RedWing-227系 / 宮島口駅 西広島駅など
久しぶりのRedWing-227系です。
天気は芳しく無い春ですが、ソメイヨシノの開花宣言よりも早く、菜の花が咲いていました。
晴れていれば、もっとキレイで爽やかな写真になるのでしょうが、これはこれで2024(令和6)年の春らしい写真です。
来年はスッキリ青空な写真になるでしょうか。
こちらも春爛漫な天候の写真ではありませんが、宮島口駅での写真です。
4番ホームに停車中の列車は、トワイライトエクスプレス瑞風ですが、今日の記事の主役はRedWing-227系です。
ただ、月末なのでこの記事自体が前座と言われても仕方ないかも知れません(笑)
去日に選り抜きUPしたRedWing-227系の写真と、上り列車発車の後追い写真と見比べると、9年の歳月が垣間見られたりします。
宮島口駅から、用事もないのに岩国行きへ乗って、ちょっとお散歩です。
宮島口駅1番ホームの広島寄りに、「見通し不良区間・下り本線」の標識があるので、RedWing-227系と合わせて撮ってみました。
そう言えば昔、南岩国駅でエトセトラの写真を撮った時、同じように見通し不良の標識を入れて撮りましたが、今はその位置はフェンスで仕切られて立入禁止になっています。
3番ホームに停車中の糸崎行きを見送って、次に1番ホームへ入線して来る、岩国行きに乗りました。
岩国駅の7番ホームにいると、後続の南岩国行きが入線して来ました。
A-64編成でしたが、ふと見ると″さくらサーカス″のポスターがラッピングされていました。
さくらの日の記事にも貼りましたが、広電電車にも″さくらサーカス″のラッピング車両がいて、なかなかな力の入れような広島公演のようです。
動物のいないサーカスですが、その代わり世界タイトルをいくつも取っている、ハイレベルなパフォーマンスサーカスです。
さくらの日 2024
・ | ・ | |||
▼本日限定!ブログスタンプ □桜の写真見せて! | ||
あなたもスタンプをGETしよう |
ただ春分の日を越えると、太陽高度が立夏に向かって急激に高くなり始めるので、仮に寒気団が再び降りて来ても、驚くほど寒くはなりにくい季節に入ります。
とは言え2007(平成19)年4月6日には、広島市内では雨だったものの、その雨は冷たくて山間部では積雪となった年でした。
去日には2011(平-成23)年3月16日に市内で雪が降った記事も紹介しました。
この2つ以外にも、凍える春・ほのぼのしない春と言った内容の記事を、4月に記している年があります。
今回紹介した2つの記事を、スクリーンショットで貼ってみましたが、2007(平成19)年4月8日には古江駅前で満開の桜の写真も撮影しています。
それは額縁仕様でUPした写真がそうなのですが、天気は芳しくないもののソメイヨシノとブルートレイン = 特急富士を、踏切待ちなどの邪魔を受けずに撮れた朝でした。
今年も負けずに寒い寒い極寒日本な春でしたが、両年に比べて2024(令和6)年は、なにより大雨が降り続いた年でした。
それでも25日、広島はソメイヨシノの開花宣言が発表されて、昨年より6日遅いものの平年並みとなる、桜のシーズンに入りました。
ブログスタンプを2つ貼りましたが、2月以上に本格的な冬だった春分の日、そして迎えた桜の日。
天候や気温がみだらに無責任な3月でしたが、春分の日から桜の日までの1週間は、特に激動な気象と気温となりました。
そして、縮景園の標本木に5輪以上が確認された日、平和公園でもソメイヨシノは咲き始めていて、観光客の目を引いていました。
そんな平和公園では、原爆ドーム北側(電停側)で、通り魔による殺人未遂事件があったようですが、運良く襲われた81歳の男性は無傷で済んだようで、何よりだったのですけど。
どこの家庭にもある通常の文化包丁が凶器のようですが、襲われたのは家族連れで来広された観光客らしく、両者の間には人間関係は存在しないようすです。
昔から春になるとおかしなヤツが現れると言いますが、浮かれてヘラヘラ ニタニタしてる風な おかしな人お気持ち悪いですけど。
こういう突然、見知らぬ人を襲って来る おかしな人も現れるので、桜の季節の訪れを喜んでばかりはいられません。
寒さも和らいでホッと安心して過ごしたくなる季節ではありますが、油断せずに暮らしていかなければなりません••••••••残念ですけど。
さて、ブログスタンプですけど「桜の写真見せて!」に応えて貼ったのは、同じくアメブロを始めた頃にUPした写真から選んでみました。
江田島の海上自衛隊 第1術科学校(旧海軍兵学校)に、樹齢120年以上を誇る″同期の桜″と赤レンガ校舎、そして宮島の厳島神社・多宝塔・五重塔です。
交差法での3D写真も1枚ずつ選んでみたので、立体視のできるの方は是非!
