今日は前置きがもの凄く長くなりますので、写真は後の方になります。
禅語には、明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)という言葉があります。
その言葉を簡単に説明すると、「明らかにはっきりあらわれていて、少しも覆い隠すところがない」となりますが、例えば、自分の思ったとおりにいかないからと、周りにいる人たちに機嫌の悪さを撒き散らしている人がいた場合、あまりそんなことをする人の側には近寄りたくないと思うことも生きている上では山ほどあると思います。
そんな時に運悪くその場に居合わせてしまうこともあると思いますが、どうしてもその人の愚痴や相談を聞かなくてはならなくなってしまった時に、その人が肝心なところを省いて、自分にとって都合のいいところだけをかいつまんで話すことで、自分にとっての「味方集め」をしようとすることも結構ありますので、そんなことがあった時には、それもコントロールのひとつだと思って頂ければと思います。
それもその人が意識的ではなく、無意識にしていることもありますので、そんな時には出来るだけ巻き込まれないように、自分を守るための境界線(バウンダリー)を引いて、遠巻きに見ている方が楽かも知れませんね。
その時にその人が最初に話さなかったことを後から言って大事なことが解る、ということもありますが、そんな大事なことを後から知った時にその人の話を親身になって聞いている人が、「何でそれをもっと早く言わないのか!」と思ったり、「騙された」とか「利用された」と感じることもあると思いますので、その瞬間にその人に対する信頼というものがそこで崩れてしまったり、ドッと疲れてしまうこともあると思います。
そんな風に「ここがちょっと引っかかるなぁ」と思うような話を聞いた時には、その違和感というものを大事にしながら、その話に入り込みすぎずに、一呼吸置いて話を聞いた方が楽なこともあると思います。
それは何もアルコールの問題に限らずで、それも相談業務に就いている人にとっては、「あるある」ではないかと思います。
それとは別の話として、少し気になったことがありますので、これまでの話とは全く違う内容になりますが・・・。
公衆電話をまだ街中でよく見かけていた頃に、酔っ払った勢いで公衆電話から警察署にイタズラ電話をして、最寄りの警察署から警察官を呼び出しては、その場から逃げるという、タチの悪い遊びをしていた子どもたちを、以前に私が住んでいた家の近所でしょっちゅう見かけることがありましたので、その時に最寄りの警察署で110番の記録について訊ねたことがあります。
その時の解答が、「110番の記録は残ります」ということで、結果的には公衆電話を使ってイタズラ電話をしていた子どもたちは、その公衆電話の近くでウロウロしていたところを、現場に駆けつけた警察官から、かなり厳しく事情を訊かれる羽目になった訳ですが、そんなイタズラをする子どもたちの姿を我が家のベランダから見たり、街中で見かける度に、「そりゃあ、そうなるよなぁ」と思ったことがあります。
今はその頃のように、公衆電話を街中で見かけることが少なくなりましたので、近年はそういったイタズラとは別の形で110番をする方が増えたということをニュースなどで知ることもありますが、それも困ったものですね。
事件や事故の場合は出来るだけ早く110番をした方がいいと思いますが、その際に知っていた方がいいと思うこともありますので、こちらのHPも参考にして頂ければと思います。
例えば、これもあまり知られてないことだと思いますが(警察のHPにも書いているところもありますが)、110番受理台は、家の電話やIP電話、PHSや携帯電話であったとしても、110番をした時点でその場所の特定や、通話が切れた時に電話回線を保持することが出来るというシステムになっていますので、電波の状態が悪くて電話が切れたとしても、電話を折り返すことが出来るようになっています。
私も事故を目撃した時に、何度か電波の状態が悪くて電話が切れてしまったことがありますが、その時に折り返し電話がかかってきて驚いたことがあります。
また、警察に電話をかける際に「184」のボタンを先に押していたとしても、その非通知の電話番号を知る必要があると110番受理台が判断をすれば、その電話番号の表示がされるようになっていますので、その時に110番の記録も同時に残るということも知っておいた方が、事故や事件などを目撃したり、緊急の電話をする時に役に立つのではないかと思います。
110番受理台の機能のことを更に詳しく知りたいと思われた方は、総務省 |安全・信頼性の向上|緊急通報の機能 もご覧になって下さい。
緊急通報以外で、生活や安全に関する相談は、#9110 にご連絡をして下さい。
その際にも記録は残ります。
前置きが長くなりましたが、ここからは金魚の続きになります。
江戸切子(えどきりこ)の器が洒落てますね。
見たことのない金魚に驚きました。
ここにも丸っこい金魚がいました(笑)。
凄いところに目がついていますね。
この金魚も初めて見ました。
器が美しいですね。
ずっと見ていたくなります。
出しそびれていた写真も少しだけ。
ここではもみくちゃにされながら撮ったので、器がうまく撮れませんでした。
初めて見る金魚ばかりです。
この金魚も初めて見ました。
機会があれば、もう一度、見に行きたいと思いました。
次は、幕末から明治の「ビョウブリウム」です。
狩野芳崖の仁王捉鬼図(におうそっきず)。
※画像を出来るだけ見やすくするために調整しました。
音楽と共に鮮やかなプロジェクションマッピングで映し出されていました。
慈母観音像(悲母観音や子安観音とも)。
他のビョウブリウムもゆっくりと撮りたかったのですが、その時間がなかったのが残念です。
長くなりましたが、自分の感情を自分で処理をしていくために相談をする、ということもとても難しいことだと思いますが、真っ白な気持ちで明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)と物事を見るための謙虚さを失わないように努力をし続けるということは大事なことですね。