富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「左右の手にある義の武器」 コリントの信徒への手紙二、6章1~10節

2018-07-16 00:07:19 | キリスト教

                      ↑  使徒パウロとバチカンの聖ピエトロ寺院

 パウロは右手に剣を持っています。剣によって殉教したことを表すと同時に、剣はパウロが宣べ伝えた「神の御言葉」を表しています。「御言葉は霊の剣」(エフェソ6・17)であり、「どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通す」(ヘブライ4・12)と書かれているからです。左手には、御言葉を記した羊皮紙(書物)を持っています(テモテ二、4・13)。

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

  日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

  聖霊降臨節第9主日  2018年7月15日(日)  午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 佐藤 洋子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 497(この世のつとめ)

交読詩編   18篇26節~(あなたの慈しみ二生きる人に)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)コリントの信徒への手紙二、6章1~10節(p.331)

説  教     「左右の手にある義の武器」 辺見宗邦牧師

祈 祷

聖餐式    72(まごころもて)             

讃美歌(21) 411(うたがい迷いの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

        次週礼拝 7月22日(日) 午後5時~5時50分

        聖書 コリントの信徒への手紙一、12章14~26節

        説教題  「キリストの体」

        讃美歌(21) 141 390 24 交読詩編13篇

 本日の聖書 コリントの信徒への手紙二、6章1~10節   

 6:1わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。 2なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。 3わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、 4あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、 5鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、 6純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、 7真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、 8栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、 9人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、 10悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

   本日の説教

 コリントの教会は、パウロが第二伝道旅行中、一年六か月にわたり滞在して伝道してできた教会でした。コリントでユダヤ人夫婦、アキラとプリスカとの出会ったことは、彼らが皮テントを作る職人で、パウロと同業者であり、熱心なキリスト教徒であったことで、パウロの伝道活動との大きな支えとなりました(使徒言行録18章1~11節)。教会はまれにみる成長を遂げました。しかし、紀元51年にパウロが去った後、さまざまな問題が教会を襲いました。これらの問題について、パウロは「クロエの家の人たち」から報告を受け取りました(コリント一、1:11、11:18)。教会内に深刻な不和があったこと、性的不道徳や法的争いが発生したこと等、またコリントの人々自身がいくつかのパウロに助言を求める手紙を書いています(7:1a)。

  コリントの手紙一は、パウロがこれらの種々の具体的問題の質問に答えた手紙で、コリントの人たちをきびしく訓戒し、警告しました。第三伝道旅行中、エフェソに約二年滞在中、おそらく53年から55年に書かれました(現代聖書注解、コリントの信徒への手紙1、日本キリスト教団出版局2002年、p28)。手紙自身には、その年の春、五旬祭の前、エフェソで書かれたと言及されています(コリント一、16:8)。パウロはこの手紙を弟子のテモテに持たさせてコリントの教会に派遣し、問題の処理に当たらせました。しかし、コリントの教会の状態は、少しも改まらず、かえってパウロと教会の間は、険悪の度が増すばかりでした。そこで、パウロは決心して、彼自身、海を渡ってコリントにおもむいたのです。これはパウロの二度目の訪問です(コリントの手紙二、13章2節に「二度目の滞在中」とあります)。

 不幸にして、この訪問は失敗に終わり、パウロは会員たちとの会合の席上で侮辱を受け、エフェソに引き返さざるを得なかったのです。パウロはいろいろ悩んだ末、「きびしい手紙」をしたためて、コリントの教会に送りました。この手紙が、いわゆる「涙の手紙」(コリント二、2章3節)です。この手紙でパウロはコリント教会の人たちの忘恩的態度をきびしく叱責し、パウロに侮辱を与えた者を厳重に処分するように迫りました。この手紙はあまりにも苛酷なものであったため、パウロ自身後で悔いています(7:8)。2章4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」とあるのが、それです。

  パウロはこの手紙だけにまかせておけず、さらにテトスをコリント教会に派遣しました。パウロはトロアス(小アジア西北端の港)へ行って、そこでテトスを待つことにしたのです。トロアスでは、伝道の門が開かれて伝道は成功をおさめたのですが、早くテトスに会ってコリント教会の様子を知りたくて、トロアスの伝道を中途で打ち切り、対岸のマケドニア州へ船出したのです(2:12.13)。

