キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

あなたは『自分軸』を磨いていますか?



それは『他人軸』じゃないですか??




どうも金山徳允(カナヤマ トクノブ)ことキンジです(^^)




『成幸者』とは、


まず『自分』


それから『他人』


それから『社会』を、


幸せに、豊かにする人達です。





このブログでは、その考えにのっとって、


まず最初の、


『自分』を満たす為に、

『自分軸』にフォーカスを当てて行きます。


私キンジの、

『自分軸=すばらしいと思った価値観』に沿って、

気付いた事、腑に落ちた事を中心に、ロジカルに発信して行きます。


自己啓発的な内容、

スピリチュアル的な内容も、

『自分軸』に沿って、リアリティ臨場感を出して発信して行きます。


また、


私の考えをまとめて、

『オリジナル』なコンテンツとして行きます。


自分自身の実体験を伴った気付きを、

ロジカルに発信して、

その文脈=コンテキストに存在する、抽象度の高い概念を表現します。



そのような、

『自分軸』の大元になるようなものを研究しつつ、

このブログを通じて、

価値観が近い仲間、

私に共感してくれる仲間を集めて、

お互いシェアしつつ、人生を楽しく豊かにして行きます。





なぁなぁの付き合いじゃなく、腐れ縁でもなく、


『自分軸』に沿った同志になりませんか?





あなたの気軽なコメント、

共感メッセージ、

気付きを得たコメントをお待ちしてしています(^^)





MariyaによるPixabayからの画像

※写真は勿論イメージですし、僕自身、韓国系日本語人です。

 

 

 

 

どうも皆さん、

 

キンジです。

 

 

 

人生において、

「経験を余す事無く活かせる。」ってことを、

想像した事は、あるでしょうか・・・・・・??

 

 

 

勿論、

大それた事を考え見ると・・・・・・・、

 

「何でも思いのまま。」とか、

「やりたい事を全て、やり尽くす。」とかとか・・・・・etc、

にはなってきちゃうとは思うのですが・・・・・・、

 

何も、

 

そんな大それた事を夢想しなくても、

 

「経験を余す事無く活かせる。」ってだけでも、

 

それ相応の、

素晴らしい人生を謳歌して行けるものだと思うのです。

 

 

 

 

・・・・・・・と言うのも、

 

「何でも思いのまま。」とか、

「やりたい事を全て、やり尽くす。」ってものは、

 

そもそもとして、

 

その、何でもってものを、

予め、知っておく必要性もありますし、

 

また、

 

その、やりたい事ってものもまた、

予め、知っておく必要性があります。

 

 

 

し、

これ自体が、

 

既に、経験則とはなるのですが・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

物事ってものは、

やる前の、夢想の状態と、

 

やり始めてからの、現実を踏まえた上での、

展望の見え方自体に、

「違い。」ってものが、

存在するって事を、

 

ある一定の年齢を経た、大人である人にとっては、

薄々、理解可能なんじゃあ無いでしょうか・・・・・・??

 

 

 

 

それ即ち、

 

どれだけ、やる前の状態で、盛り上がっていたとしても、

 

実際の、やり始めてからの展望には、

あまり、関係性が存在し無いって事や、

 

逆に、

 

どれだけ、やるのがメンド臭い状態であったとしても、

 

実際に、やり始めてからの展望には、

あまり、関係性ってものが、

存在しない事実の事を、

指し表すものではあります。

 

 

 

それは、

ある種の、

 

絶望希望とも言えますし、

 

モチベーション管理が必要なのであれば、

 

その、事前のモチベーション自体が、

高すぎず、低すぎずの状態に維持する事ができて初めて、

 

そのモチベーション管理が、

上手く行っていると、

表現する事が、可能になる・・・・・・・って事でもあるのです。

 

 

 

勿論、

物事ってものは、

 

モチベーションだけで、ど〜こ〜なるものでは無いものであるのは、

確かな事ではあります。

 

 

 

だからが故に、

 

普段から、

それに必要になってくるであろう・・・・・・・、

 

スキルやマインドセットや、

根本的な、体力・筋力等を、

鍛えておく必要性があるとも言えますし、

 

そこまで大層な物事では無い場合においては、

 

根本的な、体力・筋力等が、

鈍らないように、心がけておく必要性があるって事です。

 

 

 

 

それらを踏まえた上で、

 

「経験を余す事無く活かせる。」って事に、

再び、立ち返って欲しいのですが・・・・・・、

 

「経験を余す事無く活かせる。」

 

勿論、

 

そんなことが出来る人ってのは、

ほぼほぼ、皆無ではあるって事を、

前提に言いますが・・・・・、

 

「経験を余す事無く活かせる。」

 

これさえ出来れば、

 

人生勝ち組なのは、

明らかでもありますし、

 

もっと言えば、

 

「経験を余す事無く活かせる。」

これが出来れば、

 

自分軸・他人軸、

どちらの軸にしても、

 

軸が明確になる事によって、

 

「何でも思いのまま。」

とか、

「やりたい事を全て、やり尽くす。」には、

無かった、

 

その内容や方向性までも、

明確にはなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

自分軸とか他人軸とか言いますけど、

 

最初は誰しもが、

他人軸からスタートでしょうし、

 

自分軸スタートの人は、

どちらかと言えば・・・・・・・、

 

他人軸が曖昧なだけでもあり、

 

そこを、明確にして行く事が、

重要課題でしょうし、

 

それによって、

 

色んな軸が出来上がって行く事によって、

自分軸であり、哲学が出来上がって行くのであろうと。

 

 

 

 

また、

 

「何でも思いのまま。」とか、

「やりたい事を全て、やり尽くす。」に辿り着く為には、

 

それ相応の努力が必要不可欠にはなるでしょうし、

 

もっと言えば、

 

「血の滲むような努力の日々。」には、

なっちゃうのでしょうね・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

けれども、

そこでも、

 

「経験を余す事無く活かせる。」って事が、

作用して行く事を考え見ると・・・・・・・、

 

その努力自体が、

全て、

 

無駄な努力にならなくて、

 

その努力自体が、

全て、

 

体験価値となり、

 

また、

 

その先の展望でもあり、

人生の方向性を決定付け、

尚且つ、

 

その先に必要となってくるであろう・・・・・・・、

 

スキルやマインドセット、

必要不可欠な体力や筋力を、

先取りして行く形態と、

なって行くのを考え見ると・・・・・・、

 

何も、

 

「何でも思いのまま。」とか、

「やりたい事を全て、やり尽くす。」と言ったような・・・・・・・、

 

浅はかな、

 

ちょっと頭の弱い人に向けたような、

引き寄せの法則のキャッチコピーのようなものからは、

 

自分自身のフォーカスを外して、

 

もっと地に足を着けた、

 

只の、

儲かりまっせ話では無く、

 

キチンとした、

スキルアップでもあり、

 

努力とか、鍛錬的な話には、

収まって行くものとはなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・とは言っても、

 

上記であげた通り、

 

それは、

スキルアップとか、

努力とか、鍛錬的な話でありますから、

 

それをこなしたからと言っても、

 

「お金が儲かる。」とは限らないものではある事でしょうし、

 

それこそ、

 

それが直接的に、

お金に繋がる人ってものは、

 

極限られた、

「選ばれし者。」だけなのでしょうね。

 

 

 

でも言いますが、

 

それでも、

 

スキルアップとか、

努力とか、鍛錬的には、

確実に身に付いて行くものがありますし、

 

それが何よりも、

 

体験価値として、

経験となり・・・・・・・、

 

また、

 

その経験を活用する事によって、

 

ある種、

無限に、

 

未来の展望でもあり、方向性が決定付けられ、

 

尚且つ、

 

そこに必要な、

スキルやマインドセットや、

 

必要不可欠な体力や筋力を、

先取りして行く事が、

可能にはなるのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

それはある意味、

 

経験において、率先的に活用するのは、

 

誰しもが、

 

自分自身の成功体験を、

優先しガチだろうし、

 

成功体験として、

一つの軸として認識出来てこそ、

 

経験を活用出来るってもんではあるでしょうが・・・・・・・、

 

だからと言っても、

誰しもが、

 

経験においての、成功体験自体が、

お金に直接繋がるもんじゃあ無いでしょうし、

 

逆に、

 

経験においての、失敗体験の方が、

お金に直接繋がってくる場合もある事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

が、

まぁ、

 

それが中々・・・・・・、

自分では出来ないのが、

 

我々のサガでもありますし、

 

だからが故に、

 

「経験を余す事無く、活用する。」って事が、

難しいものでもあるのでしょうね。

 

 

 

それは、

言い方を変えると、

 

メンタルブロックとも言えるものではあるのでしょうが、

 

そもそもとして、

 

誰しも、

 

「立つ瀬が無い。」状態だと、

辛いでしょうから、

 

失敗を活用する為であったとしても、

 

何かしらの、

成功体験を軸とし、

 

尚且つ、

 

その成功体験と、関連させて行く形態で、

失敗経験を活用し、

 

その失敗経験の先に存在するであろう・・・・・・・、

 

未来の展望や、方向性に、

邁進して行く事が、

肝要にはなってくるであろうと・・・・・・!!

