見捨てられて不安 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

毎日、朝が来るのが怖くて仕方がなくて
夜になると寝たくないなと思ってしまいます。
生きることさえも努力を必要としてしまっている自分が情けないです。

でも、何やかんや遅くなってしまおうとも夜に眠りきちんと朝を迎えるという、生き延びている、そんな日常生活を送れているわけですから、そんな自分を少しでも褒めてあげなければならない。

私が自分のことを日に日に弱っていくような人間だと感じてしまうのは
自分の考えている自分像に対する理想がどんどん高くなっているような気がしていて、そういったことも原因の一つであるのかなと感じています。


まだ、私が休学を決断していない時期、主治医には凄く休学を勧められていたのですが
「限界まで頑張りたい」と言い、返ってきた返事が「そんな限界まで頑張る必要なんてないのにね」でして、主治医には精神的に救われているので本当に感謝しております。

そして、本当に限界を感じてしまって急に休学を決めてしまったのですが(4月まで普通に休学せずに大学に通う気満々でした)、


実は仮に休学するとしたら、
主治医に勧められている「弁証法的行動療法」を実践させていただくか、それとも本当の夢を追いかけることに時間を費やすかということに凄く迷っていたんです。

弁証法的行動療法は一年をかけて行う治療法なので、いくら任意入院とは言え
EMDR程、融通の利く入院生活は送れないであろうと思い
そんな中でこんな私と関わってくださってる方に忘れられてしまうのではないか、見捨てられてしまうのではないか、
といった不安から抜け出せずに中々踏み出せずにいました。

というわけで後者を選択しました。

そういった不安から抜け出せることができたなら良いのですが、
自分なりに弁証法的行動療法を調べた結果としては、内容的に
まず自傷的な、自己破壊的な行動を禁止することを約束するというようなことが含まれていましたが
それに対して凄く恐怖心を覚えます。

もしそれを辞めざるを得なくなってしまったら自分で自分を保てなくなってしまうのではないか、と。

もちろん、私のことを大切だと感じてる方々がいるのは頭では理解してるのですが、どうしても頼りきることは難しくて
精神的に頼るにしても、
相手にとってこの程度は支えられるけど、これ以上は流石に無理だなといった境界線は必ずあるじゃないですか。

人間だもの(笑)。


二極思考に近いかもしれませんが、それなら自傷や自暴自棄になったりして自分で自分を埋めた気になった方が断然マシなのではないかと。

そう実感させられた過去もあるんですけどね。

私なんかが精神的に人を頼ってしまったら、迷惑をかけてしまうのではないか、
少しでも相手に弱音を吐いてしまったら相手は私のことを頼りづらくなってしまうのではないか、見捨てられてしまうのではないか、なんて考えたりして(私の場合は特に友人関係かな)。

母親に友人とこんなことがあったよって日常会話のように普通に話をすると

何でそんなことで我慢するのよ、勝手にさせとけばいいのに、私ならそんなことしない

って言われたりするんですが、私にとっては我慢といった感覚ではなくて

それさえも自分が必要とされていると錯覚のできる貴重な時間だったりするんです。

だから例え仮に無意識の心底で無理をしていたとしても
私がそれ(我慢?)を優先していない限りは

私は頼りにされている、そういう存在であり続けることでしか私は人に必要としてもらえないのかもしれないという恐怖が付き纏うわけですから

何やかんや逆に助けられている部分の方が優っているのかもしれないです。
精神的にね。

もちろん、環境が変化していくに連れて見捨てられるも何も

会う頻度が減ってしまったりだとかいうことは当たり前なのですが
いざという時に私を一番に頼って欲しいし、何か誰かが辛いことがあった時に私の存在が片隅にでもあって欲しいと願うのです。

一人でも多くの人にとってそういう存在でありたいと強く思うんです。

だから私には気を遣わずに、心を許して、何でも話して欲しいし
と思ってしまうことさえも私のエゴならば本当にとんだ最低な奴だなと実感させられますが

もちろん、それだけではなく
色んな人の話を聞くと私の知らない世界を知ることができたり、視野や価値観が広がったり、より多くの痛みを知ることができたり、それを吸収することで私の中でそれが力になり変わっていくのならば、非常に有難い話です。


人に恵まれている(と感じてます、やや都合の良い存在ではあるかもしれないですが(笑))と頭では理解してるし理解しようとしてるのに、いつまでも孤独を感じてしまう自分にはガッカリしてしまいますし、申し訳ない。

こんな病気になることも過去のトラウマが引き金となってどうのこうのとありますが

病気のせいにしてしまうということは、病気だから仕方ないって開き直ってしまうことにほぼ等しくなってしまいますよね?

それもそれで嫌で、理想が高いのかどうか知らないんですけど。

そもそも治療さえもあまり信じることができなくて(笑)。
この治療で治らなかったら私余計に苦しい想いをしてしまうだけなんじゃないかって逃げ腰になってしまっていて、

かといって休むことで治るようなもんでもないのは重々承知していますし、

どうして私は境界性パーソナリティ障害になってしまったのか、原因を探れば探るほど一つではないとは思うんですけどね。



まぁとりあえず色々深く考えすぎ(笑)!
解ってる、頭ではちゃんと解ってる(笑)。
どうしても思考や感情が止まらなくてすみません。

いつか、私の願う自分になれることを信じてきっと今日もなんとか生き延びたんだと思う。
死なないように頑張って生きなきゃって思ってるうちはまだきっと救われているはず。

全ての希望を捨てているわけではないはず。
だから生きているはず。

私が少しでも強くなれますように。
いつかそんな日が来ますように。

あわよくば、自ら命を絶つ未来しか想像できないような現状をいつか変えられますように。

それを諦めるまでは生きて生きていくんだよ。



なんて前向きぶっちゃったりして(笑)。