ところで2章14節になると、パウロは突然、「神に感謝します…」と言います。この突然の変化は何によるのでしょうか。7章6節以下を見ますと、「気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました」とあります。テトスが思いがけない吉報をもたらしたためであることが分かります。

テトスの報告によると、コリントの教会の信徒たちは、自分たちの非を素直に認めて、悔い改め、パウロに詫びているということ、そして、今ではパウロを熱心に慕っているということを報せたのです(7:8)。この知らせを受けたパウロは、たちまち喜びに満たされ、神への感謝の言葉が口にあふれ出たのです。コリントの人たちを愛し、慕っていたパウロは、彼らとの間に信頼関係が回復したことに、深い慰めを得たのです。

  このように、テトスの報告を聞いて書き送ったのがコリントの手紙二です(おそらくいくつかの手紙を組見合わせたもの)。第一の手紙を送ってから約一年半位い後のことです。この手紙は、コリントの手紙一とは違って、コリントの教会の内部的な営みと深くかかわっています。この手紙では、パウロが経験した苦しみと喜びを中心として、教会に対し自分の使徒職を弁明し、その権威を説き、信仰の奥義を示しています。パウロは、他のどんな手紙よりも、自分の経験と告白をあからさまに語っているので、パウロがどのような人物だったのかをよく知ることができます。

 この手紙二の1章1節には、手紙の差出人、すなわちこの手紙を書き送るのは、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロ」です。「使徒」とは、「使者、特別な使命を帯びて派遣された者」という意味です。

 1章12節から6章までは、自分に与えられた使徒職の崇高さと偉大さとを論じ、自分が受けた神秘体験を語りました。この手紙は一度に書かれたものではなく、少なくとも複数の手紙を、パウロの死後、コリントでだれかが保存するために、一緒に組み合わせた手紙と思われています。「10章~13章」の部分が、2章4節で言及されている、いわゆる「涙の手紙」の一部ではないかと考えられます。この手紙は、56年か57年頃、マケドニアで書かれたものと推定されています。

 パウロは、キリストの十字架による贖いの死について、5章14節b、15節で次のように述べます。

 「一人の方(キリスト)がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。…その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」

 5章17節では、「だから、キリストと結ばれて人はだれでも、新しく創造された者なのです」と言います。更に、パウロは、神はキリストを通して、わたしたちを御自分と和解させ、その和解のために奉仕する任務を、わたしたちに授けてくださった、と、コリントの信徒に弁明します。神はキリストによる和解によって、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたと説明します。だから、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしていると説きます。

 「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(5章20b、21節)と、罪のない神の御子の死によって、わたしたちが罪なき正しい者と認められ、父なる神との交わりが回復される救いについて説き、記しました。

「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(6章1、2節)

パウロは神の救いの計画の中で、協力者としての役割を果たしているので、今彼らに訴えます。<神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません>。この勧告が必要となるわけは、人間の側の受け入れ態勢の不備で、恵みが実際に無駄になりうるからです。パウロは、イザヤ書49章8節を引用したあと、<今や、恵みの時、今こそ、救いの日>と言っています。神と和解させていただく必要が絶えずあるように、「今こそ、救いの日」であり、日ごとに救いを受け入れる必要が絶えずあります。「救いの日」とは、今日のことであり、それはキリストが戻られるまで続く日です。

 「わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。」(6章3.4節a)。

 3節以下は、引き続いてパウロの務めに対する弁護がなされています。伝道にとって大切なことは、伝える者の姿勢です。外の人々に対しては非難されないようにすること、内部の人につまずきを与えないように罪に敏感になることでした。パウロは伝道者としてどのように生きたのでしょうか。四節から十節までは、大まかに四つに分かれます。

「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、」(6章4b、5節)

第一の部分は、「大いなる忍耐をもって」という言葉が一種の見出しとなっています。それに続く九つの言葉は(三つずつ三組に分けられる)、パウロが何を忍耐したのかを、簡単に説明しています。その中には、「苦難、欠乏、行き詰まり」という外面的な逆境もあれば、「鞭打ち、監禁、暴動」という同胞からの虐待もありました。また、自分で耐え忍んだこともありました。「労苦」、すなわちぜいたくをすることができずに旅をしたことによって、あるいは自分で経済的な支えを得るためにしばしば働いたことによって、苦難と疲労があり、「不眠」、すなわち町から町へと休みなく歩きまわり、昼は生活のために働いて、機会があれば説教するので睡眠不足になり、「飢餓」、すなわち食することもこと欠き、持っているものを食する時間にもこと欠いていました。

