きさはしに ひらてそなへる 階に 開手供へる
とほすねの ころおつみかけ 通す音の 光露降つ御影
われやゑん まもりよせいえ 我や円 真杜(守り)よ精得
あめたちぬ うゐをふむゆく 雨立ちぬ 有為を踏む行く
とほすねの ころおつみかけ 通す音の 光露降つ御影
われやゑん まもりよせいえ 我や円 真杜(守り)よ精得
あめたちぬ うゐをふむゆく 雨立ちぬ 有為を踏む行く
解説 7月の御一日参りの事を留めたいと作りました。
今年はタイミングが合わず茅の輪くぐりは出来なかったのですが、そのつもりは無かったのですが出来てみると、ゑん:円、これは茅の輪の円や、八の字円の事かなと、またつゆ:露に、ここに期せずして「梅雨」がかかり。「光露」で「ころ」は当て字です。言葉を「光十波」と当て字されるところから光を「こ」とし、光が露と漏れ溢れている様子です。
神前に立つと昇殿の階段の金細工の殿下の床に光を落していて美しく陰影が落ちていました。
きざ はし:階…階段。だんだん。きだはし。
ひら て :開手…かしわで。拍手(はくしゅ、かしわで)とは、神道の祭祀や神社・神棚など神に拝する際に行う行為である。柏手と書かれることもあるが、誤りである。また、開手(ひらて)ともいう。
み かげ :御影…神霊。みたま。かげ:影…光。灯火。/表立っては見えない人や物の存在を暗示するもの。/心の中に浮かぶ姿。おもかげ。
う い -ゐ :有為…〘仏〙 さまざまの因縁によって生じ,常に生滅し永続しないすべての物事・現象。有為法。 ↔ 無為
「有為を踏み行く」いつもの、この雑多世界へ、雨が降ってきた中をそこに一瞬止まり、そうして足を踏み出して、神域から杜を背にして、行く、という景色など。
「我や円」に我や得んがあり、自分自神を得て、また精得とともに神参拝して神精気を得て円満になった我の意味合いやこの私自身こそ大きな円・縁の結実、為す技で塊そのものだ、の感など。真杜と守りがかぶり、真の杜は守られているし守っている、という関係が出ています。「まもる」の語感に「籠る」ものを感じます。
7月の夏越の茅の輪がある梅雨の頃の歌です。出来てみると、ゑん:円、これは茅の輪の円や、八の字円も言い、またつゆ:露に、期せずして「梅雨」がかかり。言葉を「光十波」と当て字される処から「光露」で「ころ」は当て字。言葉に成る前の何かが光が露と漏れ溢れている様子。
神前に立つと昇殿の階段の金細工の殿下の床に光を落していて美しく陰影が落ちていました。
み かげ :御影…神霊。みたま。かげ:影…光。灯火。/表立っては見えない人や物の存在を暗示するもの。/心の中に浮かぶ姿。おもかげ。
きざ はし:階…階段。だんだん。きだはし。
ひらて:開手…かしわで。拍手とは、神道の祭祀や神社・神棚など神に拝する際に行う行為。開手ともいう。
「有為を踏み行く」いつもの、この雑多世界へ、雨が降ってきた中をそこに一瞬止まり、そうして足を踏み出して、神域から杜を背にして、行く、という景色など。
「我や円」に我や得んがあり、自分自神を得て、また精得とともに神参拝して神精気を得て円満になった我の意味合いやこの私自身こそ大きな円・縁の結実、為す技で塊そのものだ、の感など。真杜と守りがかぶり、真の杜は守られているし守っている、という関係が出ています。「まもる」の語感に「籠る」ものを感じます。