と言うことで、桜と言えば••••••••な、食べものもちょっと羅列してみました。
桜と言えば″桜うどん″なんですが、最近、桜そばなるものも発見して、かなり気になっているとこほでもあります。
″さくらの蒸しパン″や″桜餡の栗まんじゅう″、もちろん″桜餅″や″桜団子″は定番ですが、″桜あんの生八ッ橋″や″桜もちのもみじまんじゅう″も、外せない春の甘味です。
さて、ところで何で今日は「桜の日」なのかと言うと、さほど歴史的な裏付けは無いようで、3 × 9 = 27 の語呂合せと、「桜始開候」と重なることからなのだそうです。
桜始開とは七十二候の1つで、「さくらはじめてひらく」と読み、「桜の花が咲き始める時期」という意味があり、日本さくらの会は3月27日に制定したようです。
さて昨 2023(令和5)年7月1日は、現役最古の優等列車 さくら号の100周年でした。
さくら号は日本で2番の特急列車として登場し、現在も新幹線の列車名で走り続ける名門列車で、7月1日には さくら100年 の記事をUPしました。
日本初の特急列車は富士でしたが、特急富士は明治日本の国家威信を背負わした列車で、定期列車であるものの、現代の瑞風や四季島そしてななつ星などの豪華列車の元祖でもあります。
他に豪華編成で走っていたのは急行安芸のみで、特急さくらは特急富士の続行列車で、戦後のL特急の元祖と呼べるかも知れません。
豪華列車は特急富士に対して急行安芸がいましたが、庶民派列車は特急さくらに対して急行はやぶさがいました。
特急富士も急行安芸も既に廃止されてしまっていますが、特急さくらと急行はやぶさは現在、どちらも新幹線として走っていることは、歴史の妙として面白く感じます。
それと、この4列車の中で優等列車としては戦前から走っていて、戦後は寝台特急 = ブルートレインとして栄華を誇りましたが、急行安芸だけは戦後になってからの命名でした。
余談ですが、特急富士と特急さくらは日本を象徴するネームドですが、特急富士と急行安芸のヘッドマークは、現在どちらも世界文化遺産のデザインです。
そうそうもう1つ特急さくらの逸話を記すなら、急行はやぶさは急行安芸と同様に特急列車に準ずる列車でした。
デビュー当時は特急さくらのダイヤを譲って貰って営業運転を開始して特急富士の続行列車となりましたが、特急さくらは新しくダイヤを組まれて、関釜連絡船に主軸を置きました。
ブルートレイン時代晩年は、このさくらとはやぶさが併結列車となり、特急さくら はやぶさ として走ったのは、デビュー当時の編成共通運用へのオマージュだったと感じるのは、日本史好きな者だけの感性かも知れません。
と言うことで、話しは さくらサーカスへ変わります(笑)
イズミグループ LECT が招致して5月26日まで西区 商工センターで開催されています。
さくらサーカスについては既に以前の記事で説明しているので、あらためてここでは省略しますが、広電電車とJR 227系 RedWing で広告電車が走っているのには驚きました。
運良くどちらも写真に収めることはできましたが、先頭部にヘッドマーク等の装飾はどちらもありません。
春休みですし、広いエリアからたくさんのお客さんが、公演を見に訪れてくれたらいいなぁ~と思います。
ところで さくらサーカスですが、サーカスという移動劇団なのでたくさんのトラックがいて、会場を俯瞰で見ると圧巻なのですが。
駐車場には さくらサーカスの車が置いてあって、こちらも見ていて楽しい景観です。
リムジンやスーパーカーなど6台の車がいるのですが、私が撮れたのは5台のみで、直前に出かけて行ってしまったオープンカーは、残念ながら写真がありません。
リムジンはフォード リンカーン••••••••だよね? で、ルパン三世チックなのはミツオカ ラセードだと思うのですが。
自信を持って言えるのはコレ、シボレー カマロですが、この車をアメリカンスーパーカーと呼ぶのかモンスターカーと呼ぶのかは、好き云々なのかも知れません。
リムジンは何かいかにもサーカスイベントっぽい、華やかで嬉しくなりそうなデザインなのですが、カマロはピンク色がなかなかしっくりくるカッコ良さです。
ちなみにアメリカンと言えば、ソメイヨシノはワシントンにもあって日米友好の証しとなって、今もアメリカ人の憩いの園になっています。
ワシントンのソメイヨシノは、戦前の1912(明治45)年に日米の平和と親善の象徴として、日本から贈られたものです。
