる自主独立の備え、すなわち、他国の依存の少ない国防や、他国に依存の少ない生産力、それを支える技術力蓄積と開発力を、金融・財政健全化にたぶらかされた、非現実な机上の遊びからぬけだして、実現していくのである。