母親の居酒屋が所在する場所は、今でこそ転居者がたくさん増えて

サラリーマンや学生が多くいるベッドタウンとして発展いたしましたが、

そうした開発の波が訪れる前は鄙びた漁師町でありました。こうした

事情によるものか、この地域には気性の荒っぽい人が多いようです。

 

30年この地で商いをした母親が、お客様の愚痴を言うときの台詞は、

「お酒を飲みに外に出る人間にはロクな人はいない、まともな人間は

飲み屋に来ることは無い。家庭が正常なら飲み屋に来る道理は無い、

でもそうした人達がいるおかげで、お店の経営は成り立っている」と。

 

私は30代の頃に、某焼酎メーカーの営業マンとして、数年間の勤務

経験があります。母親の抱いたイメージを否定する気はありませんが、

全国各地の酒屋を巡りつつ、市場調査を兼ねて数々の居酒屋を知る

私には、それはその地域における、客層が偏る問題と感じていました。

 

母親がそうしたイメージを得るに至ったのは、当店に見えられている

お客様の多くが、酒癖を悪くする姿を日常的に見ていたからでしょう。

居酒屋の創業時には、お客が口にする話題も、ヤクザ関係のお話や

下ネタ関連ばかりで、頭痛の種たちと毎日戦っていたと言えそうです。

 

酒癖を悪くするお客様を、わざわざ集められている同業店もあります。

なぜかと問われる答えは、酒癖が悪い人ほどお金をよく使うからです。

私が勤める以前の母親の居酒屋も、こうした系列のお店でありました。

これも地域性を生かしたひとつの経営戦略で、スタイルになるでしょう。

 

当店の近隣の同業店は、スナック形式を取り入れたお店もかなり多く、

女性従業員に卑猥なサービスをさせる、またはお客にたかりをさせる、

お勘定を水増し請求する、席料を取る、お通しを有料にする、なども、

店主の経営戦略で決められるもので、これもスタイルと呼べそうです。

 

当店は居酒屋がベースですが、地域のご要望から食堂も兼ねていて、

正午から営業しています。お昼から使えるカラオケも設置しています。

このことから、一般の居酒屋のカテゴリーに当てはまらなくなるお店と

なってしまいますが、これもまたスタイルの一種になるかもしれません。

 

スタイルが個々に異なることは、お店の環境に左右されることも少なく

ないでしょう。また時代によっても、変化していくものになるのでしよう。

お客様を選ぶ取捨や、多種多様のサービスの中から選び出す才覚も、

息の長い経営を続けていくためには、必要になることかもしれません。