この寄贈は、紀行作家シドモア女史、当時のタフト大統領の夫人、尾崎行雄東京市長を始め、日米双方の多くの人々の尽力によって実現したものだったそうです。
当初は1909(明治42)年に、2000本の桜の苗木を発送したのですが、翌年ワシントンに届いたものの、不幸まことに害虫被害に遭ってしまって全て焼却処分となってしまったようです。
そこで1912(明治45)年に、今度は3,020本の桜の苗木が再び贈られ,同年3月27日にタフト大統領夫人と当時の珍田いわ駐米大使夫人によって、植樹式が行われました。
この時、贈られた桜は、兵庫県のヤマザクラを台木にして、東京の荒川堤の桜から採った枝を穂木(ほぎ)に接木したものだそうです。
この3月27日という日付が、さくらの日の由来だとロマンチックなのになぁ~と感じるのですが、制定の由来はあくまでも語呂合わせなんだそうです。
まぁ日付は一緒なので、日米友好に思いを馳ならも、1度は国の存亡をかけて戦争をして、アメリカは今のところ人類史上唯一となる、核攻撃をして終戦を迎えた事実も忘れてはなりません。
さくらは日本を象徴する美しい花な故に、日本の歴史も背負って儚く今年も咲き誇ります。
そんな満開の桜の下で、女の子としてかわいっぷりに身を包んだ、蟲柱 胡蝶しのぶさんと恋柱 甘露寺蜜璃さんを、インスタグラムへUPしました。
想いを繋ぎ 受け継ぐ者――鬼滅の刃 柱稽古編が 2024(令和6)年5月12日に、23時15分より全国フジテレビ系列にて放送開始です。
陽気の無い春
1日だけあったのよ。
少し薄ら寒い気がするのだけど、ほのぼの暖かい日がね。
ずっと天気が悪い日が続いて、今日も朝から雨が降り続いているのですけれど、1日だけ好い天気の日があったのよ。
春の長雨と言いますが、ちょっと冷たい雨が降り続き過ぎで、春雨とは呼べない風邪引き雨です。
ひと雨ごとに暖かさが増すこの頃の雨で、降り始めた頃は陽が沈むと手が悴み、指先が凍えて冷蔵肉の如くなっていたのですが。
昨夜は昼夜の寒暖差が4℃しかなく、冷たい雨が降っているものの、手が悴むことが無くなりました。
こうなるとイチゴも食べ納めになるかな?と感じて、最盛期よりも消費量が増えてしまっていたりする、今日この頃です。
生イチゴは特にテッパンですけど、マイブームなのが鯉城餅の″いちご大福″で、柏餅なみの肉厚餅で包まれた歯ごたえが、1度食べたら高依存性の中毒に陥ってしまいます(笑)
昔の時代劇で「春雨じゃ濡れてまいろう」と言う有名なセリフがありますが、これは坂本竜馬の僚友の勤皇志士 武智半平太をモデルにした、月形半平太の名ゼリフです。
言ったのは1回だけだったのですが、今では一人歩きしてキザだけどお洒落なセリフとして、認知されています。
ただ今の時代にマジで使うと引かれるセリフでもあるので、使いどころはサラッと流すジョーク程度が適切カモ知れませんね。
それに山間部では雪だったものの、沿岸部では落ちて来るまでに融けてしまった雨なので、傘も挿さずに濡れて歩いていたら、風情のある人ではなく、完全にかわいそうな人だったりします(笑)
日本海側や東北そして北海道のような気候と違い、温暖な気候の地域では雲が厚いのに太陽が透けて見えるのは雪雲です。
降って来るのは氷水なので、たちまち体温が奪われる、一目瞭然な雪と違って危険な雨なのですが、こうなると「春雨じゃ~」とは言ってられません。
こういう時に出てくるのは″鋼の錬金術師•FULL METAL ALCHEMIST″のOPで、シドの歌うレインです。
〽️ 雨はいつか止むのでしょうかぁ ずいぶん長い間 冷たい~ 雨はどうして僕を選ぶのぉ 逃げ場のない 僕を選ぶの~♪
この3日間の天気予報は当たっているので、恐らく29日までは雨が降ったり止んだりの繰り返しも、その通りになるんでしょう。
しかし1日だけあった天気が好かった日の前は、気象庁もウェザーニューズも全く機能してなくて、1時間毎の予報なんか実際の雨を後追いで、天気の表示してましたし(笑)
恐らく気象予報士も「どうして雨が降るんだろう」的な状態だったのかも知れません。
天気予報は過去の膨大なデータを元に、1時間先、半日先、翌日、1週間、1ヶ月の天気を予想します。
でもそこは人間の英知でありながら、人間の限界域でもあって、地球と言う巨大な惑星の気象は、偉大な自然現象の前に力が及ばない金剛界のようなもの。
予想を予報と呼ぶこと自体が烏滸がましいのですが、それでも私が子どもの頃に比べたら、的中率はかなり信用できるレベルに昇華しています。
にもかかわらず、全く予想が機能しないことも起こるのは、やはり自然は偉大だなと感じるところです。