 

 

 

それは即ち・・・・・・・、

 

「経験の棚卸しをする。」って事が、

必要となると同時に、

 

経験を、分野化して、

 

軸として認識して行くって事が、

重要にはなってくるのでしょう・・・・・!!

 

 

 

その為の、

キーポイントとなってくるのが、

 

過去に描いていた、

 

過去に、実際に行っていた際に、

見ていた世界観でもあり、

ゲーム性ってものが、

キーポイントとなり、

 

それが結局は、

 

「過去の出来事の捉え方。」ってものにはなるのでしょう。

 

 

 

過去の出来事自体は、

既に、

 

経験となっているが故に、

それを変える事は、不可能ですし・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

「経験を余す事無く活かせる。」為には、

例え・・・・・・、

 

受け入れ難い、人にはちょっとシェアし辛いような経験であったとしても、

 

その経験自体には、

意味と意義が存在し、

 

それがキーとなって、

 

展開でき得る未来ってものが、

存在し得る・・・・・・って事でもありますし、

 

だからが故に、

 

それに関連させて行く為の、

 

成功体験でもあり、

成功の軸ってものが、

 

その未来に突き進む為には、

必要とはなってくるものではあるのです。

 

 

 

 

し、

それによって、

結果的には、

 

「過去の出来事自体を変えてしまわない。」って事が、

達成されるとも言えますし、

 

それに抵抗が無くなる事、

 

もしくは、

 

それの抵抗が、弱まって行く事により、

 

「過去の出来事の捉え方。」が変化するのです。

 

 

 

 

・・・・・・・とは言っても、

上記で、

その、

 

「過去の出来事の捉え方。」が変化する、

メカニズムを説明はしましたが、

 

だからとは言っても、

 

そこに、

 

成功の軸が存在しない事には、

失敗の軸を、前向きに捉える事が不可能なのが、

 

我々のサガであるとも言えますし、

 

だからが故に、

 

経験自体を、

普段から、

 

体系化し軸とし、

 

例え、小さな成功体験だとしても、

 

成功体験として、

積み重ねて行くって事が、

重要にはなってくるでしょうし、

 

その、

 

小さな成功体験=普段の、ルーティーン的な作業を、

同じような、小さな成功体験どうしで、

まとめ上げて行く必要性もあるのでしょう・・・・・!!

 

 

 

 

それによって、

少なくとも・・・・・・・、

 

同じスキルによって構築された、

小さな成功体験においては、

 

その、

 

世界観や、ゲーム性ってものを、

統一して行くって事でもあります。

 

 

 

が、

まぁ、

 

そのスキルを行使する場に、

多種多様、複数の人が同時に存在する場合においては、

 

その場での、

世界観とか、ゲーム性自体を、

統一する必要なんて無いでしょうし、

 

そこに必要となってくるのは・・・・・・・、

 

その小さな成功体験=タスクとしての、

結果の役割分担でもあり、

 

シェアってものとはなる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

小さな成功体験=タスクでもあり、

それは・・・・・・・、

 

「結果を出す。」って事でもあり、

結果そのものとはなる事でしょう。

 

 

 

が、

 

世界観とか、ゲーム性ってものは、

 

その各々が、

スキルを行使する際に、

プロセスにおいて、

構築して行くものでもあり・・・・・・・、

 

もっと言えば、

 

その人、その人の、

経験においての、

 

そのスキルや分野等の捉え方によって、

違いが出てきて当然な、

属人性が高いものではあります。

 

 

 

し、

その、

 

世界観や、ゲーム性において、

他との差別化ってものが、

重要になるでしょうから、

 

出来得る限り・・・・・・、

 

あまり、人がやらないような経験を重ねて、

そのようなスキルでもあり、

分野において、

小さな成功体験を、

積み重ねておいた方が、

 

セルフマネジメントとか、

 

関わる人に対する影響とか、

 

コミュニケーションにおいても、

 

優位性が出てくるものにはなる事でしょう・・・・・!!

 

 

 

 

別の言い方をすると、

 

「ユニークな人になる。」とも言えますし、

「面白い在り方の人。」とも言えますね。

 

 

 

真の意味で、

「面白い人。」ってものは、

 

お笑い系のトークスキルってもんじゃあ無くて、

 

生き方とか、経験自体が、

「面白い人。」であり、

 

ある意味・・・・・・、

 

背中を見せることで、

人から笑顔が出るような人でもある事でしょう・・・・・・(笑)。

 

 

 

笑い者になるとかじゃあ無いし、

 

別に、

 

本人が、面白い話なんてしなくてもいいんです。

 

 

 

ただ、ただ、

 

背中を見せて、

 

やっている事を見るだけで、

 

「なんか知らんけど、人が面白がる。」って人なのでしょうね。

 

 

 

僕の場合は、

 

ただ、ただ、

 

経験を小さな成功体験として、

スキルを行使する事で、

 

「僕自身が面白くなる。」って事を、

しているだけではありますが(笑)。

 

 

 

「なんか知らんけど、人が面白がる。」って人は、

お得ではありますよね。

 

 

 

何故ならば・・・・・・、

 

自然と出る笑顔によって、

人から、面白い話を聞けたり、

 

逆に、

 

お笑い系のトークスキルを持っていなかったとしても、

 

それを持っている相手が、引き寄せられて、

集まってくるような・・・・・・、

 

ある種の、

 

「ツイてる人。」ではあるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

・・・・・・・が、

その、

 

「ツイてる人。」とか、

「面白い在り方の人。」であり続ける為に、

 

尋常で無い努力をして、

経験を積み重ね、

 

また、

 

「経験を余す事無く活用する。」って事を、

繰り返しているのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

本人にとっては、

努力では無い・・・・・・って言いたいところではありますが、

 

紛れも無い努力ではあるでしょうが(笑)、

 

僕自身の見解で言いますと、

逆に、

 

じっと、何もしていない方が、

辛いし、生き辛いのでは無いでしょうか・・・・・??

 

 

 

 

ある意味、

 

人との約束がある前提での、

眠れない睡眠時間とも言えるでしょうし、

 

なんか、

動画を視聴している状態とも言えるでしょう。

 

 

 

体力の確保はしときたいけれども、

じっとしているのが、辛い状態とも言えますし、

 

僕自身、

 

動画は見ますが、

 

1日に見てられる動画の時間ってものには、

限界ってものがありますよね・・・・・??

