誰の何のための働き方改革か | ずるずると道・郷・話を愛でる

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黙れ!ジュラル星人!・・・うっ、あーーーー!

 

改革、革命好きの現政権、それを受け入れる日本国民が現状存在することは間違いない。

 

そんなきれいごとをホイホイ進めていくと、自分たちの働く環境が破滅的になっていく話である。

 

そんな改革の一つに働き方改革、というものがある。これまでの金持ちに金を集める政策であることでぶれない自民党の政策だけあって、この改革という言葉をつけた時点でその性格は、労働者にとっては不利な状況になるんだろうな、と予想したものであるが、結局はそのとおりらしい。そのようにすることが正しい政策である、という暗黙の合意ができているのだ。

 

政府が3%の賃上げを要請、ただし年収は増えない可能性も 
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20171208-00000014-wordleaf-bus_all 

政府が企業に賃上げを強く求めるのは、言うまでもなくインフレ目標を達成するためですが、 仮に3%の賃上げが実現したとしても、現実には年収は増えないとの指摘も出ています。その理由は、働き方改革によって残業代が大幅に抑制されるからです。 

政府は働き方改革を掲げており、企業に対して長時間残業を抑制するよう求めており、 罰則付きで残業時間の上限規制を導入する方針です。 
大和総研の試算によると、この上限規制が導入された場合、 
日本全体で8兆5000億円の賃金が抑制されるとのことです。 
これは日本の労働者が受け取る賃金全体の約3.2%に相当します。 
仮にこの試算通りになった場合、何もしなくても労働者の年収は3.2%減ってしまいます。 ここで3%の賃上げを実施しても、元の水準に戻るだけで現実の年収は増えないという状況になります。

生産性革命とかとセットで語られるこの、働き方改革については、もちろん、これまでに問題だった硬直化した運用というものがあった。電車の広告で見たのは、「有能な」経営者的に辞めさせたくない社員が癌の治療をしながらも正社員としてやっていけるような仕組みに変える!働き方改革!という、社長島耕作のようなキャラがマイクでしゃべっているというオチの厚労省の広告であった。こりゃいいわ、と思ってしまう話であるが、そんなことは些末な話でしかない。しかも、少しうがった見方をすると経営者視点で語られているあたりこの改革の本質を垣間見せているともいえるだろう。

 

上の話は、「行って来い」の話であり、減ったものを少し取り返すからプラマイゼロですという話になっているが、実際は賃金を支払う仕組みが変わってしまい、なんやかんや言い訳をして金を払わずに済むような形となるため、「行って来い」でプラマイゼロになる可能性は低く、むしろマイナス圧力がかかると思った方がよいだろう。

 

結局恣意的な評価で労働分配率を下げたいと思っているのが、経営者の基本的な姿勢であり、そういうあくどいところをできるだけ小さくするという考え方で対処しなければ、経営者有利になるに決まっているのだ。労働制度を考える上での基本姿勢はそうでなければ力の強い方に偏っていく。自由とか規制緩和では均衡しない。そもそも、その場にかかっている力がひずんでいるのだから、そのひずみを常に直すことを意識的に行わなければならず、それは、国民、国家を整える政府の役割なのである。

 

そういう意味で、時間という概念で賃金を支払う方法は、そういう悪辣な経営者のエゴを抑えるための装置としてはそれなりに有効なのだ。その縛りの中で現状に合わせていくというやり方は、ソフトウェア開発の「人月神話」などに例えられるようjに理不尽に見えるが、それ以外のやりかたは、言い訳はさもキラキラした素晴らしいものだが、例えば、成果主義を杓子定規にやることなど、それより悪いやり方ばかりである。

 

政治体制でいえば、チャーチルが言ったように民主主義は最悪の政治体制と見えるが、それ以外の政治体制を見ればそうでもない。それは、運用の余地があるので、危機的状況においてもうまくやる方法がまだありうる、という程度のものではある。それ以外の、独裁制のような「決断の早い」ものにした場合は、その時々の情勢を過度に反映してしまい、悪くなる時はどうしようもなくなるのだ。例えば、今のような状況においては、経営者、金持ちに対する偏りを助長してしまいかねないのだ。そう、理屈でうまくやる、という方法は、賢いやり方に見えて、そのやり方の欠陥に気が付かない場合は、ことが進みすぎてもはや、これまで、ということも多いのである。

 

国家の発展のためには、政府は守銭奴に成り下がった経営者の言うことをまともに聞いてはいけないのである。

 

彼らの言うことは、自分たちの利益を最大化するための戯言であり、それが国家の発展、そして、それが国民にあまねく富を振りまくことにつながるときに限っていくことを聞くべきなのである。あるいは、そのように偏った利益を吐き出させる政策を同時に実行することが大事だろう。

 

カネというものは、集めれば集めるほど、もっと集めたくなるものなのだ。

 

「勝ち組」とか言われている連中はまさにその心理に陥っているのである。そんな餓鬼の血迷い事に耳を貸すこと自体が、政治家、官僚などのエリートの矜持にかかわることなのである。

 

それをしている連中を見れば唾棄しても構わない。それだけで国家にとって害悪であり、外患誘致なのである。