ただ、そんなことは今はどうでもよくて、この雨は桜の咲く季節はずっと今年は続くようで、雨と曇り か 雨と晴 と言う1セット2パターンの桜花シーズンとなりそうです。
まぁしかし、雨が降り始めた頃は2月よりも寒かったものの、今は雨が降っても寒暖差が縮まって凍えなくなったことは、牛歩ながらも春化が進んでるんたなぁと感じます。
ただ、やはりせっかくの春なので、柔らかい陽射しの下でほのぼのしたいし、ワクワクルンルンもしたいですよね。
年甲斐もなくワクワクルンルンできるのは、1年でこの2週間程度だけなのにな。
残りの人生はどのくらいあるのかは分かりませんが、今年は無いとなると来年に期待するしかないものの、自分の人生に来年があるのどうかも焦点です。
目指せ生存10年とは威勢良く謳っていますが、1年がムダになるとなると、ちょっとそんなセンチメンタルに陥ったりしてしまいます。
・ | ・ |
▼本日限定!ブログスタンプ □散歩は朝派?夜派? |
あなたもスタンプをGETしよう |
x |
⭐ | ⭐ | ⭐ |
新幹線 LXXI 0系 / 京都鉄道博物館
京都鉄道博物館へ静態保存されている、初代新幹線電車 0系です。
流線形デザインは空力学的に突き詰めて行くと、無限に理想体へと近づきますが、航空機にしても自動車にしても、工業製品としては現実性として限界があります。
それは鉄道車両としても同様ですが、0系はその過渡期として成功した、世界をリードするデザインでした。
鉄道と言うシステムはイギリスで誕生し世界へ広がっていきましたが、より速くより強くという形が求められ、日進月歩の技術革新で進化してきました。
物体が移動する時、体感として1番に空気抵抗を感じることから、その対策に思考は巡ることになり、流線形デザインは自然的に発生しました。
空気抵抗を減らせれば、小さなパワーで大きなタスクを実行できると同時に、同じパワーなら膨大なタスクがこなせます。
鉄道車両ならタスクは、重量物や連結両数であったりより速い速度であったり、燃費効率や時間短縮そして物流量として恩恵が発生します。
そこで世界的に流線形デザインがブームとなり、日本でもC53形やC55形が試験的に流線形を纏うこととなります。
蒸気機関車としての流線形デザインはイギリスのマラード号が世界最速に輝き、表定速度としては満州国のパシナ形が一定の成績を修めました。
エネルギー転換政策は世界大戦後の近代化社会を席巻しましたが、ディーゼルエンジンそして電化によって、速度や仕事量は効率化が実現したものの、旧態依然とした技術システムの上に停滞していました。
そこで日本では空気摩擦を1から見直し、空気抵抗を低減させたことで発生する、脱線の原因である台車のローリング現象の抑制、高速域での加減速を自在とする動力分散式モーター。
そういった車体のシステムをコントロールする列車集中管理システムと、列車とコンピュータを結ぶ信号システム、その3点セットのパッケージを支える線路システムを開発します。
鉄道車両が200km/hを超えて営業運転をする世界初のシステムは、驚異と羨望の目を持って迎えられました。
鉄道の新しいカタチ••••••••それを世界に示したものが″シンカンセン″でした。
さて京都鉄道博物館の0系ですが、トップナンバー故に後の増備車にはない付属品が車体に付いていて、異彩を放っています。
走行距離 約556kmを200km/h以上で走り続ける体験は、人類にとって未知の世界であったため、後に安全確保のために使われなくなった付属品ですが、それは実はサボ受けでした。
試験車両には必要無かったために問題とならなかったサボですが、この一見無害な鉄道常用パーツが新幹線では、重大インシデントを巻き起こしかねない凶器でした。
この経験は後の車両開発において、とても大きな経験であったようで、後続の100系・200系・300系と続く車両開発では、ネジ1本にいたるまで空気摩擦を考慮する習慣が定着しました。
更に300km/hを超えると、別世界ではなく異次元となってくるため、500系以降の車両開発では可能な限り、シームレスに近づける設計となっています。
時速200km/hを超えて長距離を走り続ける鉄道車両の、その先駆けとなり見本そして手本となった0系は、まさに世界の高速鉄道のパイオニアとなりました。
さて、京都鉄道博物館では、インスタグラムにこんな投稿をしていました。
もし京都鉄道博物館から埼玉の鉄道博物館へ直通列車が走ったら?
