お元気ですか?
脳腫瘍が発覚した時から手術翌日に撮った分までのすべてのMRIをバタバタと揃えて、必要な医療書類は直接UCLAに送ってもらうなどの手配を整えて、UCLAから連絡があった5日後の水曜日にロサンゼルスに飛びました。
家をすでに売りに出しているので、合鍵を作って友人の不動屋さんに鍵を預け、セキュリティーシステムの解除と設定の仕方を教えて、黒猫サミーを動物病院に預けて、と出発前は目の回るような忙しさ。
急なロサンゼルス行きだったので、美容院に行く間もなかったのですが、出発の朝ふと思って、ロサンゼルス時代にお世話になった美容師のマキちゃんにテキストを入れてみました。
「急なんだけど、今日ロサンゼルスに行くの。もしかして2時過ぎとか空いてないよね?」
すると気持ちよく、
「今日はお休みで家にいるから大丈夫ですよ。2時でいいですか?」
と言ってくれました。
そこで到着して空港近くのホテルに落ち着いたら、さっそくお店に向かいました。
たまたまお店はウエストウッドなので、UCLAの近く。帰りにはUCLAに寄って、翌日に行くメディカルプラザの場所を確認することにしました。
さて、レンタカーで街中に出た途端、早くも渋滞で動かない。
やっとフリーウェイに乗ったら乗ったで、平日のお昼過ぎだというのに、これまた激しい渋滞。ロサンゼルスの渋滞はこの2年で、おぞましいほど悪化していたのでした。
信じられへ〜ん。そやから嫌いやねん、ここ。
余裕を持って45分前に出たのに、着いたらギリギリでした。
お休みなのにわざわざ出て来てくれたマキちゃんは、
「お久しぶりです〜。たまにどうしてらっしゃるのかなぁって思ってたんですよ〜」
と変わらぬ笑顔で迎えてくれました。
話しを聞くと、最近は渋滞が特にひどくなって、
「ここからサンタモニカまで1時間かかるんですよ。もう何時だろうが、何曜日だろうが関係なくて、いつでも渋滞してるんです。この頃は昔無料だった駐車場も有料になったし、ホントに住みにくくなりました」
ラスベガスはロサンゼルスに比べて道も広いし、「どこでも30分以内」の身近さに慣れたから、またこの醜い渋滞の生活に戻るのかと思うと、それだけでウンザリしてしまいます。
確かに灼熱のラスベガスに比べると、ロサンゼルスの気候は涼しくて穏やかだけれど、レストランやエンタメの充実度や移動の手軽さなど、生活のすべての便利さや住みやすさを天秤にかけたら、やっぱり私はラスベガスのほうが好きだと実感するのです。
大規模なハワイアンコミュニティーのおかげで、私の第2の故郷ハワイで好きだったものはほぼ手に入るし、第1クムやフラシスターたちは、私にとってとてつもなく大きな存在なのでした。
今の家は、これまで放浪癖もあって1カ所に6年以上住んだことのない私が、ようやく終の住処だと思える家でした。
すべて自分でデザインしたキッチンは、私のドリームキッチンを現実にしたものです。
主人が不治の病にかかって、頭の中では南カリフォルニアに一緒に戻ることに納得したけれど、キッチンを持って行けるものなら持って行きたいくらい。
あの家を売るのは、正直なところ断腸の思いなのでした。
今回の美容院は、私の中でまだ引きずっているさまざまな未練を断ち切るための儀式、というと大袈裟だけど、ワタシ的には覚悟に似た意味合いがあったのです。
というのもヘアに関してはこれまで、10月のフラのショーに向けてそれなりのコミットメントをしていました。
ショーまで髪の毛は切ってはいけない。
リタッチはいいけれど自分のナチュラルカラーでないといけない、などなど。
でも、もうショーに出ることはないので、髪の毛を切ることで心のケジメを付けたかった。
髪を切ったら、あのハラウもあの家もラスベガスも、すべて潔く諦められるような気がしたのです。
以前のようにリタッチして、ハイライトを入れて、5センチ切ってもらいました。
もうボリュームもいらないので、久しぶりにごっそり梳いてもらったら、にわかにラスベガスに引越す前の私に戻ったように見えました。
それにしても、やっぱりラスベガスは安いですね。支払いの段階になって、ラスベガスの倍近い金額でさすがビビりました。
そういえばラスベガスに越した当時は、毎回「そんだけでエエの?」と聞き返していたっけ。
最後の最後まで、往生際の悪いワタシです。
UCLAでメディカルプラザの場所を確認して、帰り道はグーグルマップに頼りました。
普通ならスッとフリーウェイに乗ればいいのだけど、とにかく渋滞がひどかったし、すでに夕方で輪をかけて渋滞しているのは目に見えていたので、グーグルマップで早く帰れる道を探してもらおうと思ったわけです。
すると延々裏道を通って、ずいぶん先でフリーウェイに乗る予定だったのが、直前になって、
「さらに時間を短縮できる道を見つけました」
などと言って、さらに裏道を走り続け…。
フリーウェイに乗ったのは、本当に最後の数マイルだけ。下りるのも本来よりも手前で下りて、また裏道を通ってホテルに到着したのですが、それでも1時間強かかっていました。
渋滞がなければ15分で着く場所なのに、美容院にいたのは3時間なのに、渋滞のせいで、ホテルを出てから帰るまで5時間もかかっていました。
そやから嫌いやねん、ここ。
ホテルに戻ったら、主人の友人ジョシュが来ていました。
思えばラスベガスのトレバーと友人の不動産屋さん以外、昔からの友人に会うのは手術して以来、ジョシュが初めてでした。
3人でホテルのレストランでディナーをしましたが、主人が席を外した時、ジョシュは私の目を捉えて、
「大丈夫?」
と労わるように聞いて来ました。
ジョシュが主人を見る目も、心の痛さが伝わってくるようでした。
それは反対に、主人の重病さを私に再認識させるのです。
私は手術直後の、頭に極太ホッチキスがびっしりと貼り付けられ痛ましい主人の姿を見ているので、それに比べたら信じられないほど劇的な快復を遂げているのですが、以前の元気な姿しか記憶にない人が今の主人を見ると、その落差が痛々しくて悲しさに襲われてしまうのだと気付きました。
頭の手術痕もそうだけれど、すっかり筋肉が落ちて、体重もずいぶん減ったので、目に見えて小さくなって、一挙に老けたのは間違いなく、毎日一緒にいる私よりもショックは大きいのでしょう。
今回のロサンゼルスでは、手術後初ということもあって、毎食のようにいろいろな友人と会ったのですが、ジョシュを皮切りに友人全員が例外なく哀しい眼の色になりました。
皆んな心から主人を愛してくれている人ばかりで、だからこそ実際に主人に会うと哀しみに押し潰されそうになるのは無理もないのですが…。
私はそれに気づくたびに、心臓を鷲掴みにされたように固まって怯えるのでした。
以前の主人はもういないのだと、友人たちの哀しみ色の眼が教えてくれるのでした。