 

 

 

まぁある意味、

 

文章を読む量にも、

限界が存在しそうですけど、

 

文章を読む方が、

どちらかと言えば、

 

能動的でもあり、

謎の生き辛さのようなものは、

出てこないものではありますし、

 

その、

 

紛れも無い努力ってものが、

 

全部が全部、

仕事の状態でも、

 

「なんだかなぁ〜・・・・・・・。」って思う性分ではありますが。

 

 

 

 

どちらかと言えば、

 

能動的に、

 

筋トレ的、トレーニング的に、

 

ゲーム性を重視した、

紛れも無い努力を、重ねて行きたいですね(^^)

 

 

 

ま、

だからとは言っても、

 

それが仕事的であれば、

貰うものは貰うのでしょうが。

 

 

 

それもこれも、

ある意味、

 

小さな成功体験=タスクの、

結果次第でしょうし、

 

「結果を持って対価を頂く。」って事にはなってくるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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どうも皆さん、

キンジです。

 

 

今更ながらですし、

勿論、

顔出しもしていませんし、

画像の方は、本当、おまけ程度ではありますが・・・・・・・、

ずっと密かに続けていた、

僕自身にとっての、

筋トレとかトレーニングに値する、

エレキギターの録音データを、

今後、ちょくちょくアップしていきたいと思います。

 

 

 

一応、

コピーと言うか、

カヴァーを上げて行く予定です。

 

 

 

・・・・・・と言うのも、

勿論、

僕自身の、環境・機材では、

モノホンのプロの、完コピをする事自体、

難しいものでもあり、

尚且つ、

何処かで、

オリジナリティ性って言うか・・・・・・、

まぁ所謂、

エゴ(自我)が出てきちゃって、

細かい部分においては、

我が道を進んでいってしまうもんでもあります・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

それらを踏まえた上で、

それが、

モノホンのプロとの差とか、

僕自身のらしさと捉えて、

楽しんで貰えたら、

これ幸いとは思っています。

 

 

 

hide【hide with Spread Beaver】の、

DICEを弾いてみました。

 

 

ベースとドラムは、打ち込みとなっております。

 

 

良ければ、

チャンネル登録高評価、

お願いいたします(^^)b

 

 

 

 

 

 

 

 

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Michal JarmolukによるPixabayからの画像

 

 

 

 

どうも皆さん、

 

キンジです。

 

 

 

パラダイムシフトって言いますと・・・・・・、

あまり、日常では使われない概念でもあり、

言葉ではあります。

 

 

 

と言うのも、

 

パラダイム=所謂、

常識とか、定石と呼ばれるものでもあり、

また、

 

旧来的な考え方でもあり、

 

その分野においての、

所謂、約束事のようなものを、

 

シフトする=車のシフトチェンジのように、

ギアを変える事でもあり、

 

もっと言えば、

 

変革するとか、イノベーションを起こす等・・・・・・・、

 

ちょっと大げさなニュアンスも含まれるような、

 

大それた事にも思える、

概念でもあり、言葉だからではあるからなのです・・・・・・!!

 

 

 

 

だからこそ、

 

大きなプロモーションや、

人事改革等を行う際に、

使われるのが、相応しい概念でもあり、言葉ではありますから、

 

尚更、

 

普段の日常的な物事においては、

 

無闇には、

使用しない方が無難な、

概念でもあり、言葉であると言う事です。

 

 

 

 

それ即ち、

 

パラダイムシフトと宣言するからには、

 

外部から見ても、

大きな、

変革、イノベーションと呼べる程の、

動きが見て取れて初めて、

 

パラダイムシフトたり得るものとなる・・・・・・と言う見解でもありますから、

 

そもそもとしての、

 

パラダイムシフトって概念でもあり、言葉は、

 

結果的には、

 

結果を持ってして、

 

外部からの判断を持ってして初めて、

 

パラダイムシフトたり得るものでありながらも、

 

それの見込みが存在するのであれば、

 

先出し的に宣言する事によって、

 

結果的判断を持ってして、

パラダイムシフトを起こす事によって、

 

外部の支援者の、

信頼を勝ち取っていくものとも言えるのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

それって言うのは、

結局は・・・・・・・、

 

そのパラダイムシフトを持ってして、

 

組織の内部を変革して行き、

意識の変革でもあり、意識の進化を促すものであると同時に、

 

外部の支援者にもまた、

 

意識の変革でもあり、意識の進化を促すと言う風な、

役割を担うものではありますし、

 

それによって、

 

プロパガンダ的な、

ある種の、

 

謳い文句でもあり、

 

キャッチーさと簡潔さを共有された、

メッセージ性をもたらす事によって、

 

シンプルに、抽象度が高いメッセージとなる事によって、

 

色んな、

その他の分野においての、

 

応用性・流用性を見出せることに繋がる事によって、

 

今までだと、

何の縁もなかった分野の人々が、

 

自分達の支援者に変革を遂げる・・・・・・って事をも、

 

起こってきちゃう概念でもあり、言葉でもあるのです・・・・・・・!!

 

 

 

し、

まぁ、

 

 

何の縁もなかった分野の人々からも、

自分達の支援者に変革を遂げるって言うのは、

 

些か、

言い過ぎな部分もあるでしょうし、

 

それ自体は、

そう言う事も起きるかも知れませんが、

あくまでも、

 

それはある種の、

ラッキーパンチ的な影響と捉えた上で、

 

実質的には、

 

元々、

何かしらの関連を持っていた分野において、

影響力を発揮する為の、

 

プロパガンダでもあり、

 

謳い文句でもあり、

 

メッセージ性であると、

 

捉えておく方が、

 

何かと、

現実的ではある事でしょうし、

 

それを持ってして、

 

具体的な、対応方法を、

見出す事自体も、可能にはなってくるものではありますね・・・・・・??

 

 

 

でわ、

そのような、

 

パラダイムシフトって概念を、

 

自分事、もしくは、

日常的な物事に使えるように、

応用する為には、

 

一体、

 

どのような配慮が必要にはなってくるのでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

 

・・・・・・・って事が、

結局は、

 

組織単位で動いているのでは無く、

個人単位から動いて行く必要性がある、

 

我々、

 

1発信者にとっては、

大切なものとはなる事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

それ即ち、

 

上記で挙げた、

 

パラダイムシフトを起こす組織=自分と捉える事でもあり、

 

他人=外部と捉える事から、

始まるものでもありますが・・・・・・・、

 

まぁ、

 

この自分には、

 

身近な家族恋人等が、混ざっていても良いとは言えますが、

 

あくまでも、

 

最小単位としては、

自分=パラダイムシフトを起こす組織と捉えた方が、

間違いが起こりにくいだろうし、

 

もっと言えば、

 

無闇に影響力を行使して行って、

 

そのパラダイムシフトの中心軸から、

自分が除け者にされてしまう事自体を、

回避する事も、可能にはなる事でしょうね・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

 

でわ果たして、

 

自分をパラダイムシフトさせるってことは、

一体、どのような事を、

指し表すのでしょう。

 

 

 

自分をパラダイムシフトさせるって事は、

 

要するに・・・・・・、

 

 

僕自身も、

もう既に、

46歳となる訳ですから、

中々、

 

若い頃のように、

モチベーションと勢いだけじゃあ、

行動し続けるのが、難しくなっている側面もありつつも、

逆に、

 

スキルのレベルは向上し続けている側面もあり、

 

そのスキルにおいて、

 

モチベーションでは無く、

セルフエフィカシー(自己効力感)を高める事によって、

 

行動自体を推し進める、

推進力のような働きが、出来るようにはなっているものではありますが、

 

それらを踏まえた上で、

 

自分をパラダイムシフトさせるって事は、

 

自分の習慣なり、日々のタスク管理を見直して、

 

やり方が上手く行っている物事、

結果が伴っている物事の場合においては、

 

その物事に取り掛かる際の、

世界観や、ゲーム性を考慮し、

 

既に、

 

飽きが見えてきている世界観や、

ゲーム性ってものを、

また別の、

 

世界観やゲーム性に置き換えて行くって事が、望ましいものでもあり、

 

それによって、

 

スキルの捉え方や、

スキルの方法論自体を、

 

結果に直結するであろう部分をチョイスし、

それを厳守した上で、

 

その他の部分において、

 

また別のエンターテイメント性を、

取り込んでいく事、

 

これに尽きるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

これに必要となってくるのは、

勿論、

 

自分自身の趣味趣向に沿った、

エンターテイメント体験そのものとはなります。

 

 

 

・・・・・・・・が、

 

ここで注意が必要となるのは、

 

その、

 

また別のエンターテイメント性を、

取り込んだが故に、

 

今まで、保持されていた、

結果自体が出なくなってしまう事ではある事でしょう。

 

 

その場合においては、

直ぐに、

 

元々のやり方自体を、

トレースし直す事が求められますし、

 

それは結局は、

 

スキルの捉え方や、スキルの方法論自体の、

結果に直結するであろう部分をチョイスしたつもりが、

 

そのチョイス自体が、

適切では無かった事を、

指し表すものでもありますが、

 

