いよいよ、松山市の中でも最小の町


いや、西日本でも最小かもしれません。


人口がお一人の梅木町。


そして、もうひとつ、
現在、こちらも人口が3人の町。上総町。

 

 

一応、常会区分は梅木・上総と、セットでよばれることが多いですが、

もちろん、ここでは現在、常会が開催されることはありません。

 

 

そんな梅木町、上総町ですが、
この町の魅力を、
上総町にお住いになられてる、みよしきくおさんと、

梅木町にお生まれになられて幼少期から青年期まで
梅木で過ごされた、おおしたとしあきさん。


お2人にお話しをきくことができました。



写真は、みよしきくおさん





こちらは、おおしたとしあきさん


お話で上がってきたのは・・・3点ほどありました。

 

 

●子安観音

 

●月の輪

 

●梅木の先にあったとされるお城?竹屋敷?

 

 

 

 

まずは、●子安(こやす)観音・・・

 

 

 

梅木からほとけが峠。


道中にある、お地蔵さま。このお地蔵さまは
子安(こやす)観音と呼ばれているとのことでした。

 

 

昔からこのお地蔵さまに安産祈願を
される方が多くいらっしゃるとのことでした。

 

 

 

 

そして、●「月の輪」と呼ばれる、はげ山?


大月山の一部なのか、どうなのか?は、
さだかではありませんが・・・

 

 

上半分が旧北条。下半分が松山。と。
そのように見える、はげ山 のことだそうです。

 

 

 

 

最後が・・・大月山にいく方向に、
●竹屋敷 とよばれる、お城があったそうです。

 


おそらく、これは戦国時代とか、
古い時代のお城のようです。


このあたりのお話は、また、公式ホームページを
更新の際に、ビデオ動画で、ご紹介できるので、
そちらをご確認いただけましたら幸いです。

 



今回、お話しいただいた、きくおさん、としあきさん、は、

当日は、用事もあり、ご一緒に現地確認とはならなかったですが、
梅木町、上総町の貴重なお話を聴くことができました。

 

 

翌日(本日)、ご都合がついた、おおしたとしあきさん、

そして、まちづくり協議会 おおしたただゆきさん、と。

お二人の大下さんに現地までのご案内をいただきました。

 

 

軽トラの荷台からです。

 

 

すごい奥まで登っていきます。



途中まで上がったあと、途中から徒歩です。

 

 

 

ただゆきさん、凄く早く上がっていかれてます。

 

 

私はついていくのが精一杯でした。

 

 

登りきったあたりにありました。


こちらが、子安(こやす)観音です。

 

 

諸説ありますが・・・

 

 

昔、千蔵という人が、四国八十八か所の霊場巡りをした時に、

子安観音様を受けて帰り、庄屋と相談して、この地に祭られたそうです。

 

 

その他にも、生き倒れた妊婦さんを昔、この地域の方々が助けたそうです。
その妊婦さんが、その後、お元気なられ、のちに、お地蔵さまを残したという説もあります。

 

 

今でも、お祭りや節分の豆まき、掃除などをしており、年に4・5枚の
新しいよだれかけを観音様にかけ、安産祈願に多くの人が訪れているそうです。

 

 

また、大正時代まで、お祭りの日に村の人が集まり、
おにぎりを配ったり、相撲をとっていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

あちらに見えるのが「月の輪」だそうです。

 

 

 

上半分が北条。下半分が松山!?

 

 

昔は、はげ山だったらしいです。

 

 

 

おわかりいただけますでしょうか?手前の木が茂ってる向こうにある山です。

 

 

 

竹屋敷に関しては、今ではもう確認することが大変難しいとのこと。

 

 

したがって、今回は2つだけでしたが、大変、奥深い現地確認でした。

 

 

 

ただゆきさん、としあきさん、貴重なお時間を本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

これで、五明地域全ての情報が上がりましたので、
次回は、いよいよ全体発表会です。


本当に今から楽しみでなりません。






お世話になります。
ブログを読んでいただきありがとうございました。
もし、よろしかったらですが、
人気ブログRANKING
1クリックいただけましたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします(*_ _)人

 

 

五明の里 生活博物館 http://gomyonosatomuseum.com/

Instagram https://www.instagram.com/gomyonavigator/