鯛中卓也 兵庫公演 ショパン バラード第3番 3つのマズルカop.59 前奏曲op.45 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ピティナ入賞者記念コンサート ゲスト演奏

 

【日時】

2018年2月12日(月・祝)


【会場】

舞子ビラあじさいホール (神戸)

 

【演奏】

ピアノ:鯛中卓也

 

【プログラム】
第1部
シューマン:ユーゲントアルバム Op. 68 より 『春の歌』、『戦いの歌』、『***』、『冬のとき Ⅱ』、『思い出』
ドビュッシー:2つのアラベスク

 

※アンコール

サン=サーンス:白鳥(ピアノ独奏版)

 

第2部
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 Op. 45
ショパン:3つのマズルカ Op. 59
ショパン:バラード 第3番 変イ長調 Op. 47

 

※アンコール

ショパン:ノクターン 第16番 変ホ長調 Op. 55-2

 

 

 

 

 

先日のショパンマラソンコンサートで知った個性的なピアニスト、鯛中卓也(そのときの記事はこちら)。

彼が、ピティナ入賞者記念コンサートの最後にゲストとして模範演奏を行うというので、聴きに行った。

 

 

やっぱり、素晴らしいピアニストである。

シューマンの「ユーゲントアルバム」は、子供の練習のための曲集で、今回演奏された数曲も、いずれも小さな易しい曲だけれど、彼が弾くと何とも詩的で、また耽美的な、子供の域を超えた音楽になる。

ドビュッシーの「アラベスク」、中でも有名な第1番は、もうほとんどショパンの「即興曲第5番」でもあるかのように、優美でロマンティックな、情感あふれる美しい演奏だった。

アンコールのサン=サーンス「白鳥」も、同様に大変抒情的な演奏。

 

 

そして、ショパンでは、他の作曲家にも増して、鯛中卓也の本領発揮、といったところ。

前奏曲op.45は、

 

●小林愛実(Pf) 2015年ショパンコンクールライヴ(動画

 

があまりに素晴らしいためやや陰に隠れてしまうけれど、比べなければ十分に美しい演奏。

3つのマズルカop.59は、私は

 

●アルゲリッチ(Pf) 1967年10月31日放送録音盤(NMLApple MusicCD

●山本貴志(Pf) 2005年ショパンコンクールライヴ盤(CD

 

あたりが好きなのだが、鯛中卓也も第1曲の艶っぽさなどこの2人に全く劣らないし、わけても第2曲の演奏は心に染み入る美しさで、ぐっとやられてしまった。

 

 

バラード第3番。

この曲は、昨年聴いた山本貴志の実演が大変素晴らしく、これを超える演奏には(録音を含めても)出会っていなかった(そのときの記事はこちら)。

山本貴志の演奏には、さわやかな美しさ、みずみずしい情感が満ちており、また激しい情熱を経て、輝かしい勝利へと至る、一連の物語のような感動があった。

それに対し、今回の鯛中卓也は、さわやかというよりも、内へ内へと浸っていくような演奏。

全体の構成感には乏しく、例えば曲の後半、第2主題の第2楽節が展開される部分でも、彼が弾くと音楽が何となく横に流れていくようで、山本貴志のような劇的な起伏がない。

最後に第1主題が感動的に回帰する部分も、するっと行ってしまい終結部らしい輝かしさが感じられない。

テクニック的にもやや甘さがあって、急速なパッセージがしばしば明瞭に聴こえない。

すなわち、ないない尽くしである。

それなのに、彼の弾くバラード第3番は、それでもやっぱり美しくて、山本貴志の演奏に全く劣らず、「ショパンそのもの」なのだった。

山本貴志のような、起承転結のくっきりとつけられた、私のイメージ通りの明快なバラード第3番とは、全く違ったやり方による、より感覚的な演奏。

例えば、たゆたうような第2主題、その初めのほうの音を、鯛中卓也はなぜかかなり強く弾く。

ここまでやるのは聴いたことがないし、全体の流れからいっても唐突なのだが、それが何とも美しくて、聴き手に忘れがたい印象を残す。

この箇所に限らず、至るところでこの曲の意外な側面、魅力に気づかされ、驚かされる。

また、彼はペダルの使い方が非常にうまい。

かなり深めにペダルを使うのだが、響きが濁りそうで濁らない、絶妙なバランスでコントロールされており、何とも幻想的な効果をもたらしている。

そんな彼特有のペダリングが、同じく絶妙なルバート(テンポの揺らぎ)と相まって、テクニック的な不安定さをも包み込みつつ、全体に漠とした、幽玄の世界を作り出す。

そういった意味で、彼と同じく陶酔的な魔力を持つけれど、よりヴィルトゥオーゾ性の強い、華麗でパキッとした音楽をつくる小林愛実とは、また少し違っている。

以前の記事で小林愛実をホロヴィッツに喩えたことがあるけれど(そのときの記事はこちら)、同じように鯛中卓也を喩えるならば、往年のポーランドの巨匠、イグナツィ・ヤン・パデレフスキということになるかもしれない。

 

 

アンコールは、ノクターン第16番。

この曲で私の好きな録音は

 

●コルトー(Pf) 1947年10月15日セッション盤(NMLCD

●アルゲリッチ(Pf) 1965年ショパンコンクールライヴ盤(NMLApple MusicCD

●山本貴志(Pf) 2005年ショパンコンクールライヴ盤(CD

●フアンチ(Pf) 2010年ショパンコンクールライヴ(動画

 

あたりである。

これはもう、鯛中卓也にぴったり合った曲といってよく、上述のような彼の特質が遺憾なく発揮されて、この4盤いずれにも勝るほどの、夢のように美しい演奏が繰り広げられた。

終わり近くで内声部に現れる五連符、この何でもないような装飾音型が、彼が弾くときわめてしっとりと柔らかな、滴るように美しい音楽になるのは、なぜなのだろう?

 

 

現代を代表するショパンの弾き手であるチョ・ソンジン、クレア・フアンチ、ケイト・リウ、ダニール・トリフォノフらと並び称すべき日本人のショパン弾きとして、私は山本貴志、小林愛実、中川真耶加の3人を知っている。

今回、そこに鯛中卓也の名も加えるべきである、と私は確信するに至った。

個性豊かな彼の演奏は、コンクール入賞者の子供たちの胸にも、きっとしっかりと刻まれたことだろう。

 

 


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