元々、

ある種の、

 

他人の反応任せの結果ど〜こ〜の場合においては、

その限りでは無いだろうし、

 

もっと言えば、

 

そのような、構造の場合においては、

あまり、

 

大掛かりな変革自体、向いていないものであると捉えて、

 

その、

ひとまとまりの全体像自体を、

 

スキルの捉え方や、スキルの方法論自体の、

結果に直結するであろう部分のチョイスと割り切って、

 

それ以外の部分において、

 

新たなエンターテイメント性を取り入れた方が、

 

危なげが無い事でしょうね。

 

 

 

また、

上記の例とは別として、

そもそもとして、

 

上手く行っていない物事を、

 

パラダイムシフトさせて行こうって場合においては・・・・・・・、

 

上手く行っていない=その物事を構成しているスキルの、

一つ一つの質が悪い、

 

もしくは、

 

決定的に足らない要素が存在するって事ではあります。

 

 

 

これはもう、

 

そのスキル一つ一つを掻い摘んで行った上で、

 

その欲しいスキルのレベルが高い人をチョイスし、

 

その人から、

TTP(徹底的にパクる)以外には、

 

上達の道は存在しないとも言えますが・・・・・・、

 

まぁ、

そもそもとして、

 

決定的に足らない要素が存在する場合においては、

 

その要素自体を、

人に委託して、調達する事によって、

解決するケースもあるでしょうし、

 

その要素自体を、

TTP(徹底的にパクる)って道も存在するでしょうが・・・・・・・、

 

 

まぁ、そもそもとして、

 

 

決定的に足らない要素が存在する=その要素自体が、

 

その本人にとっての、

苦手分野である事は、

ほぼほぼ、間違い無いものではあるのでしょうね・・・・・・。

 

 

 

 

ま、

そのような場合においても、

結局は、

 

軸をぶらしていては行けないとも言えますし、

 

その苦手分野ってものは、

そもそもとして、

 

自分が出来るだけやりたく無い分野であるとも言えるでしょうから、

 

それならそれで、

 

上記で考察してきた、

 

上手く行ってない=結果が出ていないなりにも、

続けてこれた分野においては、

少なくとも、

 

目に見える、大きな結果は出ていなかったとしても、

 

 

長年続けてこれている前提ではありますが・・・・・・・、

 

それに特化された、スキルの上達ってものが、

存在するだろうし、

 

もっと言えば、

 

スキルの上達=自己成長が存在するところには、

 

楽しさや充実感といったような感情が付き纏うだろうし、

 

それ即ち、

 

エンターテイメント性ってものが、

その本人には、存在している事の、

紛れもない証拠とはなるものでしょう・・・・・・!!

 

 

 

後は、

 

そのエンターテイメント性を持ってして、

 

決定的に足らない要素を、

代わりに補ってくれる人と、

人間関係を深めて行くだけとも言えますし、

 

どちらかと言えば・・・・・・・、

 

仕事とか、ビジネス的に、

アピールを追求するんじゃあ無くて、

 

エンターテイメント性を追求し、

その世界観や、ゲーム性を持ってして、

アピールする・・・・・・・って事が、

 

望ましい在り方なのでは無いでしょうか・・・・・・??

 

 

 

まぁ、

とは言っても、

 

キチンと、

質が高まっているスキルってものも、

 

長年続けてこれたのであれば、

存在していて当たり前ではありますから、

 

ただの、

 

ピエロ的な在り方とも、

また違った在り方とはなるでしょうが。

 

 

 

これが、

ただの、

 

ピエロ的な在り方であり、

 

誰でも出来るようなスキルしか持ち合わせていない事になると・・・・・・、

 

 

中々、悲惨なものでもあり、

 

 

それこそ、

 

お金に釣られて、

 

「何でも出来る。」じゃあ無くて、

「何でもやらされる。」在り方となってしまうので、

 

要注意ではありますね・・・・・・・。

 

 

 

ある意味、

そのような、

 

「エンターテイメント性ってものが、一番重要な要素になる。」

とは言えますが、

 

それは結局は、

 

何かしらのスキルを持ってして、

発現出来ない事には、

 

その人らしさとか、

その人ならではとか、

なんてものは存在する事が不可能で、

 

直ぐに、

 

誰でもコピー可能になる、

エンターテイメント性と、

成り果ててしまうものでもある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

それ即ち、

 

ある種の、

職人性とも言えますが、

 

その職人性ってものは、

何も、

 

作業だけに特化するものでも無く、

 

コミュニケーションをも含めた上での、

職人性であり、

 

またある種の、

 

エンターテイメント職人であるとも言える事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

ま、

単純明快に言えば、

 

コミュニケーションにおいて、

 

言葉だけマトモであっても、

なんか納得を勝ち取れないケースがある側面、

 

その裏、もしくは・・・・・・、

 

その細部の職人性が見て取れたケースにおいては、

 

同じ言葉を発した場合においても、

 

その受け取った相手が、

納得して動いてくれるって事も、

ある訳です。

 

 

 

それは結局は、

 

行動が伴って、

尚且つ、

 

その行動に、

 

その行動を起こした本人に、

 

過去から踏まえた上での、

生き様の一貫性を見出す事が可能であったから、

 

そこに、

想像力が働く事によって、

 

ストーリー性を、ありありと見て取れる訳であり、

 

それが見て取れた上での、

コミュニケーションには、

 

別に、

 

その言葉自体が、

言葉足らずであっても、

 

また、

ネガティヴ要素に溢れていたとしても、

それはそれで、

 

「まぁ、しゃ〜無いな。」と言う風な・・・・・・、

 

許しと納得が生まれるものにも、

なり得る・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

まぁ、

それはある種の、

 

自分自身の家族等の、

 

それも、

 

長〜い付き合いの関係性において、

起こる事ではありますが、

 

まだ関係性が浅い人であっても、

その原則自体は、一緒ではある事でしょう。

 

 

 

ある意味、

まだ関係性が浅い人ほど、

 

ファーストコンタクトにおいての、

コミュニケーションであり、

 

その短い関係性において、

 

読み取ったり、その本人の口から発された、

過去の経歴・・・・・・・と言うよりかは、

過去の軸ってものが、

 

より、重要な要素とはなるだろうし、

 

そこを、

自分で平気で裏切るような奴は、

 

もういいかなと(苦笑)。

 

 

 

もっと若い頃であったら、

ある種の、

 

騙される覚悟を持って、

ちょっとは付き合いながらも、

その人ならではの軸に、

探りを入れていましたが、

 

もう、

結局は、

 

時間の無駄だし、

 

「一体、何処で裏切るんだろう・・・・・・・??」って思いながら、

人間関係を延命するのも、

アフォらしいですしね・・・・・・。

 

 

 

ある意味、

 

「それは、元々、軸が無かったからでしょ??」

って、自己嫌悪に陥るだけでしょうから、

 

過去の軸が見当たらない、

ビジネスライクな関係であれば、

 

それに徹した方が、

傷は浅く済むものかと。

 

 

 

また、

そのような人に限って、

 

馴れ馴れしく、

タメ口的な口調で話すケースも多いでしょうから、

 

もういい大人であり、

 

社会人経験者として、

最低限の敬語ってものは、

大事にはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

ま、

そう言う僕本人も、

 

明らかに、

 

20代とか、それ以下の年齢の人に、

敬語を使うのは、

苦手ではありますが・・・・・・、

 

仕事やビジネスと割り切った上であれば、

 

ある意味、

 

幼児にも敬語で話す事も、

厭わない・・・・・・・かも知れませんね(笑)。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に、掘り下げておいた記事は下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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どもども。

 

今年のおみくじも大吉でしたb(やっぱりなんか嬉しい)、

 

キンジです。

 

 

 

あ、さて、

 

でわ早速、

本日のテーマに入っていきたいと思います。

 

 

そもそもの、原点回帰と言いますと、

 

初心に帰って、やり方や在り方を見出す為でもあり、

 

事業や日々の活動のプロセスに、型を見出す為でもあり、

 

現状上手く行っていない物事を再構築して、上手く行くやり方を見出す為に、

必要になってくる概念でもありますね??

