歌を抜粋してみました。鑑賞・評などと大それたものでは無く
私なりに選ばせていただいた理由を少々、記させていただきます。
(☆新仮名遣い希望者)
尚、冬雷集感想の一部は後日
えくぼある中学時代の友人はとっくに皺よと笑いころげる
埼玉 本 山 恵 子☆
作者の中学生時代からの友人。
えくぼが印象的であったようだ。
久々に電話ででも会話したのであろうか。
作者がそのえくぼの話題を持ち出すや否や「とっくに皺よ」と
笑いころげた友人。
そんなくったくのない会話の様子が想像されて、微笑ましい。
正師範の許証を持ちて初詣で吟詠手向け師に報告す
東京 飯 塚 澄 子
吟詠の正師範の免状を得た作者。
初詣の際、その許証を携えて師の墓前で吟詠を手向けて報告した。
師匠が逝去しても慕う心、感謝の心に変わりのない作者。
師匠もさぞかしお喜びであったであろう。
散歩より戻りてえっと気付きたり千両の実が悉くなし
埼玉 田 中 祐 子☆
散歩より戻ってきた作者。
庭の千両の実がすべて無くなっていた。
わざわざ実だけを持ち出す人も居るとは思えない。
たぶん鳥の仕業であろう。
それも「散歩より」と長時間の不在では無かったようだ。
「悉くなし」には、間を置かずにあっという間の出来事といった
雰囲気を含んでいるように感じた。
梅園の足湯に飛び交ふ中国語意味分からずも満ち足るやうす
福島 山 口 嵩
連作より熱海温泉に出掛けた作者。
熱海梅園の足湯に出向いたようだ。
団体客であろうか、足湯を楽しんでいる人々の間からは多くの中国語が
飛び交っていた。
そしてその歓声は、少なくとも作者の耳には満ち足りた様子に聞た模様だ。
そして言葉の違いを越えた共通の安らぎの存在を、作者は感じたのかも
知れない。
睦月半ば土佐の里山枯草の中にむつくり蕗の薹出る
東京 増 澤 幸 子
睦月半ば、つまり1月の半ば。
土佐高知の里山を訪れた作者。
枯草の中より蕗の薹を見つけた。
蕗の薹の茎はすぐに地上には伸びずに、まず横に広がる。
それを形容する「むつくり」の表現が、まさに言い得て妙といったところだ。