115系 ー しなの鉄道 S16編成
しなの鉄道115系、今回は横須賀色(スカ色)のS16編成です。
戦後、横須賀線にデビューした70系を祖とする、伝統の配色です。
その爽やかさと落ち着いた雰囲気から人気の高い配色ですが、私も一番好きなデザインです。
小さい頃、横浜の戸塚で暮らしていた頃は、戸塚駅は東海道線を走る湘南色は通過していました。
鎌倉方面や東京方面へ行くには、横須賀線の電車に限られており、私個人のノスタルジックな思いも、このスカ色にはあります。
ちなみに東海道線・横須賀線を走っていたのは113系で、中央線の115系とはフェイスペイントが少し違うんですけどね。
コカコーラ色の時にも言いましたけど、スカ色もすぐに現れてくれて、とてもラッキーに感じました。
長野車両センターへ行くのに北長野まで、このS16編成でした。
うーん・・・・お庭があるなら、家に置いておきたい気分です。
スカ色の由来は横須賀線にてそのカラーリングが採用されたことに端を発します。
1889(明治22)年に、大船から東海道本線を分岐する形で、日本海軍の軍都として発展した横須賀までを結ぶ、軍用線として開業しました。
1925(大正14)年に横須賀線全線が電化され、1930(昭和5)年には東京駅~横須賀駅間で電車運転を開始しました。
横須賀線の電車には当初からグリーン車(2等車)が連結されていましたが、その塗色はチョコレート色をまとっていました。
戦後になっての1950(昭和25)年には東海道本線にて80系電車が登場し、湘南・東海地域のミカン畑をイメージしたツートンカラーで運行を始めていましたが、緑色の塗装は航空機メーカーや軍航空基地で廃棄処分予定となっていた塗料の再利用でした。
翌1951(昭和26)年には横須賀線にも70系と呼ばれる新型電車が投入され始めましたが、東海道線の湘南色に対して海と砂をイメージさせた配色は、70系電車デビューよりも一足早く採用となりました。
東海道線の80電車の編成単位の置換えと違って、横須賀線では戦前型の車両単位で順次差し替えとなったため、スカ色の旧型国電も多数存在しました。
首都圏の新型化が進むにつれ、使用状態の良い旧型国電は地方ローカル線へと転属し、スカ色の車両も他線区で見られるようになりました。
中央線にもスカ色の旧型国電や70系は進出し、1966(昭和41)年の中央本線松本電化の折りに115系が投入され、旧型国電は廃車となりましたが、70系とは当初は共通運用だった故に、115系もスカ色となりました。
1975(昭和50)年3月のダイヤ改正では115系300番台車を新製投入し、冷房化によって70系は淘汰され、捻出された70系は呉線に転用されました。
広島カープが初優勝した1975(昭和50)年には、私は小学校5年生で既に広島で暮らしていたので、横須賀で見馴れた113系ではありませんでしたが、再びスカ色の電車を身近に目にすることとなりました。
親は代々広島なので、地元に帰ってきたことになるのですが、その年は1970(昭和45)年で、この頃には111系が広島へ配備され始めた頃でもあったため、湘南色とスカ色の混結編成がしばらく走っていたのを覚えています。
最後はオマケだったりします。
せっかくなのでスカ色祭りです。
まずは『70系クハ76と52系クモハ52』の写真と『115系クハ115と113系クハ111の離合』の写真。
そして大きいラストの写真は、大月駅で並ぶ『115系クハ115と51系クハ68』でした。
あまり深く考えないよーにね(笑)
あ!そうそう、文章の流れでスルーしてしまいましたが、長野車両センターでJR東日本所有のクモユニ143を見つけられました。
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昨日は日記の日だったってコトで、スカ色の歴史と自分の思い出とを被せての記事にしてみました。
ちなみに113系はスカ色と言われて、115系はそれと区別するために山スカと、当時は呼ばれていました。
他線区へ転出した旧型国電や70系や塗り替えされるまでの111系などは、普通にスカ色と呼ばれていたので、中央線の115系は特別な思いがみなそれぞれにあったのカモ知れませんね。
ところで小さな親切の日はともかくとして、なぜ小さな親切をした?って質問されるんかねぇ。
親切じゃなくて、わざわざ小さな親切じゃないといけんのんかね?
親切じゃなくて、わざわざ小さな親切じゃないといけんのんかね?
あぁ、重箱の角を突っつくのは、やめよう。
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ゑ |
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