バッハ・コレギウム・ジャパン 兵庫公演 鈴木雅明 バッハ カンタータ第140番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第241回神戸松蔭チャペルコンサート

J.S.バッハ 教会カンタータ・シリーズ Vol.72

 

【日時】

2017年5月21日(日) 開演 15:00

 

【会場】

神戸松蔭女子学院大学 チャペル (神戸)

 

【演奏】

オルガン独奏:鈴木優人

ソプラノ:ジョアン・ラン

カウンターテナー:青木洋也

テノール:櫻田亮

バス:シュテファン・フォック

合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

指揮:鈴木雅明

 

【プログラム】

J.S.バッハ:ライプツィヒ・コラール集より 《来ませ、精霊、主なる神》 BWV 651

J.S.バッハ:シューブラー・コラール集より 《目覚めよと、我らに呼ばわる声は》 BWV 645

J.S.バッハ:ライプツィヒ・コラール集より 《装いせよ、おお愛する魂よ》 BWV 654

 

パッヘルベル:カンタータ 《神 なし給うは恵みの業なり》

J.S.バッハ:カンタータ 第100番 《神 なし給うは恵みの業なり》

 

 ― 休 憩 ―

 

J.S.バッハ:カンタータ 第180番 《装いせよ、おお愛する魂よ》

J.S.バッハ:カンタータ 第140番 《目覚めよと、我らに呼ばわる声は》

 

 

 

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートを聴きに行った。

バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を生で聴くのは、2015年9月に「農民カンタータ」などを聴いたとき以来、今回で2回目。

 

今回は、宗教改革の500周年という記念の年ということで、ルターにまつわるカンタータのシリーズものの一環であるとのことだった。

中でも今回は、ルター後の16世紀後半~17世紀初頭に作られたコラールを取り上げているとのこと。

この頃の時代は、ルターの時代が正統な教条を尊重していたのに対し、むしろ個々人の内なる信仰が尊重されるようになっていた、とのことである(以上は鈴木雅明の解説による)。

 

最初に、鈴木優人のオルガンによるコラール演奏があった。

教会の中で聴くオルガンは、とても響きが良く、癒されることこの上ない。

ただ、3曲目の《装いせよ、おお愛する魂よ》においては、コラール主題が出てくるたびに別の音が混じっているような、まるでラヴェルの「ボレロ」のような複調の曲に聴こえたのだが、あれはオルガンの不調だったのだろうか?

あまりよく聞いていなかったが、何か冒頭に説明があった?

 

その後のカンタータは、どれも大変素晴らしかった。

パッヘルベルのカンタータはおそらく初めて聴いたが、バッハと比べ、より朗らかな美しさがあった。

そして、バッハの3つのカンタータ。

特に、有名な第140番は個人的に好きな曲でもあり、彼らによる録音(NMLApple Music)もよく聴いていたため、今回生で聴けて嬉しかった。

このコラール主題は、聴いたことのある方も少なくないのではないだろうか。

この主題が第1曲、第4曲、第7曲と、装いを変えて(つまり伴奏やオブリガート音型を変えて)登場する、その変化の見事さとそれぞれの装いの美しさ。

特に、第1曲での伴奏の付点音型が、突如聴かれなくなったと思ったら、まるでそれが合図だったかのように合唱が高音域を歌いだす、という箇所がある。

ここの、まるでまばゆい光が燦々と差し込んでくるかのような鮮烈な効果は、上記録音で聴かれるのとは全く違うと言っていいほどのものであった。

この強烈な効果は、総勢たった16人という少人数の合唱団が作りだしているのである!

すごいパワーである。

全体に、上記録音に比べると多少のアラはあったが、そういった音をも優しく包み込んでくれるかのような教会の響きも相まって、大変美しい演奏となっていた。

ソリスト4人も、問題なく素晴らしかった。

 

鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンによる「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ」も、いつか生で聴いてみたいものである。

 

 


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