長年正社員もしくは長期雇用と縁がなく将来の見通しが立たないから東海岸の親元へ戻った友達と、去年の末に、この人の旅立ち前にあった時の話。

 

 

彼女が " I  came here alone and now am leaving alone. My mother asked who I am driving with, and I had to say no one, so she thinks I have no friends. And I don't really have a friend. For 20 years I lived in San Francisco, I kept looking for a job, friend, and husband, but I didn't get any of them. " と不運を訴えていた。

 

私は内心、「なににせよやたらに高い理想を掲げて向こうから来るものは全部拒むくせに、今更自分を憐れむとは道理知らずなのでは。しかしこうして嘆いているところを見ると、いままでに彼女が話していた理想以外の選択肢も無くなってきたのだろうか。」と考えつつも、彼女にに言いたいことを言って収拾がつくほど親しい仲でもないので、まず"Are you sure you need to go back to the east coast?" と尋ねてみた。

 

"This is like an unwanted divorce with San Francisco. I am still in love with San Francisco, but I can not afford to live here anymore, and San Francisco is sending me a divorce paper.." と drama queen な彼女は小さな体から大きな声を出して空を見上げながら両腕を振り回して言った。そして何かを思い出したように、"Do you know Jack and Jill? (もちろん仮名)"と尋ねるので、いいや、と答える私。

 

健康な30代後半の同居しているカップルがあくせくと働くことを拒み、サンフランシスコのレント・コントロールの付いた安めのアパートに住んで、生活保護を受けのんびりとした貧乏ライフスタイルを楽しんでいるのだという。男性の方は週に一日働くか働かないかといった状態を望んで実行しており、女性の方は働いたことさえないそうだ。その女が自分のジムのメンバーシップ負担額はたったの$15ドルだと得意げに自慢したので、それは働く人たちの税金で賄われているのよ、と説教めいたことを言ってやったと私の友達は話していた。

 

"How come they can stay in expensive San Francisco, while I am forced to move out!? " とまたまたドラマチックな表現で叫ぶので、そういう大げさな話し方も理想的な友達や彼ができない一因じゃないの、いやこれはカリスマ狙いなのかなと思いながら私は "No one is forcing you to move out. You can still try landing a job in San Francisco, but you chose to leave because you find it better. Right?"と合いの手をいれると、"RIGHT! Because I cannot take advantage of the system like them." とそこへ戻ってしまう彼女。。

 

私のこの友達はあと2ヶ月なら生活できるだけの貯金がある時点でサンフランシスコから東海岸へ戻って母親の住む家に同居させてもらって職探しを行うことにしたのだ。彼女の友達、JackとJillには貯金なんてない。貯金がなくてもくよくよ心配せず、政府から受けれる助成金を受けれるだけ受けてのんびりすごす人たちなのだ。

 

 

行政のloopholes 穴を使って、 不当に自分の生活を楽にする人の例は、思いの外どこにだって、たくさんあるようだ。

 

 

 

最近私が目撃したところでは、病院に棲む日本のご老人たちである。

 

ある朝、看護師長さんがおしゃべり婆さんのベットに腰掛けて、優しくしかし確固たる態度で、「もうちゃんと治ったから家に帰らなきゃね。ここは救急病院だからベッドを空けてもらわないといけないしね。」と言っていた。看護師長さんが退室したあとで、おしゃべり婆さんは「ええ?うち帰らなあかんてゆうてはった今?」と騒ぎ出し、他の看護師さんが騒ぎを聞きつけて覗きに来て、「誰が帰らなあかんてゆったん?あ、看護師長さん?うん、ここは救急病院だからね、悪いところなかったら帰らなあかんよ。今すぐってわけじゃないけどね。」と宥めるように付け加えたけれど、おしゃべり婆さんはその日一日ブツブツと「帰らなあかんのかなあ。」と唱えていた。これは私に「うちは子供が近くに住んでてていつでも会いに来るよ。あんたもお母ちゃんのことが心配やろ。大阪に戻ってけえへんの?お母ちゃん連れて行ったらどうやの?」と言っていたおばあちゃん。この10日間おばあちゃんの家族が面会にきたことは一度もないし、他の人の話によると、実は息子の嫁と住むのが嫌で病院に避難しているらしい。

 

母のいる10人部屋の半分以上の人たちは自分で起き上がり歩いてトイレにゆくことが出来る。よく寝てよく食べて、起きているときにはちょっぴりだか随分だかボケた頭で同じ話題を繰り返し話している。誰の話を信じたものかと、話半分に聞いていたけれど、本人たちが直接話してくれた内容を継ぎ合わせても、半数のおばあちゃんたちは随分前にコケたり病気したことをきっかけに入院し、いろいろな口実で入院を長引かせたり病院を変えて、病院から病院を転居して、最低限の自己負担額を支払うことで生活しているらしい。

 

{半年近く入院しているお母様が介護施設に入るにあたって保証人には娘さんになって欲しいと言っている}との連絡を受けてタイから駆けつけた私を、もっと自分の側に呼び寄せて、「ここに入っていたらタダ飯食えるんや」と言った11年ぶりに再会した母に呆れた最初の日から2週間近く毎日病院に通って、日本の老齢化社会を以前よりも深く心配する経験になった。

 

下半身を布団でカバーしたままベッドで過ごす人たちのために暖房が25度以上に設定されているのか、コートを着て30分の道のりを歩いて到着したら、私はまずコートのみならずトップのシャツも脱いでヒートテック一枚で過ごすことも多いとても暑苦しい室内環境。時折加齢臭のみならずトイレ臭が渦巻いていたり、食後には一斉に昼寝する老婆達の、慎み深く布団を頭まで被って寝ている人もいれば、大口開けて大いびきかいて寝ているばあちゃんもあり、「ちょっと手伝って」「助けて」と呼ばれることもあり、老いる事の寂しさ、入院生活することの恐ろしさを垣間見た。

 

母も肌荒れだか虫刺されだかの耐えられない痒みがなければ病院に長居したかったようだ。

私の母が介護施設入居を決めたことが知れ渡ると老女達は口ぐちに「経済的に余裕があるからできることやね」「しっかりした娘さんに手伝ってもらえて、いいところ見つかってよかったね」「どんなところへ行きはるの?」「いくらぐらい掛かるの?」とそれぞれ羨望と興味も隠しきれない様子だった。

 

数日前に母が話を無視したことから母と敵対関係にあるおばあちゃんだけはそんな話が盛り上がっている病室の片隅で誰も聞いていないのに、一段と声を張り上げていつもの話題三本建て、とある植物と頑固な主人と寡黙な息子の話をしていた。