現実を見ない手段に固執する | ずるずると道・郷・話を愛でる

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房総半島から栃木県北部を中心として、
街と街を結ぶ県道・国道・峠道を巡回しながら、
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週一のペースで話をする同僚の話が朝鮮の南側の政権の大統領は、悲惨な目にあって終わっている歴史が紡がれているというの話であった。そのついでに日本の国政は無茶苦茶ですな。という話にもなったのだが、話は本質的なところに広がらず、巨悪に比べれば、むしろどうでもよいレベルの野党やメディアが安倍が悪いの大合唱で、どうしようもない、などというのであった。

 

これが、だいぶ前の話であればそれは、まだ、安倍政権の見えないところにまだ希望があったと妄想できる余地もあったため、国家の行く末の健全化(当然、デフレ下で財政は健全化する必要はない。その健全ではなく、国力を復興させるという意味の経済健全化である。)話を膨らませる余地はあったのだが、すでにそんな状況ではない。

 

あの、森友事件のごとく小さな事件でさえも、首相の国民をなめてかかった発言「自分自身や妻が少しでもかかわったら、総理も議員もやめたるわい」を言い放って大見えを切って見せるほどに、そのやり口はある意味余裕をぶっこいていたのである。政治主導の名のもとに強化された官僚支配システムの一つである内閣人事局の権力を背景に、直接は言わないが、「わかってるよね?」的な恫喝手法と掛け合わせ、政府の信用を失わせて、国政の遂行に著しく支障があると思われるような、公文書の改ざんを配下の財務省という官庁に組織的にやらせていたのである。直接の関係はなく「影響はあったかもしれない」、という程度に見せかけ、それは「勝手にやった忖度」としてそれを知らなかったとほうかむる姿は、もともとあった安倍政権の本質的なやり方(恫喝と忖度)を表す典型例であった、ということである。

 

財務省にも同じ手法を? 安倍首相が17年前、NHKに「忖度による改ざん」をやらせたときの狡猾な手口(リテラ)

 

人間、よっぽど怒られないとうまい汁をすすることはやめられないのである。ましてやその手法を、小学生の夏休み宿題やらなかった・そしてメイドにやらせたエピソード以来、叱られもせず、「すくすく育って」60有余年。こんな立派な下種に育ってしまった、似非”愛国者”安倍晋三内閣総理大臣は、総理になる前から、「忖度」技に磨きをかけており、自殺して亡くなった盟友中川昭一とともにNHKに恫喝していたのである。放送したかった「慰安婦問題」的な内容をあたりさわりのないものに仕立て上げたのは、結果として本当によかったのか悪かったのか、定かではないが、その手法は、反省もされず、公文書改ざんを日常茶飯事にさせるほどの絶大な「空気」となって支配するまでに至っていたのである。「忖度」だから、安倍ぴょん無罪!というのは簡単であるが、そのとち狂った行政運用は、結果的に政府がその正統性を背景に実施すること(税金を集めることなど・・)に対して著しい毀損を与えてしまっているのである。これが無謬だといってしまうのは、あまりにも能天気な話だろう。

 

公務員の生殺与奪権を持つ首相が権限で溺愛する軽薄妻に公務員秘書配置。首相夫妻に忖度する人が悪い?(ナスタチウムのブログ)

普通に政治を私物化して嫌悪感を持ってしまうレベルなのだが、そんなことは政権を守るためには、ほったらかしで甘やかすべきなのかな。甘やかされが大好きな(褒められたと勝手に解釈して調子に乗る)首相とそのやり方が当たり前だと思う官邸は、どのように国民が相対するべきか。

 

煎じてしまえば、やはり安倍が、安倍政権が悪いとしか話は至らない。話を少し含ませるだけで結論はほぼそこにしか収束しないのに、まるで、和田議員(2ちゃんに現れる秘書を雇っているという噂の死ぬまで安倍擁護のネトウヨ議員)や、青にゃん議員(ブルーマウンテン、僕らの祖国、俺は寝てない自慢などただの性格の悪い自慢しぃの小学生のようなお方)の国会質問のような話である。

 

もはやヤバさしかない…青山繁晴、和田政宗の自民党ネトウヨタッグ“トンデモ質問”を苦笑しながら誌上再録(リテラ)

 