まずは分断されている東京駅の線路を繋がないとダメですが、北陸新幹線が全線開業したら東京駅を介さず大宮駅へは、直通列車が運転されますよね。
将来へ繋がるカモ知れないネーミングなので、ちょっと夢がある面白いアンケートです。
ちなみに1号車の札の下へある銀色の額がサボ受けなんですが、そこへ列車名の札が差し込まれていました。
EF66-100 / 宮島口駅にて
宮島口駅で過去に撮影した、国鉄近郊形電車 115系をUPします。
トワイライトエクスプレス瑞風の宮島観光終了に伴う、宮島口駅停車中止を記念しての記事再編″宮島口の選り抜き写真第三弾″です。
この再編については、3月14日の RedWing-227系 / 宮島口駅にて で説明しています。
厳島神社 大鳥居と20系ブルートレイン 特急安芸をデザインしたアイコンは、この度の再編記事である標しです。
日本国有鉄道が廃止され、7社の鉄道事業者が創立されて、国の資産だった鉄道網を継承して開業したのが、今のJRグループです。
便宜上、国鉄分割民営化と言われていますが、国鉄を民営化した訳ではなく、JR7社を立ち上げさせて、それまで国の事業だった鉄道を、民間会社のJR7社へ引き継がせた訳ですが。
その際に国鉄時代の初期の新性能機関車を多く引き継いだJR貨物では、置き換えと増発用に国鉄型機関車を増備しました。
その内の1つが、EF66形 100番台です。
性能的には国鉄機 EF66形をベースに近代化した機関車ですが、技術的にはEF66形とEF210形の中間に位置し、次世代機関車の過渡期となる高性能機です。
近年は廃車が進みつつあるEF66-100番台ですが、2018年に発生した平成30年豪雨災害までは、EF66-0番台と共にEF200形やEF210形と共通運用が組まれていました。
平成30年豪雨災害は当初、平成30年西日本豪雨災害と呼ばれ、広島県は隣県である山口県・島根県・鳥取県・岡山県と、鉄道も道路も崩落してしまい日本のどことも、長期間に渡って繋がっていなかった時期がありました。
鉄道が復旧し関西圏や首都圏そして九州から貨物列車が走って来るようになると、セノハチ以西はEF210形とEF200形に統一されてしまいました。
今日の写真は2016年6月に、トワイライトエクスプレスが宮島口駅へ初停車する日に、駅の周辺で撮影したEF66形です。
さて、EF66-100番台はJRが造った国鉄機と言うことで、私のブログでは国鉄機と客車列車に分類しています。
RedWing-227系・EF210形・115系と、写真の片隅に意識的ではあるのですが、途切れた引き込み線が写っています。
線路がまだホームまで繋がっていた時代に、貨物取扱が廃止となった後に、用途廃車になった20系客車 ナハネフ22 + ナハネ20 が留置されてしまいました。
今回、アイコンを20系ブルートレインにしたのは、私のイメージの中で宮島口駅 = 20系客車が忘れられずにいるが故だったりします。
では最後に簡略ではありますが••••••••1935(昭和10)年11月に呉線が全通すると、呉鎮守府と対岸に海軍士官学校があることから、特急列車に準ずる急行列車″7•8列車″が運行されることになりました。
当時、一等寝台車と洋食堂車そして展望車を連結した列車は、東京~下関間を走る″特急富士″のみでしたが、呉線急行7•8列車はそれに準じて、一等寝台車 + 洋食堂車 + 展望車を含む唯一の編成でした。
戦争末期には優等列車が全て運休または廃止されているので、直接の前身列車とはなりませんが、戦後の早期に設定された呉線急行は1950(昭和25)年11月に急行安芸と命名され、1975(昭和50)年3月からは寝台特急 ブルートレインの仲間入りをしました。
さて神社の後ろを走っているブルートレインの写真ですが、厳島神社外宮 地御前神社本殿と、東海道 山陽本線 最後のブルートレイン = 特急富士 はやぶさです。
━JRF EF66 宮島口駅より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━
115系 / 宮島口駅にて
宮島口駅で過去に撮影した、国鉄近郊形電車 115系をUPします。
トワイライトエクスプレス瑞風の宮島観光終了に伴う、宮島口駅停車中止を記念しての記事再編″宮島口の選り抜き写真第三弾″です。
この再編については、3月14日の RedWing-227系 / 宮島口駅にて で説明しています。
厳島神社 大鳥居と20系ブルートレイン 特急安芸をデザインしたアイコンは、この度の再編記事である標しです。
実は宮島口駅そしてその周辺で撮影した115系は、そんなに多くありません。
どこに収めたか判らない、古いネガ時代でもあまり記憶に残っていません。
今回の再編では、デジカメ系で撮影した8枚を再掲載しました。
広島エリアから115系が引退と公式発表があった時、貨物積み込み用の側線 = 0番線の遺構となってしまっている引き込み線と合わせて撮った写真。
