また兄の話です。
以前にも記載した通り、私の兄は塾にもいかずに東大に現役合格したツワモノです。
この兄がまた、同じ兄妹でなぜこれほど優しさに差がでるのでしょう、というくらい優しい男であります。

で、一時帰国中にディズニーランドに行っていた際、夜にホテルにきてくれて、
朝まで生テレビ
バリのトークを母と3人で繰り広げていたのであります(息子ちゃんはさっさと就寝)。

で、話は東大に。

「お兄さん、どうやって勉強してたの?」
ってよく聞かれるんだけど。

「東大なんて運なんだよ」

???  ←私と母

「まあ自然に上を目指すように仕向けられて、勉強したら受かったんだけど、そういうことではなくて。


たまたま、自分の能力が社会で評価される基準に合っていただけ。
これが、美しい絵を書く、きれいな字を書く、
といった試験なら受かっていない。」


そんな考え方があったとは。


確かに、例えば武士の時代にいわゆる5教科ができたところで、武道がダメなら評価されないわけで。

更に言えば、小・中学校時代はお勉強のできる子よりスポーツのできる男の子が人気があったりしますよね。

兄曰く、

たまたま、自分のもっていた能力が
日本の学力試験制度、
そしてそれを基準に評価する現代社会
にうまく合っていた、
ということで、
それは持って生まれた「運」ということだそうです。

そして、
安定した家庭、
(貧乏でしたが)金銭的、精神的不安もなく、勉強に向かえた環境、
それら全てが「運」なのだと。

東大を含む有名大学、と呼ばれるところの学生は、それらの「運」、与えられた恵まれた環境に気づかずに、自分の努力だけで合格したように思っている人が多すぎる、と。

確かに、受験勉強も大変ですが、家庭の状況からそもそも勉強できる環境にない子もたくさんいるわけですから、障害物なくスタートラインに立てるだけでかなり恵まれている、とは言えます。
とはいえ、血を吐くような努力でみなさん合格していると思うので、努力を認めてほしいという気持ちも痛いほどわかります。

ちなみに、

我が夫は、どちらかというと、いやどちらかと問う前から兄とは正反対の、

俺は努力で道を切り開いてきたぜ

的な男で、それはそれで頼もしく見え、そんなオレ様男と結婚するに至ってしまったのですが。。


捉え方は正反対の兄と我が夫ですが、
二人とも恵まれた環境で、かつ、努力する才能と、学歴社会に必要とされる能力を持ち合わせていた、ということなのでしょう。


そして、ふと思ったのは、
これからの社会、
このIT技術というか、よくわからないAIなるものがでてきた時代に、
東大に代表されてきた学歴社会、受験制度はどのくらい意味をもつのか、ということです。

この全てを瞬時に検索できる社会で、
年号や化学式、生物の部位、意地悪数学問題の解法パターンの暗記がどれほど役にたつのか。

日本の学校制度も社会の変容に合わせて進化することができるのか。

つまり、息子ちゃんにはいわゆる「お勉強ができる」とは別の運が必要な社会になるかもしれない。


恐らく、息子ちゃんが社会に出るであろう20年後の社会は、かなりの仕事がAIにとって替わられているのでしょう。

なんとなく思うのは、いわゆる 「勝ち組」 になりたいならAIを作る側の人間にならなければ、と思うのですが、どうしたらなれるのかさっぱり。

ま、息子ちゃんに考えてもらおうと思います。


前回記事を書いた際に、友人より
着るもの、食べるもの、住む家があることに有り難みを感じられる子に育てれば、きっと真っ当な人生を歩めるよ、
ってコメントをいただいたのですが、

そう、AIを作れる側になれなくたって、
まず人間として、衣食住に、与えられた環境に、その運に感謝できる子に育てられたら、
後はその子の「運」を信じるのみ、
かな。



ま、それがまた難しいのだけれど。






ご参考