歌誌「冬雷」2017年 4月号 私の心に残った歌 その6 | 北山の歌雑記

北山の歌雑記

短歌初心者の戯言
「うたは下手でもよい自分のうたを詠め」
目指す旅路の道中記

前回に引き続き歌誌「冬雷」4月号の中で、私なりに特に心に残った

歌を抜粋してみました。鑑賞・評などと大それたものでは無く  

私なりに選ばせていただいた理由を少々、記させていただきます。

(☆新仮名遣い希望者)  

尚、冬雷集感想の一部は後日


えくぼある中学時代の友人はとっくに皺よと笑いころげる

埼玉 本 山 恵 子☆


作者の中学生時代からの友人。

えくぼが印象的であったようだ。

久々に電話ででも会話したのであろうか。

作者がそのえくぼの話題を持ち出すや否や「とっくに皺よ」と

笑いころげた友人。

そんなくったくのない会話の様子が想像されて、微笑ましい。


正師範の許証を持ちて初詣で吟詠手向け師に報告す

東京 飯 塚 澄 子


吟詠の正師範の免状を得た作者。

初詣の際、その許証を携えて師の墓前で吟詠を手向けて報告した。

師匠が逝去しても慕う心、感謝の心に変わりのない作者。

師匠もさぞかしお喜びであったであろう。


散歩より戻りてえっと気付きたり千両の実が悉くなし

埼玉 田 中 祐 子☆


散歩より戻ってきた作者。

庭の千両の実がすべて無くなっていた。

わざわざ実だけを持ち出す人も居るとは思えない。

たぶん鳥の仕業であろう。

それも「散歩より」と長時間の不在では無かったようだ。

悉くなし」には、間を置かずにあっという間の出来事といった

雰囲気を含んでいるように感じた。


梅園の足湯に飛び交ふ中国語意味分からずも満ち足るやうす

福島 山 口   嵩


連作より熱海温泉に出掛けた作者。

熱海梅園の足湯に出向いたようだ。

団体客であろうか、足湯を楽しんでいる人々の間からは多くの中国語が

飛び交っていた。

そしてその歓声は、少なくとも作者の耳には満ち足りた様子に聞た模様だ。

そして言葉の違いを越えた共通の安らぎの存在を、作者は感じたのかも

知れない。


睦月半ば土佐の里山枯草の中にむつくり蕗の薹出る

東京 増 澤 幸 子


睦月半ば、つまり1月の半ば。

土佐高知の里山を訪れた作者。

草の中より蕗の薹を見つけた。

蕗の薹の茎はすぐに地上には伸びずに、まず横に広がる。

それを形容する「むつくり」の表現が、まさに言い得て妙といったところだ。


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