アイコンに20系客車を登用したのは、再編の選り抜き写真は全てこの引き込み線と合わせて撮影しているが故です。
まぁ広電電車は絡めて撮ることはできていないんですけどね、立地的に(笑)
宮島口駅でカープ電車もサンフレッチェ電車も、最後に撮れたのは良かったと言えるところですが、C-13編成 クハ115-608にも会えたのはラッキーでした。
待合室のガラス越しなのは少し残念かも分かりませんが、実は人が多かったのと足が疲れていたので、列車を一本遣り過ごしたのですが、それがC-13編成でした。
では、宮島口の記事を一括りにするための再編は、次回のEF66-100番台で最終回となります。
━JNR 115系 宮島口駅より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━
#ドライブしたいのは昼or夜 / サイバーエージェントの日
先週のミゾレの写真ですが、今のところあれが最後の寒波だったようです。
この1週間、快晴の日もあれば雨天の日もありましたが、夜中から朝にかけては一桁気温となるものの、日中は暖かな日々が続いています。
すっかり春らしく感じるようになりましたが、やや薄ら寒く感じる日は、薄着となったが故に冬よりもお腹が冷えたりします。
花粉も飛散量がピークへと向かっているようですが、飛散量は極寒の頃とあまり変わっていないのでは?と思える程度のアレルギー症状しかありません。
さて4枚の夜景ですが、撮影日は上2枚と下2枚は違っていて、3月13日と翌14日の西の空です。
日没時に太陽と共に沈んでしまう水星、そしてやや遅れて沈み太陽よりも早く昇る金星は、宵の明星そして明けの明星と呼ばれる隣星。
13日は沈み行く下弦の月の上に位置しており、14日は下弦の月の下に位置して、お月さまと一緒に入滅しました。
13日は共に入滅し14日は共に昇華するので、再生のツクヨミとヴィーナスの共演、洋の東西の神話の喩えは神秘的に感じますが、やはり宇宙そのものの方が神秘性は高く感じます。
そして最近、恒例となってしまった町猫のチビちゃんです。
ネコさんがまったりしていると、人間もほのぼのとしてくるのは、待ちかねた春の麗らの共有だから?
広島のソメイヨシノは、開花予想が3月24日頃、 満開予想は4月2日頃ですが、ヤマザクラなどは既に満開を迎えていて、春の訪れの安らぎとなっています。
きっとネコさんも、厳しかった冬との別離に、安心感で満たされているのかも知れません。
さて、このお月さまは2月23日の撮影ですが、寒い寒い夜の空でありながら、朧月なので春の夜の月••••••••みたいに見えます。
そして宮島線の踏切にあるヤマザクラが、満開だったので撮ってみました。
踏切の″とまれみよ″は、電車の接近を?それとも春の訪れを謳う桜を?と問いたくなります。
寒さにもう恐れなくていいんだよね?と、心の底から溢れる安らぎに、根拠の無いウキウキ感が芽生えてきます。
|
|
さて今日のブログスタンプは″サイバーエージェントの日″ですが、まぁ企業である以上は評価できる点と、やはり批難に相当する点があるのは、仕方のないところです。
最新技術の開発とサービスの提供、そして増え続ける利用者にそのデータ量とバックアップを考えると、メンテナンスと共に増設し続けなければならないメモリーシステム。
その経費と収支からブログサービスを終了する大手企業が、後を絶たないのも理解できる中で、アメブロの安定経営の努力には脱帽するばかりです。
と言うことで、昨日は漫画週刊誌の日だったので、ドライブするなら?の投稿ネタでインスタグラムにこんなのをUPしてみました。
広電電車 / 宮島口駅にて
広電 宮島口駅で過去に撮影した、広島電鉄の直通電車をUPします。
トワイライトエクスプレス瑞風の宮島観光終了に伴う、宮島口駅停車中止を記念しての記事再編″宮島口の選り抜き写真第三弾″です。
この再編については、3月14日の RedWing-227系 / 宮島口駅にて で説明しています。
厳島神社 大鳥居と20系ブルートレイン 特急安芸をデザインしたアイコンは、この度の再編記事である標しです。
ところで今さらなのですが、この再編の転載シリーズの写真は、あくまでも転載なので元データを使用していません。
既にUPした写真をAIデジタル加工しての、Re UPです。
と言うことで話しは変わるのですが、中国地方の観光振興に功績があったとして、宮島観光協会が3月14日に、中国運輸局の「中国地方観光振興アワード」を受けました。
観光振興アワードは2014(平成26)年度から、中国地方における観光振興等への功績が顕著な団体又は個人に対して表彰する制度で、宮島観光協会は初の受賞でした。
中村靖富満(なかむらやすふみ)観光協会会長が、1日中国運輸局長を務めたSTU48の信濃宙花(しなのそらは)さんから表彰状を受け取りました。
昨年の先進7ヶ国首脳会議 = G7サミットでの各国首脳や、増加する来島者へのおもてなしが評価されたそうです。