それでいて、「巨悪」とは何かという話、にするために、安倍が悪いという話にすると、なぜか必死でそれを擁護するのだ。おそらく、ネトウヨ系のまとめサイトで安倍擁護の回路を日々鍛えているのに違いない。ようやく最近、安倍もおかしいということをいうようになったが、無意識下では、野党がー、メディアがー、中韓がー、そいつらを先に貶めないと、安倍の批判はできるはずがない、という信念がそこにあると見受けた。当人は、「なんでこうなんだろう?」と直接のわかりやすい原因について追及しようとし、それが見つからないとどうしようもない、というどこかの、「批判はいい!じゃあどうする?」と、自分の思考停止を棚に上げて、安倍を守りたがる自分は悪いない、と間接的に表現する某ネット放送局の社長のようである。

 

もう自分で何を守ってよいのやらわからなくなって、でも守りたいこの”愛国者”という感じで、やけくそでこんな感じなんだろう。「あれ?褒めるところなくなってきたけど、きっとこの人が永遠に首相で間違いないのだ。」

 

話をすれば、野党が!とかメディアが!とか中韓が!とかいう話になるのは必定であり、結局それ以上話は広げられないだろう。ということで、話を広げて楽しい歓談の時間になるはずが、安倍擁護的な話、あるいは、そんなに関心のない韓国事情の話になりそうなのを、必死で回避して、日本の暗雲垂れ込める近未来についての心配の話にしようとしていたのであるが、煮え切らない状態で話の出来る昼休みは終わってしまった。

 

はっきり言ってみた。「安倍もいずれは印単するんだよ。死ぬんだよ。」

それでも、何が起きているのかというよりは、韓国の元大統領に逮捕状が出た話の方が面白いらしくそんなことをわざわざ知らせてくれたのであるが、今の日本の状況を思えば、心底どうでもよいネタであり、話を合わせて話を膨らませる元気もなかったので、そのまま、右から左に受け流していた。

「40年前の新自由主義の仕込みが今花開いてるんだよ。」

そういう話もしてみた。一瞬それに同意したが、それだけの話である。どうしようもないね。どうしようもないね。韓国がひどい。となっていくのである。そんなことは今話をしても変わる話ではないので、むしろ反面教師にして、今の政権の韓国化を嘆いた方がいいだろう。しかしそういう実行する「巨悪」にすら、目を向けずに、野党がー、石破がー。そこから勉強になることは、情報リソースはどのへんかよくわかったよ。ということぐらいだろうか。

 

果たして、自分の気にしているものが何なのか。

今の破壊工作の中で近隣国のエンタメ(韓国諸事情)に興じて、自国の巨悪から目をそらすことで、少しでもブレーキを掛けないとどうしようもない現実から目をそらしてしまって、結果的に売国、壊国に幇助してしまっていることに、いつになったら気が付けるのだろう。

 

「敵は財務省」という人気主義。Tempo rubato

 

・・・と、ここまで書いてきたことを覆すために、ボクの希望的観測でストーリーを立ててみましょう。

 

安倍総理が今年6月の閣議決定でプライマリーバランス黒字化目標を撤廃し財政拡大へ転換、次の増税を凍結して減税を行う方針だと知った財務省が、文書改竄で内閣を貶めようと画策した「無理心中」に違いない!

 

なんで自分から泥かぶるのさ。やっぱり希望的観測には無理がありますよね。

でも、本当に、PB黒字化目標の撤廃や財政拡大へ動こうとする場合、安倍総理くらいの政治力がないと難しいだろう、とは思います。

 

このように、まじめに安倍政権のいいところを探してみても(安倍総理の政治力?)、そんな希望的観測「忖度」は安倍総理自身大好物で大歓迎で、信仰者あるいはシンパを増やす原動力ともなっているのだろう。しかし、こちらの意図にかかわらず、自己保身・失敗を見せずかっこよく見せたい欲望の帝王 安倍晋三がシンパの願望に沿って動かないことはよくある話である。かりにその政治力とやらで、何かをやらせないなら、くわせものの勤勉な馬鹿である彼にもっと、直接的ないいおもいさせないといけないのだ。組織や取り巻きの経路依存性も相まってどうしようもないこと。それこそ、死ぬほど恥ずかしい目に合うことに対してそれを回避させるためにやらせるぐらいでないと、そんな都合のいいことはやってくれまい。安倍晋三とはそういう人間であり、それをあてにして周りの取り巻きも支えているのである。むしろ、落ちてしまったら、俺たちの余裕の利権!どうしてくれようと慌てふためいているはずだ。