「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。」(6、7節a)

第二の部分は、パウロは自分の動機を内面的に見つめています。「純真」とは、動機の純真さのことでう。「知識」とは、神がパウロにさせたいと願っておられることに対する深い理解のことです。「寛容」とは、喜んで愚かになり、他者に対する忍耐を失わないことです。神の正しいさばきに委ねる態度です。「親切」は寛容と共に聖霊の実とされています。他者へのいつくしみです。「聖霊」は、神の霊の働きであり、聖霊の恵みです。「偽りのない愛」は、外見的な見せかけの愛ではなく、兄弟たちへの真実の愛です。「真理の言葉」は信頼できる成実な言葉です。パウロはたくみなうそをつくことはありませんでした。最後に、パウロが日々示す資質から、その中で彼を支える「神の力」をあげています。人徳や努力の結果ではなく、神の力によってそうしてきたと証しをしています。

「左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。」(6章7b、8a節)

第三の部分は、パウロは武器の比喩を用いています。「右」「左」という言葉によって、自分に訪れる幸と不幸にたいして、備えていることを示唆しています。栄誉、恥辱、好評、悪評、何が起ころうとも、パウロは攻撃の武器(右手の矛(ほこ))と防御の武器(左手盾)をもっていました。<左右の手に義の武器を持ち>は、神との正しい関係を攻撃や防御の武器としていたのです。パウロに味方する人たちもいたが、極めて批判的な人もいました。彼らが何を言おうと、パウロは忍耐したのです。「順境に会っても逆境にあっても」、どんな境遇にあったも同じ不屈の態度で身を処することができる秘訣は、ひとえに<神の力>です。パウロとその仲間は、神の奉仕者であり、キリストの使徒であるがゆえに、このような生き方が可能になるのです。

 「わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(6章8b、9、10節)

 最後の部分では、もう一つの対立した組み合わせが示されています。ここにはパウロ心に描いていた違った対立、すなわち、世間の人々がパウロに対して抱く見方と、神の見方の違いが述べられています。パウロはユダヤ人からもローマ人からも罰せられたが、それでもなお死ななかった。人々はパウロがもはや価値がないと思って、心の底からパウロに手紙を書き、パウロは死んだも同然となりました。しかし、パウロは生き続け、神への情熱的な活動に生き続けたのです。

 「悲しんでいるようで、常に喜び」という表現では、パウロがしばしば陥った、二つの違った感情が、対比的に示されています。パウロはメシアを拒み続けるユダヤ人によって悲しませられてきました。しかし、パウロは喜ぶことができました。宣教の結果、回心者が起こされ、迷っていた回心者が信仰に立ち戻り、とりわけ神が自分のために、また自分を通してなしてくださったことを思い出す時に、喜ぶのでした。最後の二節で、パウロは再び内面と外面とを対比しています。パウロはこの世の基準では貧しくとも、神の恵みにおいては豊かでした。キリストの僕は、自分の持ち物で人を富ませるのではありません。自分が神から受けた恵みによって人を慰め励ますのです。わたしたちが神と結びついている限り、この世界のものはすべてわたしたちのものであります。神は必ず、働き人のために必要なすべてのものを与えてくださるのです。

 使徒職の根源に福音があります。神の証人を生かし支持する圧倒的なキリストの恵みがあります。ただその根底からのみ、勝利が、自由が、光栄が、湧き溢れます。

 パウロは、「左右の手に義の武器」を持っていると言います。「信仰によって義とされる」という表現が、新約聖書で最も重要な言葉のうちに含まれます。それは、キリストが私たちのために十字架で死んで下さった、それが私たちの罪をぬぐい去るためであったと素朴に信じるだけで、神は私たちの過去の罪をないものとして扱って下さり、私たちが、驚くべきことに、神の前でも正しいとみなして下さるということなのです。「義の武器」とは、神を信じる者を義として下さるということこそが、人々のほめる言葉やそしる言葉から自分を守る戦いの武器となるのです。人が自分のことをどのように評価しようとも、神はこんな自分を信仰によって受け入れて下さっている。これによって、パウロは、人々のほめる言葉や謗(そし)る言葉からは自由二生きることができたのです。パウロのキリストの僕としての生き方から、わたしたちも学びたいと思います。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「真理の柱である、生ける神... | トップ | 「キリストの体である教会」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事