 

 

 

また、

 

微差の積み重ねによる、違いの生み出し方によって、

 

安易に、馬鹿に出来ない微差ってものもまた、

今回のテーマにとって、

切っては離せない内容とはなっています。

 

 

 

それって言うのも、

 

原点回帰とか、初心に帰るって事は、

勿論、大事な事ではあるでしょうが・・・・・・、

 

大事な事であると同時に、

 

結局は、

 

最初からやり直しって事でもあり、

 

多くの人々にとっては、

 

「また、ここからかよ・・・・・・。」って思いが、

付き纏ってくるのも、

あるあるな事ではあるのでしょうね。

 

 

 

だからが故に、

 

安易に、馬鹿に出来ない微差の積み重ねってものが、

重要な要素になるものでしょうし、

 

また、

逆に言えば、

 

その、微差の積み重ねによって、

 

当初の予定から見て、

 

予想外の結果を享受している人は、

ともかくとしても・・・・・・、

 

「こんなはずじゃあ無かった・・・・・(><)」って思いの方にとっては、

ある意味、

 

原点回帰=初心に帰るって事自体が、

助け舟になるケースもまた、

存在しているのでしょうね・・・・・・・。

 

 

それらを踏まえて、

じゃあ早速、

順番に考察していきましょう・・・・・・・!!

 

 

 

原点回帰とは、

初心に帰って、やり方や在り方を見出す為であると、

上記で言いましたが、

 

それって言うのは、

 

現状上手く行っていない物事を再構築して、上手く行くやり方を見出す為であるとも言えますし、

 

上手く行っていないのなら、

 

別の物事を、新しく始めれば良い訳ではありますが・・・・・・・、

それは皆さん良くご存知でしょうから、

 

ここでは割愛するとして、

 

ここでは、

そもそもとして、

 

上手く行っていない物事に固執するケースや、

上手く行っていない訳では無いけれども、

完全に100点満点では無いと感じる方、

 

もしくは、

 

改善の可能性にベットした方に対する・・・・・・、

その物事に対する執着心について、

考察していきたいと思います。

 

 

 

そもそもとして、

 

言葉はちょっと悪いですが・・・・・(苦笑)、

 

その物事に対する執着心、

言い方を変えて見れば、

 

その物事に対する愛着心には、

 

大きく分けて、

 

2種類の内容ってものが、

存在しているとは思います。

 

 

 

その一つは、

 

その物事自体が、自分にとって、

切っても切れないような・・・・・身内レベルの人間関係と付随しているケースであり、

 

もう一つは、

 

その物事自体に、自分軸と呼べるくらい、時間やお金等を費やしてきたからとも言えるものでしょう。

 

 

 

一つ目の、

 

その物事自体が、自分にとって、

切っても切れないような・・・・・身内レベルの人間関係と付随しているケースにおいて、

 

それはある意味、

 

完全に逃げる事が不可能なので、

 

最低限必要になる要素をピックアップした上で、

遊び・エンターテイメント要素も含ませた上で、

適切にマネジメントする、こなす!!・・・・・・という風な、

 

ある種の、

 

人間的な尊厳の、

足下のギリギリのラインを確保しつつ・・・・・(苦笑)、

 

確実に、

 

右肩上がりでこなしていく必要性があるとも言えますし、

 

それを怠ってしまうと、

 

マインド的にも、人間関係的にも、

確実に、不幸になっちゃうでしょうから、

 

そこは、

 

実行出来得る、マネジメント能力ってものが、

問われていく事には、なってきちゃうでしょうね・・・・・・。

 

 

 

また、

もう一方の、

 

その物事自体に、自分軸と呼べるくらい、時間やお金等を費やしてきたケースにおいては、

 

それ自体に楽しさや、充実感が付随するケースが存在しますが、

 

それには責任や条件が必要になってくるものでもあり、

 

人に迷惑がかからない行為、犯罪に繋がって行かない行為の場合において、

 

「親がやめろと言っても、隠してでも続けましょう(笑)。」とも、

言えてしまうものではありますし、

 

そう言えてしまえるのは、

 

そもそもとして、

 

「上手く行っている物事でした。」・・・・・・・って事なのでしょう。

 

 

 

が、

 

勿論、上記のパターンにおいては、

 

それが犯罪に繋がったり、人に迷惑がかかる場合においては、

「直ぐに辞めてしまいましょう。」と言えるだろうし、

 

そんな行為に、

楽しさや、充実感が付随する人は、

 

場合によっては、

 

精神鑑定も必要になるでしょうし、

論外ですね。

 

 

 

また、

 

その物事自体に、自分軸と呼べるくらい、時間やお金等を費やしてきたケースにおいて、

 

値段自体が高かったケースってものもまた、

勿論、存在している事でしょう。

 

 

 

それがただ単に、

物であった場合は、

 

売りに出すことも可能だし、

勿論、

 

コレクションしておいても良いだろうし、

それが資産にもなる事でしょう。

 

 

 

が、

それが事、

 

何かしらの高額サービスの場合においては、

 

そのサービスに付随したビジネス継続中の場合においては、

ある一定の結果が出るまで=良い、悪いをも含めた上で、

頑張りましょうと言うしか無いでしょうし、

 

その結果が、良い結果なら、

尚更、

 

「言う事なし。」でしょうが、

 

その結果が、悪い結果の場合においても、

 

それは決して、

 

無駄な買い物をしただけでも無く、

 

その悪い結果が、

自分にとっての投資をする上、お金を使う上での、

 

ストッパーになる働きにはなってくる事でしょう・・・・・!!

 

 

 

また、

 

その物事自体に、自分軸と呼べるくらい、時間やお金等を費やしてきたケースにおいて、

 

既に、

 

そこに楽しみも、充実も存在しないが、

そのポジションに旨味が存在するもののケースも、

存在する事でしょう。

 

 

 

そのようなケースにおいて言える事は、

ただ一つ、

 

「遊びやエンターテイメントを含ませた上で、マネジメントし、こなす!!」

これに尽きるのでしょう。

 

 

 

上記であげた、

自分にとって、

 

切っても切れないような・・・・・身内レベルの人間関係と付随しているケースと、

同じ見解であると言えますね。

 

 

 

また、

そもそもとしての、

 

原点回帰ってものは、

事業や日々の活動のプロセスに、型を見出す為にも、

必要になってくる側面がある事を、

一番最初に告げたのですが、

 

それについても、

考察していきましょう。

 

 

 

事業や日々の活動のプロセスと言いますと、

大きく分けて、

 

日々の生活習慣のPDCAサイクル、

 

趣味等におけるPDCAサイクル、

 

トレーニング(筋トレ、スキルのトレーニング問わずに数値化出来るもの)のPDCAサイクル、

 

仕事やビジネスにおける、PDCAサイクルに分類する事も可能ではあります。

 

 

 

順番に考察していきますと、

 

日々の生活習慣のPDCAサイクルってものは、

要は、

 

睡眠時間を始めとして、日々のスケジュール管理を徹底したり、

もしくは、緩めたりする為のものであり、

 

それによって、

 

スケジュールから無理を無くしたり、

 

遊びの部分も含めた上で、詰めて行く事によって、

 

日々の活動自体を充実する効果を期待出来るものではある事でしょう。

 

 

 

趣味等におけるPDCAサイクルってものは、

要は、

 

趣味の時間の確保、

もしくは、

 

その趣味自体の、スキルアップの確認・実感の為のものであり、

 

それによって、

 

趣味に費やす時間の、質を高めて行く為でもあり、

 

その質を高める事によって、

それ以外の活動にも、その応用・流用性を期待出来るようになるって事です。

 

 

 

トレーニング(筋トレ、スキルのトレーニング問わずに数値化出来るもの)のPDCAサイクルは、

 

筋肉の成長ってもの自体が、

そもそもとして、

 

見た目で判断しガチなものでもあり、

だからこそ、

 

数値化出来るトレーニング要素があり、

尚且つ、

 

それのこなした回数自体を数える事によって、

その進み具合を把握・実感する為でもあり、

 

スキルの場合においては、

 

微差の領域においては、

尚更、

 

その数値化された、こなした数を数えて行かない事には、

やっている実感ってものを、得て行く事自体が、難しいからでもあります。

 

 

 

また、

 

仕事やビジネスにおける、PDCAサイクルってものは、

もう、

 

そのサイクルにおいての、能率性を確保する為でもあり、

 

それによって、

 

「能率性を上げる=お金に結びつく」

これに尽きるのでしょうね。

 

 

 

それらを踏まえた上で、

 

これまた、最初にあげた概念でもあり、

テーマの一部でもある、

 

微差の積み重ねによる、違いの生み出し方ってものが存在し、

 

それは、

 

安易に、馬鹿に出来ない微差ってものの為に、

必要となる概念ではありましたよね??

