歌誌「冬雷」2017年 2月号 冬雷集評 | 北山の歌雑記

北山の歌雑記

短歌初心者の戯言
「うたは下手でもよい自分のうたを詠め」
目指す旅路の道中記

苔むして太き幹なり芭蕉の見し柳は代を引き継ぎて生く

桜井美保子


かつて西行が歌を詠んだ那須・芦野。
後年この地で松尾芭蕉は「田一枚植て立去る柳かな」の句を詠んでいる。

その柳を訪れた作者。

当時、芭蕉が眺めた柳とは代が替わっていたようだ。

しかしながら「苔むして太き幹なり」と、その柳の風格に接した作者の

感動が窺える。


三度ほどの懸垂を終へ掌の錆を払ひて今の身を知る

赤羽佳年


廃校の校庭の鉄棒で若き頃を思い出し懸垂を行なった作者。

三度ほどで疲れを感じたようだ。

結句に体力の衰えを、まざまざと感じた作者の寂しさがある。


ジュレ状の麻酔薬ごくんと吞み下し喉の痺れはときおかずくる 

水谷慶一朗


内視鏡検査前に呑むジュレ状の麻酔薬

「ごくんと吞み下し」の「ごくん」にその難儀さが、また「喉の痺れは

ときおかずくる」に、自身が直後に感じた疲労感を冷静に写しているよう

に思う。


先生の歌集読みつつすぐにでも歌が詠めると思つてしまふ(川又幸子歌集)  
松原節子


冬雷叢書第97篇 川又幸子歌集。

歌意も明快で難しい語句もほとんど無く作者ならずも、すらすらと読み

進める。

下句に込められた作者の率直な感想は、それとは裏腹に歌集掲載歌の

ようには、なかなか思い通りに作歌出来ないものだとの、作者の思いが

表されている。


電気の笠拭く事出来ぬ老い独り去年と違ふ悲しみのわく 

佐野智恵子


椅子や脚立に上がっての電気の傘の拭き掃除。

作者に取ってはその作業が困難な模様だ。

代わって拭く人も無い独りの暮らし。

作者の体調の都合か、同居家族の都合かは窺い知れないが、

去年までは行なえた掃除が、今年は行き届かない事への寂しさを感じる。


桂浜を後にし間なく「はりまや橋」を見損じまいぞ小き橋なり

櫻井一江


幕末の志士、坂本龍馬を生んだ高知を訪れた作者。

龍馬像のある桂浜を後にして、よさこい節に唄われる「はりまや橋」を訪れた。その有名な橋も「見損じまいぞ小き橋なり」と、思いの外に小さい橋で

あったとの作者の実感が伝わってくる


西日受け黄に輝く藤の葉の窓を透して部屋の明かるむ

有泉泰子


西日差す夕暮れのひと時。

陽の光が、黄に色付いた藤の葉を透かして作者の居室を明るく照らしている。青々とした葉を茂らせていた頃にはこのような事は無かったであろう。

作者は窓辺の光の強まりに季節の変化を感じたと思われる。


堅実な暮しにほはすバスの客買物袋に葱を覗かせ

荒木隆一


バスの車中で買い物袋から葱を覗かせた乗客を見掛けた作者。

付近でも容易に買える至極ありふれた食材。

それを乗客は出先から安価な物を見つけて買い求めた。

そう感じた作者は、その機転に堅実な暮しぶりを感じたのではなかろうか。


実際の誌面はこちら。

http://www.tourai.jp/tourai.html の14ページ目です。


なお、16ページには

「身体感覚を歌う⑫その名を呼ぶと」と題する橘 美千代氏の一文が

ある。14年共に過ごした愛猫との別れの内容だ。

ちなみに私の祖母は生き物を飼うのを嫌がる人であった。

その理由は唯一つ。

「死に目に会うのが嫌だ」というものであった。

祖母が亡くなった以降も、実家でも我々兄弟も動物を飼う習慣が今も無い。

個人的には愛玩動物を詠む歌は生涯無さそうだ。


  

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