athlete_poster[1]















「研ぎ澄まされた身のこなし」という言葉が、「動きの美しさ」につながることに気づいていきます。
そのことに気づいた写真家は、「アスリートデザイナ-」という分野を切り拓くのです。
あるいは、「報道写真の視点」を生み出しました。
アスリート自身は決して自分自身をそのように視ることのなかった世界。
そこを切り拓くのです。

「アナロジ-ラ-ニング」。
つまり、「喩え」のことです。
「縫いぐるみを抱くように」「体を棒のようにして」「髪をとかすように」「手の甲にもう一つの眼がある様に」などなど、言葉とイメージの連動です。
長嶋茂雄さんは、とっくの昔からやっていたことです。
ただし、感覚として、です。
いまや、それは、大切な視点としてアトリ-ト論のひとつになりました。
長嶋さんは、それを擬音や擬態語で伝える人でした。
それは・・・・・・。

「オノマトペトレ-ニング」。
「アナロジ-・・・」より、もっと感覚的に体の動きや振る舞いを表します。
「タンタン」「バ-ン」「ググッ」などなど。
これを価値あるものだと知っていて付き合うが否かで、身体運用への意識も変わります。
学生の学び合いも進歩します。

「報道写真の視点」も立場や役割の違いを浮き彫りにして面白い。
スポ-ツ新聞を4誌並べて比較しています。
「はっ」とします。
同じ事象をこうやって多様に視ることができる。
論点の強弱の違い、表現の違い、写真の引用の違い・・・・・・。
しかし、共通していること。
めがみえる人」の「ふつう」によって論じられていると感じています。
視覚によって多くの情報量を得ているぼくら。
ぼくらが、情報を操作しているのか?
果たして、情報が、ぼくらを操作しているのか?
デザインの魔力は、知らないうちにぼくらの行動を促しているのだとも、想いました。
知らないうちに余計なものを見続けたり、買ってしまったり・・・・・・。
ああ、恐ろしい!