クレア・フアンチ 名古屋公演 ショパン 24の前奏曲 スクリャービン ピアノ・ソナタ第2番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

クレア・フアンチ ピアノコンサート

名古屋公演

 

【日時】
2017年9月27日(水) 開演 13:30
 

【会場】

宗次ホール (名古屋)

 

【演奏】
ピアノ:クレア・フアンチ

(使用ピアノ:スタインウェイ D-274)

 

【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
ショパン:2つのノクターン op.27 (第7番 嬰ハ短調、第8番 変ニ長調)
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番 「幻想ソナタ」 嬰ト短調 op.19

ショパン:24の前奏曲 op.28 (楽譜はコルトー版を使用)

 

※アンコール

グリーグ:抒情小曲集 第8集 op.65 より 第6曲 「トロルドハウゲンの婚礼の日」

モーツァルト/ファジル・サイ:トルコ行進曲

 

 

 

 

 

待ちに待った、クレア・フアンチ(Claire Huangci)のコンサート。

ついに、聴いた。

彼女の実演を聴くのは、初めてである。

とても楽しみにしながらも、実演を聴いてがっかりしたらどうしよう、という思いもあって、おそるおそる聴いた。

 

 

そんな心配は、杞憂でしかなかった。

素晴らしいの一言!

プログラム冒頭の、ベートーヴェンの「月光」ソナタからして、表現力の塊のような演奏だった。

どこをどう切り取っても、表現意欲に満ちている。

くまなく生き生きしていて、色あせたような箇所など少しもない。

 

 

次は、ショパンのノクターン第7番、8番。

本当に、美しい演奏。

音色に艶があり、まさにショパンな音が出ている。

こういう「色気」のある音が出せる人は、私の知る限り、そう多くない(先週聴いた山本貴志も、その一人だと思う)。

そして、本当にどのフレーズも、どの一音もおろそかにせず、よくコントロールされて豊かな抑揚がつけられている。

それでいて、変にマニエリスティックな、神経質な演奏になることはない。

また、耽溺のあまり自己の世界に入りすぎるということもない。

あくまで、どこか覚醒した彼女がいて、極端になりすぎないよう見渡しており、「自然さ」を保っているのである。

このことは、音楽に文学的要素を次々と盛り込んでいったシューマンと違い、あくまで絶対音楽を終生貫き、バッハやモーツァルトの音楽をこよなく愛したショパンの志向―ショパンの「古典性」と私は言いたいのだが―に、よく合っているのではないだろうか。

彼女のショパンは、私にとっては理想形に近い。

彼女は、山本貴志やチョ・ソンジンらと並んで、現代最高のショパン弾きだと私は考えている。

 

それに比べると、スクリャービンでは、もう少しどっぷりと彼特有の世界に浸りきるのが、本来私としては理想ではある。

フアンチはここでもやはり、どんなに情感を込めていてもどこか冷静な部分があって、スクリャービンの世界に「瞑想」することをしない。

しかし、そんなことを言うのが贅沢きわまりなくてためらわれるほどの、大変な名演だった。

第1楽章、本当に隅々までよくフレーズを歌い、弱音の扱いは繊細でまさにきらめく星のよう、一方でクライマックスでは手に汗握る緊迫感を作り出す。

そして第2楽章では、豊かなデュナーミクの変化とテンポの揺らぎにより、大きくうねる波を表現する。

この楽章の無窮動的なパッセージは、薄めのペダルをもって奏され、響きは濁ることがない。

指の動きはきわめて急速なのに全くばたばたした感じがなく、羽毛のように繊細で軽やか(先ほどの「月光」ソナタの終楽章も、全く同様だった)。

私の本来イメージするスクリャービンとは少し違うと書いておきながら、この曲で私の好きな録音の

 

●イリーナ・ランコヴァ 2006年セッション盤(NMLApple Music

●ドミトリー・マイボロダ 2015年浜コンライヴ盤(CD)

 

あたりと比べてもさらに上回る、忘れがたい名演だった。

 

 

そう、指さばきについて書いたが、彼女はテクニック的にも実に卓越している。

世界のトップクラスの技巧である。

彼女に匹敵する音楽性のため最近注目しているピアニストにティファニー・プーンがいるが、しかし技巧的には若干おとなしい。

とはいっても相当なものだが、目が覚めるほどの鮮やかなテクニックというわけではなさそうである。

もちろん、プーンにはプーンのやり方があるし、それはそれで完成されていて、聴いていて不満はない(むしろぜひ来日してほしい!)。

私が言いたいのは、フアンチが豊かな音楽性と華やかなヴィルトゥオジティとを兼ね備えた、稀有な才能の持ち主である、ということである。

 

 

後半は、ショパンの「24の前奏曲」。

実は私は、ショパンの他の多くの大好きな曲たちに比べると、この曲が若干苦手である(好きは好きなのだが)。

今回のフアンチの演奏を聴いたら、もしかして大好きな曲になるかな? とふと思ったが、さすがにそこまでにはならなかった。

それでも、この曲で私の好きな録音の

 

●マウリツィオ・ポリーニ 1974年4月ライヴ盤(CD)

●チョ・ソンジン 2015年ショパンコンクールライヴ盤(NMLApple Music

 

あたりと比べても遜色ない名演だったと思う。

全体的に余裕のある演奏となっているチョ・ソンジンに比べ、フアンチは表現の起伏が大きく、第16曲や第24曲の怒涛のような演奏にはとりわけ圧倒された。

情熱的で雄弁な、最高の演奏。

静かな部分では、曲によってはやや抑揚が大きすぎるように思われるものもあったが、それでも例えば有名な第15曲「雨だれ」の最後のほうで、メロディの頂点で再高音の「B♭」を弾くときに、直前の音を完全に切ってしまわずに、ペダルで絶妙に響きを残しておくやり方など、天才を感じさせる箇所がそこかしこに聴かれた。

 

 

最後に、アンコール。

特に、2曲目のファジル・サイ編曲の「トルコ行進曲」。

この演奏の、ノリの良いこと良いこと。

グルーヴ感と言ったらいいだろうか、まさにセンスの塊といった感じの演奏だった。

彼女は、ジャズも弾くのだろうか?

 

 

つい、長々と書いてしまった。

今週末には、多古町で彼女の演奏をもう一度聴く。

今回の感動が、もう一度味わえるなんて。

それも、先日も書いたように、ついに彼女の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」が聴ける。

感謝するしかない。

 

 

 


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