経済政策は一世代前の(古い)考え方が良いのだ。 | ずるずると道・郷・話を愛でる

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TPPでイケイケだったころの甘利大臣の答弁の情報を見たので書いておこう。

 

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42575&media_type=


衆議院インターネット審議中継 
開催日 2013年3月28日(木) 
会議名 予算委員会(4時間46分) 

説明・質疑者 : 福田昭夫(民主党・無所属クラブ)  
答弁者 :甘利明 
 

質問者は、民主党の福田氏。デフレ脱却の方法について、内閣参与の藤井氏の論を持ってきて、財政出動をもっとしないとデフレが脱却できないのではないか、ということに対して、

 

藤井先生は、経済担当でない。 
藤井先生の経済政策は、一世代前の考えかと思っています。

 

という答弁をしていた。アベノミクスの経済対策の主要なものは、当時の第一の矢である、金融緩和策と、第三の矢といわれる、規制緩和策だった。甘利氏の答弁を聞くに、藤井氏の論はどうでもよく、経済対策担当の内閣参与であるレジェンド浜田氏のリフレのみがやるべきことと信じ、財政出動は、できたらやりたくない、という姿勢をとっていたことが分かるだろう。特にそれについてコメントも指示もない首相は間接的にそれを支持していたことになる。この期に行われる消費税増税5%→8%についても、リフレ派によれば、デフレは実体経済の現象ではないらしいため、その影響はほとんどないということで、内閣総理大臣がすべての責任を負って実施されたのであった。

 

日銀副総裁の岩田規久男氏も、2%の物価上昇がなければ、辞任に相当することをするという旨のことを言って、世の中の「インフレ期待」をあおったはずだったが、そんなことを見て、経営や消費するわけでもない企業や国民には、まったくその理論は絵に描いた餅で終わったのは、現実を見ればわかることであろう。タイムラグ、タイムラグというのは、理論に時間の概念がないためで、雨が降るまで雨ごいをすることと何ら変わりのない醜い状況になっている。そもそも、そんな長期間では、リフレの効果でそれが成ったというにはあまりにも要素が多すぎることは全く無視してしまうという、確証バイアスがかかりまくりの聞く意味を持たないところに逃げ込んでいる。

 

民間が動かない中、実体経済に訴えかけないとどうしようもない状況を本気で考えているのかといえば、決してそうではない。政府が調整するという面倒な仕事をやらずに、数学的に「スマート」にことをなしたいと思う、いかにもエリートらしい、合理的なやり方でやるために、リフレなどという、日銀の金融操作だけで済んでしまう話に逃げ込んだのであった。それは、たいそう「賢い」数学科出身の例の時計泥棒にして国家戦略特区の事業を裏で支える役割をもって安倍政権の応援団の幹部である高橋洋一が早口で言いくるめる話で金融政策である金融緩和しかしない。

 

その割を食って、本当に必要だが、調整が面倒で人間臭く、綺麗ごとが大好きで、細かい事情について、モノわかりの悪い、嫉妬好きな国民からの攻撃、批判も受けかねない、財政出動による公共事業をさらに減らすという愚行を続けてしまうわけである。痛みを感じてもやるべきところはそこなのに、場合によっては金回りの関係で、格差拡大のみをもたらす金融緩和だけを進めてしまうのである。あとは、首相のお友達となった政商たちの宴である各種諮問会議のメンバーの利権が優先的に実行される環境が作られただけであり、公共に奉仕する気がほぼゼロな守銭奴たちである安倍トモ政商たちが得をしたところで、国民にとっては格差が拡大する分、むしろ甲斐のほうが大きいことになるだろう。

 

すでに、政権ではそういう守銭奴たちの牙城が築かれており、それをどうにかする気もない現首相の政権をのさばらせていたところで、何かいいことがあるわけではない。米国に対するケツなめ外交がお得意と見えるが、ビジネスマンであるトランプにいいカモにされている姿は、とても見たくない愚かな姿である。先進国で多くの国民が暮らしている日本国がこれほど翻弄されている状況は見るに堪えない。実に悔しい状況である。20年間さぼってきた付けは、北朝鮮問題におけるプレイヤーからまったく外されてしまって、どうしようもないという状況として、我々は知らされることとなった。無理にあがけば、ただただ、売国をするほかなく、仮に得をしたところで首相の点数稼ぎにしかならず、日本国家の信用や信頼は低下するしかないのである。

 

やるべきことは、これほど低下した国力を回復するために必死に働くように仕向けるしかないのだ。そのための政府にできることは、上で貼った、面倒な、批判も起りうる財政出動とそれに基づく公共事業しかない。その中には当然軍事への支出の拡大や原発の安全化などのエネルギー対策なども含まれるだろう。ともかく、国内経済の金融ではなく、実体経済の活動を活発化させることをしないことには、もう、にっちもさっちもいかない状況なのである。そんなひどい状況で、低賃金だからといって取り入れる移民労働者は、将来の重荷にしかならないのだ。国家や郷土への帰属意識があって、自分たちの国や住んでいるところを豊かに安全に、あるいは、外国勢力から守らなければならないという意識で結束する必要があり、それが、低賃金を実現するために導入した移民にできるとは到底思えない。仮にできるとすれば、そんな低賃金でカネをかけずにできるものではなく、相当なコストがかかるはずなのである。財界をはじめとする移民を推進する連中は、そのコストを無視して計算するという実にアンフェアなやり方で推し進め、日本社会の構造そのものをシロアリ被害の家のように突き崩していくことの責任は全くとらない、まるで、安倍首相の、消費税に対する責任発言のような、口だけ…あるいは口にすらしないという、悪人ぞろいなのである。

 

残念ながらそんな自分勝手なことを続けて、公共を壊し続けると、今まであって当然なはずの社会の構造がもろくも崩れてしまう。そこには、力強い国民経済などは存在せず、人間ばかりがいても、そこに高い生産力が宿ることもない。生産力のない国には、いくら金があったとしても、その金に価値があるわけではない。国力や経済の源泉となるのは国家に宿る生産力である。それを疲弊させることは、国にとっては悪いことなのである。悪い方向に進んでいるのであれば、それを反転させるという努力が必要なのだ。