宮島の来島者数は昨年過去2番目の多さとなっており、アジアからの来島も増えている中で「多様化するニーズに応え、過去最高の来島者数を更新できるよう努力したい」と中村会長が宣言。
そして信濃宙花さんは「宮島はいつ行ってもすてき。いろんな方に楽しんでもらいたい」と笑顔で呼びかけていました。
播磨の信濃さんが安芸で1日局長?••••••••なんて冗談はさておき、観光協会会長の中村靖富満氏は宮島町の出身で、広島大学卒業後に実家の株式会社やまだ屋を継ぎました。
現在、もみじ饅頭及び和菓子のメーカーとして第2位の業績を誇る″やまだ屋″で代表取締役を務められています。
また、株式会社エフエムはつかいち専務取締役、公益財団法人ウッドワン美術館理事長、広島県菓子工業組合副理事長及び西部支部長を兼任されています。
あ!STU48の信濃さんは、兵庫県出身なので播磨の信濃さん••••••••と言うジョークです(笑)
RedWing-227系やEF210形と違って、広電電車は少し説明が必要かも知れません。
冒頭からの4枚の5000形 GREENMOVERは、1999年6月9日に挙行されたデビュー式典の選り抜き写真で、続いての3枚は本格運用が始まった頃のグリーンムーバーです。
方向幕のデザインが異なるばかりか、現在のグリーンムーバーは単色LED表示となっているため、かなり懐かしい写真なのですが世代によっては違和感を感じる写真なのかも知れません。
尚、グリーンムーバーと並んでいる2000形は2002+2003編成ですが、脱線事故 によって一足先に廃車となりました。
続いての2000形は2008+2009編成ですが、2000形引退ラストランだった2009年10月16日の写真からの選り抜きです。
ラスト5枚は3950形 GREEN-LINER 3951号 が、おりづるタワー ラッピングだった頃の写真ですが、宮島口駅留置線で撮った写真は行先表示が広島駅の方向幕です。
宮島口駅ホームでの写真では、既にLEDの行先表示に変わってしまっているのですが、12月末は未だ方向幕だったのにお正月にはLEDに変わっていたという、ちょっと衝撃的な変身でした。
と言う話題を繰り広げていますが、そもそも論なのですけれど、この宮島口駅そのものが既に無く、思い出の風景そのものであったりします。
さてこのラストの写真は、宮島口と阿品の町境付近の砂浜ですが、現在は線路と海岸の間に柵が建てられています。
ここも失われた風景ですが、そもそも海の中へ歩いて入って行かなくては、この風景は撮れないので、宮島口の原風景と呼んでいいのかどうだか、少し悩むところです。
しかし宮島口桟橋も港湾再開発で生まれ変わり、広電宮島口駅も移築されて生まれ変わり、移り変わってしまった町並みですが。
ここも後ろの山は開拓されてしまっているものの、砂浜と線路は宮島線が敷設された100年前の風景が••••••••安全性の問題であることは仕方ないですが、やはり残念に感じる″人知れずの風景″です。
表彰状を授与している様子や
— 信濃 宙花 (@soraha_stu48) 2024年3月15日
インタビューに答えている様子が
昨日のピタニューで放送されたのですが、
広島ホームテレビの
公式YouTubeチャンネルにて
放送された映像が公開されています✨https://t.co/3D0WShwZr0
お時間がある時に是非見てください!
と言った今回の記事ですが、信濃宙花さんのXに表彰式のツイートを上げられていたので、リンクを貼ってみました。
最後にもう1度 話しがかわりますが、昨日のJRダイヤ改正に続いて、広島電鉄でも3月25日の始発より、市内線全線および宮島線においてダイヤ改正が実施されます。
「お客様のご利用実態にあわせて運行本数や行先を見直します」とアナウンスされていますが、一部には乗務員と車両の運用の都合であることが、垣間見えてしまいます。
人口減少による乗務員不足もさることながら、乗務員募集も実施されていないことから、人口減少による減収が人件費削減→車両運用変更→ダイヤ改正なのかも知れません。
広島市ではなく広島県のデータですが、流入よりも流出が多い″人口流出過多″が、3年連続で日本一となっていると報道もありました広島です。
━広電宮島口駅より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━
EF210 / 宮島口駅にて
宮島口駅で過去に撮影した、JR貨物の機関車 EF210形です。
トワイライトエクスプレス瑞風の宮島観光終了に伴う、宮島口駅停車中止を記念しての記事再編″宮島口の選り抜き写真第二弾″です。
この再編については、3月14日の RedWing-227系 / 宮島口駅にて で説明しています。
厳島神社 大鳥居と20系ブルートレイン 特急安芸をデザインしたアイコンは、この度の再編記事である標しです。
今日はJRグループのダイヤ改正当日ですが、やはり第1級の話題は北陸新幹線の敦賀延伸開業でしょうか。
また山形新幹線では、最速達列車1往復を含む3往復に新型車両 E8系がデビューし、最速達列車は一部区間で300km/h運転を始めました。