 

 

 

それは、

 

「日々のタスクとして、数を数える事によって、トレーニング化、RPG化する。」

に尽きるとも言えるだろうし、

 

まずは・・・・・・、

 

ビジネスとか発信等とかあり方等で、

掛け算が大事とは、良く言いますが、

 

掛け算よりも先に、

足し算、引き算だろう・・・・・って思いの元に、

考察した次第ではあります。

 

 

 

ある意味、

 

「日々のタスクとして、数を数える事によって、トレーニング化、RPG化する。」

って事は、

 

思考停止した状態でも、

日々のトレーニング、RPGゲームに取り掛かる事が可能な状態にするとも言えますし、

 

これは、僕自身のケースなんですが・・・・・・、

 

実は意外と、

 

準備しておいた場合においても、

やる直前に、モチベーションが落ちるケースが多いし、

 

気分で始めないでも、取り掛かる事によって、

モチベーションって言うよりかは・・・・・・エフィカシーが高まって、

物事は押し進める事が可能だからこその、

 

「日々のタスクとして、数を数える事によって、トレーニング化、RPG化する。」

って事でもあり、

 

事前のモチベーション頼りの場合において、

 

やる直前のモチベーション低下は、

ありもしない雑念を呼び込む・・・・・からでもあり、

 

後から振り返れば、

 

それでも取り掛かって、

数字を数える事=こなした数字を数える事によって、

結局は達成出来てしまうものばかりでもある・・・・・って事ですし、

 

物事は、

気分で初めない=モチベーションで動かないって事が重要になると同時に、

 

トレーニング化、RPG化を心がけ、

 

数値化出来る要素は利用するって事もまた、

重要な要素にはなるでしょう・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

結局は、

 

トレーニング化出来た事が、

その回数・時間によって、数字として数えやすいものでもあり、

 

筋トレの場合においては、

 

回数如何よりも、自分自身の体感における負荷が大事になります。

 

 

 

負荷自体が鍛えたい部位に掛かっている場合においては、

 

良質な筋トレとなっているので、そのまま、質の良い数を数えるって事になりますし、

 

そのケースにおいても、

 

筋トレとか、トレーニングそのものの場合は、

そのまんま、

質の良い数を数えるとか、

もしくは、

 

時間で管理する事が、望ましいものではありますが、

 

これが、

 

筋トレ要素、RPG要素の応用、流用の場合においては、

 

体感とか、肌感覚で管理する事=裁量性とか、

センスが問われてくるものにはなるでしょうし、

 

現実的な物事ってものは、

そのような物事ばかりに溢れているものでもあります。

 

 

 

でも、

そのような場合においても、

 

筋トレ経験、トレーニング経験の場数がものを言うものであり、

 

無理をしない=怪我を回避する場合に多用するのが良いし、

 

要するに、

 

リスク管理の為には、

自分自身の、トレーニング経験による、

体感とか、肌感覚ってものに、

間違いは起こりにくいだろうし、

 

まぁ、

 

怪我したとしても、

自己責任とはとれるでしょう・・・・・って事なのです。

 

 

 

また、

上記であげた、

 

負荷自体が鍛えたい部位に掛かっている場合の反対の、

負荷が関節に掛かってしまっている場合においては、

 

怪我に至る可能性が出てくるので、

「負荷の位置が適切になるように、フォームを改善する」

 

もしくは、

 

「トレーニング方法自体を変える」

これに尽きるのでしょう。

 

 

 

僕自身の、

トレーニング的見解で言えば、

 

筋肉は成長するだろうけれども、

関節ってものは、消耗品であると言う、

見解ですし、

 

筋肉痛なら、成長している実感として、

ある種の、

 

ポジティブに受け取れるものではありますが、

 

関節が痛いのは、

その痛いのが、関節なのか、繋ぎ目の筋肉なのかにもよりますが、

 

関節を痛めているだけと言う見解ではありますし、

 

関節を痛める事によって、

筋をイワシてしまうのでしょう・・・・・・。

 

 

 

 

し、

 

筋肉痛にしても、

あまりにも、

筋肉痛が酷いのなら、

 

それは、

過剰トレーニングかもしれませんし、

 

そこは自己責任で、

追い込んで行ってもらいたいものですね。

 

 

 

まぁ、

ストレッチ等も、

ある種の、

 

数をこなしたり、

時間を測ったりする事によって、

RPG化、PDCA化出来るものでしょうし、

 

ストレッチもまた、

 

関節を伸ばす意識じゃあ無くて、

筋肉を伸ばす意識の元に行う事によって、

筋肉痛を軽減し、

 

ある意味、

 

自己治療的な効果を期待出来るものと言う認識を、

持っていますが、

 

まだまだ、

 

実験段階ではありますので、

なんともかんとも(笑)。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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新年、明けましておめでとうございます。

 

今年も、

キンジこと金山 徳允と、

このブログをよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

 

パーソナリティ障害と言いますと、

所謂、

 

人格障害とは言いますが、

実は、

 

そない、大層な、

精神病とか、精神疾患では無く、

 

誰しもに当てはまる、もしくは、

 

誰しもが、何かしらの障害を持つという風な・・・・・・・、

 

即ち、

 

コミュ障の形とも言えるものでしょうし、

 

もっと言えば、

 

自我のパターン性とも言えるものであると・・・・・・、

僕自身は認識している次第ではあります。

 

 

 

それ即ち、

 

自己愛性パーソナリティ障害もそうでしょうし、

 

その他にも、

 

演技性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、

境界性パーソナリティ障害等、

 

色々な事柄においての、

 

人間関係的な悩みや、もしくは、

対人関係においての、他人に迷惑が掛かる問題や、

 

もしくは、

 

対人関係においての、

 

自分自身が悩み、苦しむ事等を指して、

パーソナリティ障害(人格障害)と、

認定されるものではあります。

 

 

 

・・・・・・・・が、

ただ単に、

 

悩むとか、マイナスの想いに苛まされるだけじゃあ、

 

別に、

 

誰しもにあるであろう、

極普通のこととも言えるでしょうから、

 

ここでは、

対人関係において、

 

自分でもあり、他人が、

我慢出来ないくらいに、苦しむ事を指して、

 

パーソナリティ障害(人格障害)と、

括っておいた方が、良いものかも知れません。

 

 

 

即ち、

 

その障害ってものは、

 

自分事としては、

個人差が存在するものであるとも言えるでしょうし、

 

例え、

 

同じシチュエーション、同じような役割の人達に、

囲まれたとしても、

 

その症状=苦しみには、

個人差が存在するものでもあり、

 

人によっては、

 

耐えがたい苦痛を感じる人もいるでしょうが、

 

また別のタイプの人にとっては、

何の苦痛も感じないどころか・・・・・・、

 

その逆の、

 

「それでいい、それがいい。」って感じる人も、

出てくる類の障害だという事です。

 

 

 

 

・・・・・・・し、

これまた逆に、

 

それが、その人に関わった他人の評価でもあり、

他人の感想の場合でも、

 

人によって個人差が現れるものではあるのですが・・・・・・・、

 

その本人が、

 

それを気に悩む傾向が強ければ強い程、

「逆引き寄せの法則。」が如く、

 

同じタイプの人達でもあり、

同じような役割の人達を、

類友が如く、周りに集めてしまって、

その他人の評価でもあり、感想でさえも、

 

障害と呼べる程に、

 

マイナスの循環を、繰り返してしまうケースも、

存在してくるものなのでしょう・・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

その、

 

本人の苦痛加減ってものを、

正味の意味で、知る必要性があるものではありますが、

 

それを知るには、

 

また別の秤でもあり、

また別の例えってものを、

用意しない限りは、

 

