悟りや脳科学とは関係のない前回の続きなんですが、まだ熱が冷めないうちに書いておきたいのでご了承願います。
前回の記事
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PTAの会長をやったことによって僕に対する周りの評価がずいぶんと変わったような気がしています。
すべてが本当だとも思ってはないのですが
まさかこんなに○○だとは思わなかった。
僕に届いたこの○○の中に入る言葉はどれも言われたら嬉しい言葉なのですが、ひょっとすると僕の知らないところではまったく違った評価がなされていたかもしれないですよね。
ですが、僕はその評価に対しては例えそれがいいいものであろうと悪いものもであろうと、それらはその人なりの見方であって解釈であり、僕はそれらのどれにも当てはまらないのです。
この賛辞も批評もその人なりの価値観をたんに僕に投影したものだからです。
これは性格が歪んでいるようにとらわれてしまいそうなんだけど
例えば
元気よく挨拶ができる人はいい人だ
このような価値観を持っているとしたら
毎日、元気に挨拶ができる人は素晴らしい人に映るだろうし、逆に挨拶をしてもソッポを向かれたりしたら、
なんやねんアイツ!!
と、なりかねないのですよ。
ソッポを向いた人が実は挨拶を無視したのではなく、ひょっとすると難聴の方でなおかつ話すことができない人だったら?
これらの可能性が決してゼロではないのです。
本当の事は実は誰にもわからないのです。
あるのはその人の解釈だけである。
これはどこまでいってもそうなのです。
仮にそれらの理由を訪ねたとしても
当の本人が何かしらの理由でウソをついている可能性もゼロではありません。
真実はその人の解釈で成り立っているということを、このような視点から観察してみると、腑に落ちてくるかもしれませんよね。
ですがやはり言われて嬉しい言葉は
ありがたく受け取らせてもらいます。
ありがとう♪
『事実は存在しない、存在するのは解釈だけである』
上記の言葉は西洋の哲学者
ニーチェの言葉です。
このニーチェという哲学者は西洋哲学史上今までの西洋哲学の体系(本質哲学)を真っ向から否定した実在哲学を生み出したいわば異端児です。
どちらかというと東洋哲学の影響を受けたのではないかというぐらい仏教の教えに近いものを感じます。
話が脱線しましたので、この西洋哲学の体系についてはまた記事にしたいと思います。
つまるところ
この評価といったものは相対的なものであり
たとえば
僕が仮に社会的モラルに反した行動を起こした場合は、その評価は簡単にひっくり返る。
という性質を併せ持っているということも知っているからです。
つまりその人なりの解釈なので、いい評価が簡単に覆ったりするという、僕にはどうしようもできないのが他人の評価という本質だったりします。
そしてその社会的なモラルでさえも時代が変われば変わってしまうようなひとつの概念にすぎないってことも同時にふまえて。
悪いとされていたことが時代の変化とともに良いとされることは今までに幾度となく体験してきているはずですよね。
僕自身がその価値観を絶対だとして無意識でそれをやっちゃってるってる可能性もあると思うのですよ。
極端な話
作り話でやウソでもそれを信じた人の評価は簡単に覆り、いとも簡単に変わってしまう。
それと今まで表面的にその人の事を噂や振る舞いや服装で決めつけていただけかもしれなくて
距離が近づいたことにより、その人の表面的な光の当たる部分にフォーカスを当てて見えていた部分とは別の側面が浮き彫りになっただけで、ほとんどのケースで言えば、その人の意外性というものは、その人に対する自分の思い込みが外れただけだからです。
それでもなお真実は普遍的なもので、そのひとその人も、そのときに現れたひとつの現象だとも言えて固定的なその人は存在しないというのが僕の見解なのですよ。
観測する側が見ている対象物
つまり
僕をどのように見ているか?
ってだけですよね。
人は見たいようにしか見れないのです。
同じように
自分の聞きやすいように聞いていたりして
真実とは別の解釈により
その人なりの世界を構築するといった
そしてその真実もまた普遍的で
色のない世界のドロドロとした混沌だけがあるからです。
で、解釈という機能のみが
その混沌とした世界とも言えない形なきものに解釈という色彩を与え世界を構築します。
うん!!?
毎度おなじみの話に戻っちゃいましたね(笑)
いつの間にかwww
まっ、そんな感じですので、その評価は嬉しいけども、僕自身はその時その時のベストを選択していただけで何一つ変わらなかったし、僕自身、自分が会長だと言う自覚を最後の最後まで持つことはできませんでしたから。
で、何を伝えたかったかというと、
なんだったかようわかりませんが
きっと、僕がPTA役員に携わる前に抱いた
なんだか超めんどくさそ〜
は、僕の思い込みだった可能性もあり
そのPTAに対する姿勢が間違っているのではなく、今のPTAのあり方自体が間違っている可能性も決して否定できない。
そのようなスタンスからスタートしました。
つまらないものがいつまでも
つまらないままなのはなにかがおかしいじゃないですか?
PTAはつまらない。
ではなく
そのつまらなさに僕が加担しているだけ
って
この感覚からスタートしてみた。
と、いうことで
このような展開で今日の話を無理やり終わらせたいと思います(笑)
それではここで一曲お聴きください♪
THE BLUE HEARTSで
情熱の薔薇
永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない
そんなものあるだろうか
見てきた物や聞いた事 今まで覚えた全部
デタラメだったらおもしろい
そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方
なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方
情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方