さて今日の話題は機関車なので、在来線のお話しをするべきところなので、少し略歴チックなウンチクにまとめられたら良かったのですけど。
北陸新幹線の当面の終端駅である敦賀駅は、北陸本線の主要駅の1つであり、車両基地として敦賀機関区が名門機関区の1つに数えられていました。
今日UPしているEF210形は直流式電気機関車なので、今の体制下では交直流式機関区である敦賀機関区は無関係ではあります。
しかし直流電源区間と交流電源区間の境界エリアだった故、国鉄時代には米原機関区所属機 EF58形が、直流区間の終点として運用されていた時代もありました。
元々、敦賀駅までの路線は東海道本線の支線として建設された区間で、その後、北陸本線の開業と交流電化、湖西線の開業と電化の直流区間と交流区間の混在、21世紀になってから交流区間の直流化など、他線区とは異なる数奇な経歴があります。
北陸新幹線の延伸開業を機に、北陸地方の郷土史として北陸本線・湖西線の記事が、新聞や個人サイトなどで多く語られているので、検索で探してみられるのも楽しいかも知れません。
敦賀機関区として忘れてはいけない機関車は、蒸気機関車 D51形や交直流機関車 EF81形も名前を挙げておかねばなりません。
特に大阪~札幌を結んだ特急トワイライトエクスプレスの牽引機も、ここ敦賀機関区(敦賀運転センター)の所属機でした。
将来は未定ですが、在来線は敦賀駅までは未だJR西日本の所属路線なので、JR貨物としての敦賀機関区と、JR西日本の敦賀運転センターは敦賀列車区として存続します。
と、写真は全て再掲載なのでEF210形についての記述はしませんでしたが、ラストの1枚は厳島神社外宮 地御前神社境内からの撮影です。
そして下はリンクカードですが、まだ全ての宮島口駅の記事に対応はしていませんが、とりあえず主な記事は反応するように設定しています。
━227系 RedWing 宮島口より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━
いっそ敦賀-米原間は、北陸本線ではなく湖北線にでも改称したらどうか。
— Shiokaze Ishizuchi (@44164416mura) 2024年3月14日
2015年5月30日 木ノ本-余呉 pic.twitter.com/NNfITA9xpa
RedWing-227系 / 宮島口駅にて
さて、RedWing-227系なのですが、全て再掲載の写真となっています。
但し、同一記事からの転載ではなく、タイトルに宮島口と付かない記事へバラバラとUPされていた写真を、選り抜いて集めました。
何を選り抜いたのかと問われれば、宮島口駅で撮影したRedWing-227系の写真です。
どうして突然、こんな意味不明な記事の再編をやり始めたのか、と言うお話しなんですが。
このようなアイコン用のイメージ写真を作成しました。
テーマはさまざまに分散している宮島口駅での写真を、リンクカードで1括りにしてしまおうと言う計画です。
2007年~2024年の宮島口駅の記事を括るため、宮島口のタイトルで記事化していない写真を選り抜いたのは、そう言う訳がありました。
では、そもそも、なぜそうしようかと思い立ったのかと言うお話しなんですが。
トワイライトエクスプレス瑞風が、今秋限りで宮島観光を終了させるとの発表をJR西日本が行い、また1つ優等列車停車駅の経歴が過去のものになろうとしています。
最後の定期列車だった特急が停車していたのは、特急あさかぜがラストでブログでも過去にUPしています。
他にも115系 クハ115-608を有したC-13編成など、宮島口で撮影した写真もあって、埋もれては勿体なく感じるものもあります。
街並み散策も広電電車の写真もJRの記録も、テーマとしてバラバラに存在していますが、これらをリンクカードにて括ることで、埋もれてしまうことを未然に防止したいと言うお話しでした。
今回はその趣旨の説明もあって写真はRedWing-227系としましまが、各テーマで分散している写真は一通り選り抜き記事にします。
ダイヤ改正もあって話題が豊富なタイミングで、少し面白く感じない記事の更新となってしまいますが、宜しくお願い致したく思います。
さてこれまで通り説明して来たものの、1つだけ例外の写真を混ぜるのですけれど、住所的には宮島口ではなく地御前なのですが、厳島神社外宮 地御前神社付近の写真も選り抜きの中に含めます。
今日の選り抜き写真は宮島口駅での駅撮りばかりですが、ラストの1枚は地御前神社から踏切を挟んだ場所にある如来堂••••••••そのバックを行くRedWing-227系です。
そして下はリンクカードですが、まだ全ての宮島口駅の記事に対応はしていませんが、とりあえず主な記事は反応するように設定しています。
━227系 RedWing 宮島口より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━