その本人の、本音ってものを知る事自体が、

難しい代物ではあるのでしょうね。

 

 

 

・・・・・・・というのも、

結局は、

 

そのパーソナリティ障害ってもの自体が、

 

誰しもが、

何かしらの障害=何かしらのコミュ障的資質を持っているからであるとも言えるだろうし、

 

これまた逆に言えば、

 

その本音=苦痛加減ってものを、

直接的には、決して、共有出来ないからこそ、

 

その、

 

パーソナリティ障害ってものが、

伝染して、感染って行く事を、

防ぐことが可能になるとも言えるだろうし、

 

だからが故に、

 

誰かしらの、

パーソナリティ障害=コミュ障的資質に触れる場合においては、

 

直接的な理解を求めない姿勢ってものもまた、

 

必要不可欠な要素には、なってくるものではある事でしょう・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

そこに、必要になってくるのが、

 

所謂、

 

抽象度の高さでもあり、

 

抽象度の移動でもあり、

 

抽象度を変えた上での、

 

別の具体的例に変換された、

客観的な、数値化出来うる秤や、

 

もしくは、

 

親しい人の場合においては、

 

客観的な、より実感出来うる秤ってものが、

必要不可欠にはなってくるものなのでしょう。

 

 

 

 

上記で、より実感出来うる秤とは言いましたが、

要は、

 

その苦しみがある、もしくは、

 

そのコミュ障性に、理解が存在していれば良いものとも言えるだろうし、

 

その理解を持ってして、

 

その苦しみであり、苦痛を軽減出来うるプランを、

構築して行く為でもあり、

 

その協力を仰ぐって事にはなりますが・・・・・・、

 

さっきも言った通り、

 

おおよそ、

全ての人は、

 

何かしらのパーソナリティ障害(人格障害)の因子を持っているものとも言えるだろうし、

 

もっと言えば、

全ての人は、

 

何かしらのコミュ障的因子を持っているって、

 

例え、

 

仮定であったとしても、

 

決めつけて言った方が(何分、自分の経験のうちでしか判断つきませんし)

 

何よりも、

 

前乗り的に、自覚的に、

自主的に、

 

人に対するスタンスでもあり、構えとして、

 

その、

 

パーソナリティ障害的因子や、コミュ障的因子に、

対抗する手段を、講じることが、

可能になって行くのです・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

それが、自分だけどうにかして欲しいと言ったような・・・・・・、

 

他力本願的考えや、

 

人にばっかり、対応を押しつけガチになっちゃうからこそ、

 

自分、他人に関わらず、

 

耐えがたい苦痛を味わう事によって、

医師の助けが必要にはなってきちゃうのでしょうが。

 

 

 

 

でも、

 

それを、正常な状態に戻す為には、

 

人のパーソナリティ障害や、人のコミュ障に向き合ったり、

 

それに安易な共感は出来なくても、

 

それに対しての、

 

ベストな距離感を保った上での、

理解を示すってことが、

 

必要にはなってくるでしょう・・・・・・ってことなのです。

 

 

 

また、

 

それをより突っ込んだ形態にすると、

 

知り合いや、もしくは、

 

多くの人達が、苦痛に感じる事の中で、

 

自分にとっては、

ヘッチャラな事を、より一層、

 

頑張って行く・・・・・・・って事に当てはまって行くのでしょう。

 

 

 

 

ま、とは言っても、

 

それには、

 

楽しさや、充実感が必要不可欠であるとも言えるでしょうし、

 

楽しさ、充実感が存在するのであれば、

 

そこには、

 

自己成長って概念もまた、存在していて、

当たり前なものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

もしかしたら、

 

それの条件ってものを、

特化した上であれば、

 

もう既に、

ある意味、

 

その条件を満たすことが可能であれば、

 

万人にとって、

それは、

 

楽しさ、充実感が存在するものであり、

 

尚且つ、

 

成長性ってものが、存在しうるものと、

なっているかも知れません。

 

 

 

まぁ、

あくまでも、

 

条件であり、環境ってものを、

贅沢に揃えて言った先に、

 

万人にとって、

 

有用性が存在するものとなるのでもあり、

 

その足下でもあり、

無条件な場合においては、

 

「人を選ぶ。」ってのもまた、

「当たり前。」な状態であるとは言えるでしょうが。

 

 

 

それは即ち、

 

お金やリソースを、

無条件で使って行けるのであれば、

 

それは、

 

万人にとって有用性があるとは言えますが、

 

そもそもとして、

 

お金やリソースってものは、

 

個人差ってものがあって当然なものとも言えるでしょうけど、

 

時間ってものは、

ある意味、

 

誰しもにとって、平等に、

1日24時間存在しているものではありますが、

 

それも、

ある種の、

 

会社での立場や立ち位置や、

人間関係によって、

左右されてしまいガチなものとはなっているでしょうが、

 

それでも、

 

日々の仕事や食事や睡眠等によって、

最低限、縛られる時間は存在していても、

 

「どちらでも良い。」とも言える、

 

グレーゾーン的な時間も存在するだろうし、

 

完全に、自由になる時間ってものもまた、

存在している事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それらの時間を、

より一層、

 

己の苦手でもあり、苦痛でもあり、苦しみを掘り下げた上で、

それを回避する為の別のプランを用意する為に、

 

費やすと言った具合でしょうか。

 

 

 

それは、何も、

 

全てが全て、

 

別の事柄で代理するってばかりでも無いでしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

世界観でもあり、ゲーム性を切り替える事が可能であれば、

 

その苦手意識自体が、

消えて無くなる事もある訳でして、

 

まぁ、

その為に、

 

妄想だけ変えて、同じ事をするって事自体には、

全く意味が無いものだとしても・・・・・・(苦笑)、

 

その行動の、

 

ポイント、ポイントを、

別物に変えて行く事によって、

 

全体としての、行動プラン自体には、

大層な変化が訪れなかったとしても、

 

その、

 

行動の抽象度を高めた概念自体が変化する事によって、

 

世界観、ゲーム性にも変化が訪れ、

 

また別の、

 

やる気=モチベーションが湧いてくることも、

あり得るって事なのです。

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

それを全体で共有しようなんて、

コレっぽっちも思っちゃいけないものでもあるのでしょう。

 

 

 

何故ならば、

 

全体化=大衆化されてしまえば、

それは、

 

自分自身の手だけじゃあ、コントロールの効かないものとなり果て、

暴走した挙句に、

ストーリー性だけが、

一人歩きを初めてしまうからでもありますし・・・・・・、

 

何より、

 

自分自身の手によって、

構築して行く楽しむが削がれるとも言えますし、

 

純粋な、

自分軸としての、

 

行動を基準とした上での、

概念でもあり、言葉の紡ぎ合いをするからこそ、

 

そこには、

 

芸術性とか、価値観ってものが出来上がるものでもありますし、

 

それがメソッド的な、

 

エクササイズ的、筋トレ的なものにもなって行く訳でもありますから、

 

自分自身の生活でもあり、

自分自身の人生自体を、

 

RPGゲームのように捉えた上で、

 

「一生、成長する。」または、

 

「成長し続ける事によって、ゲーム性を構築し続ける。」為には、

 

その、

 

全体化=大衆化しないって事を、

厳守し続けて行く必要もまた、

あるのでしょうね。

 

 

 

まぁ、

何だったら、

 

「自分一人専用で良い。」とも言えるでしょうが、

 

その為にこそ、

 

パーティを組んだり、バンド形態を組んだりして、

 

その、

 

「自分一人専用で良い。」に、

理解を持った仲間が必要にはなってくるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

それは結局は、

 

その、

 

パーティ形態や、バンド形態の中では、

抽象度を高めた上では、

同じ意識なのでしょうね。

 

 

 

 

ただ、

 

具体的な形態が違ったり、

役割自体が、分担されているでしょうし、

 

それが、

 

同じにならない配慮ってものが、

必須にはなるでしょうが。

 

 

 

まぁ、

それも、

 

それ以外での、

サブでの活動形態を考慮し、

 

尚且つ、

 

そこでは、全く別物の行動プランでもあり、

必要スキルが存在していれば、

 

例え、

 

同じ活動をするにしても、

 

変化でもあり、違いが生まれるものではある事でしょう。

 

 

