歌を抜粋してみました。鑑賞・評などと大それたものでは無く
私なりに選ばせていただいた理由を少々、記させていただきます。(☆新仮名遣い希望者)
夜の闇のマントに包まるわが住まひ十分ばかり物音途絶ゆ
東京 天 野 克 彦
よく学校の教室で室内を暗くするのに用いた暗幕。
その暗幕に覆われたかような外光の無いという作者の家屋。
周囲に隣家の家灯りも無く、ぽつりと建っているイメージが浮かぶ。
その漆黒の闇に包まれた中で、周囲より一切の物音が無くなったと言う。
そのような事は滅多に無いのであろう。
「物音途絶ゆ」に、その新鮮な驚きが感じられた。
小賢しく電話一本で金儲けを企むベルが朝に夕べに
東京 荒 木 隆 一
作者宅に掛かってくる電話。
大抵、セールスの電話の様だ。
「小賢しく」や「金儲けを企む」の語から、作者はだいぶ立腹のようだ。
それも「朝に夕べに」と、四六時中の対応に相当うんざりしている様子が
窺える。
自己流を捨て蕎麦打ちを習ひたり微妙な湿りを指は覚える
埼玉 嶋 田 正 之
今まで家伝に自己流を加えて蕎麦打ちを行っていた作者。
さらなる精進をと習い始めたようだ。
「微妙な湿りを指は覚える」と、その成果を確信した作者。
やはり物事はしっかりと「習う」事が、必要と感じた次第。
書きたいと思ふ言葉に出会ふのが書の創作の原点なるも
栃木 兼 目 久
「書きたいと思ふ言葉に出会ふ」事が出来ない作者。
それが「創作の原点」であるという。
創作の原点は書きたい言葉への出会いと、そこから発する衝動が
必要なようだ。
その言葉に出会えない作者の嘆きは深い模様だ。
それは結句「原点なるも」の末尾の終助詞の「も」に、端的に表されている。
移り来て五十余年のわが窓に富士の見えねば詠むこともなし
東京 赤 羽 佳 年
現在居住する地に、五十年以上経るという作者。
その居宅の窓辺から富士の山は見えないという。
その結果の「詠むこともなし」。
歌意は至って単純ではあるが、作者の作歌姿勢を窺わせる。