 

し、

 

明確な、役割分担が為された、

パーティでもあり、バンド形態においては、

 

逆に言えば、

 

サブの活動においては、

同じ事をして行っても良いとも言えるだろうし、

 

もっと言えば、

 

個人、個人において、

 

一人の活動によって、

全くの別物を用意し続けて行けるのであれば、

 

同じような活動を、

一緒に続けて行ったとしても、

 

そこに、

 

「良い意味での違い。」を生む流れが生まれる訳でもあり、

 

例え、

 

「悪い意味での違い。」であったとしても、

 

それを受け入れる土壌が出来上がる事によって、

 

許されやすい、

ベストな距離感を保った上での、

 

理解ってものが、出来上がって行くものとなるでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

コレが、

 

いつもベッタリ一緒で、

 

いつも同じ事をしている人であると、

目も当てられない状況に陥ってしまうのでしょうが。

 

 

 

要は、

 

「一人の活動時間ってものは、大事だ。」

って事ですね。

 

 

 

「みんなで活動する。」ってことは、

ハッキリ言って、必要無いとは言えますが、

 

まぁ、

 

人は一杯いますし、

なんか、

 

「嫌でも、足並みが揃う時。」ってありますよね・・・・・・・??(苦笑)

 

 

 

そんな時であったとしても、

 

「一人の活動時間。」として世界を見て行くか、

 

もしくは、

 

パーティ的、バンド的な、

役割分担として、

 

世界を見て行くって事が、

重要にはなるのかと。

 

 

 

その、

 

役割分担、もしくは、

役割特化する事によって、

 

人と繋がって行くとも言えるでしょうし、

 

足並みを揃えて、

 

なんか、雰囲気だけ、

みんなで感を出して行くのとは、

ちょっと違うもんでしょうし、

 

それじゃあ・・・・・・・、

 

ダチョウの群れが、一匹走り出したら、

みんな一斉に走り出したり、

 

または、

 

群れがすれ違ったら、

 

仲間が何匹か入れ替わっても平気な事と同じようにも見えてきちゃいますよね〜・・・・・・。

 

 

 

奴らの脳味噌は、

40gしか無いらしいですが、

 

驚異的な回復力のお陰で、

骨が剥き出しになるような怪我も、

自然完治するそうです。

 

 

 

ま、

 

人って霊長類って言いますから、

 

どんな動物にも、

ある意味、

 

関連してきちゃうのかも知れませんが、

 

今年の辰年にちなんで、

 

どうせ関連してきちゃうんであれば、

 

その関連自体を複合させて、

 

キメラ的、ドラゴン的な、ファンタジー的動物を描いて、

 

尚且つ、

 

現実的に、人としての肉体を使って、

それを描いて行けば良いのかと。

 

 

 

まぁ、

あまりにも、

 

中二病が激しい人は、

 

現実的な、人としての肉体を度外視する傾向があるので、

そのギャップには注意も必要となるでしょうが・・・・・・・。

 

 

 

その巻き込む力を回避する為にも、

 

現実的な、人としての肉体を使って、

 

行動をする、活動をする、役割分担をする・・・・・って事が、

重要な要素とはなるでしょうが。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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どもども。

 

キンジです。

 

 

 

一般的に、

応援するって言いますと、

声援をあげたり、その応援したい人の、

活動を追うって事が挙げられますし、

 

基本的には、

 

応援する対象になるのは、

何かしらのアーティストとかアイドルとか、

はたまた、エンターテイナーとか、俳優とか、スポーツ選手等・・・・・・etc、

 

何かしらの、

メディアやインターネット等を通して、

 

多くの人々に向けて、

何かしらの活動を続けている人達が、

相応しいものでもあり、

 

また、

 

多くの人々の羨望を集めて、

ある種の、偶像化が為されているからこそ、

 

その人を応援する=ある種の宗教活動的にもなる事によって、

 

その人を応援する=自分自身の為にもなり、

 

尚且つ、

 

自分自身にとって、

抽象度の高い領域の情報に、アクセスする事にもなり、

 

それによって、

 

自分自身を成長より良く、成長させて行ける側面も、

持ち合わせているものにもなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

純粋に応援するって事もまた、

その活動には、含まれるものではありますが・・・・・・、

 

例え、

 

純粋に応援するのであっても、

それは、

 

上記に挙げた、宗教活動的になり、

信仰が生まれる事によって、

 

その、応援する側にとっても、

能力開発的な、メリットが生まれると言う事が、

 

それが意識的、無意識的にも関わらずに、

原理原則的に、存在している・・・・・・って事でもあるのです。

 

 

 

だからこそ、

 

誰かとか、何かしらの活動家の、

ファンになるってことが、

推奨される訳でもありますし、

 

それは、

 

純粋さが見て取れれば、

見て取れる程、

その応援自体が、美しいものともなっているものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

逆に言えば、

 

それが純粋さだけじゃあ、

 

テレとか自己矛盾が出てきてしまい、

我慢しきれなくなるからこそ、

 

「自分の為。」とするような・・・・・・、

 

僕自身と似たパターンの人々も、

勿論、存在していますし、

 

ある意味、

その方が、

 

応援だけに特化して、

 

ポジショントークばかりの人を、

見抜く事もまた、可能にはなってくるものではある事でしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

それって言うのも、

結局は、

 

応援話だけであれば、

別に、

 

ポジショントークを持ってして、

エンタメ的、ゲーム的に、楽しむのも良いのですが、

 

それが事、

 

自分自身が、

実際に、その先を追求して深めて行く為の、

自分軸としての活動であった場合においては、

 

そのような、

 

ポジショントークな情報ってものは、

一種の、ノイズにしかならないでしょうし、

 

またある意味、

 

その情報の真偽をわざわざ、

確認する為の、時間や手間隙と言ったような・・・・・・、

 

コストが増える事により、

 

キチンと、別物として、

分けておかない事には、

 

自分自身の貴重なリソースである、

時間、手間隙、お金等を、

 

無駄とは言いませんが、消費して行く事にもなってきちゃうのです・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

これは本当に、

 

自分軸として、活動、行動を続けているからこその、

視点ではあるのですが・・・・・・・、

 

ハッキリ言いますが、

 

そのような、

 

ポジショントークで情報収集するくらいであれば、

 

自分軸としての活動や、行動自体を、

自分自身で掘り下げて行きながら、

 

情報を構築して行った方が、

 

確実に、お手軽に役に立つ視点やアイデアを、

発見して行く事が、可能にはなる事でしょう。

 

 

 

それを踏まえてみても、

結局は、

 

応援したくなる人ってものは、

 

何かしらの、活動家である必要性がありますし、

 

もっと言えば、

 

有名人である必要性もあるだろうし(その道の)

 

これも逆に言えば・・・・・、

 

無闇やたらに、

 

応援する人や、変にヨイショするような人を、

増やさないに限るって事は、

言えるでしょうね。

 

 

 

即ち、

ちょっとでも、

 

応援したい気持ちや、ヨイショしたい気持ちが生まれたのであれば、

 

その人が応援している人を知り、

 

それを一緒に応援するってスタンスでもあるのでしょう。

 

 

 

また、

これまたハッキリ言いますが、

 

普通の人間的なメンタル的な問題を挙げてみても、

 

直接応援されたり、

直接ヨイショによって、

持ち上げられ続けた人ってものは、

 

必ず、調子に乗ってしまい、

 

大きな失敗を犯すか、

もしくは、

 

逆ギレの如く、こちらに牙を剥いてくる事になるのもまた、

原理原則的な事なのかも知れません・・・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

応援、信仰、憧れを通して、

ある種の、

 

現実を超えた先に、ファンタジー的、

偶像的な到達点を描いて行く事により、

 

それは、

 

前提的なゴール視点ではありますが、

 

進化する事が可能な視点でもあり、

 

そこから逆算的に、

 

未来、過去、今の状態を繋げて行く事によって、

軸を構築して行く・・・・・・・・って事でもあるのでしょう。

 

 

 

し、

 

その応援する対象者ってものは、

別に、

 

一人である必要性なんて無いでしょうが、

 

そのジャンル事に、

決めて行く方が良いものではあるのでしょうね。

 

 

 

また、

それは、

 

自分軸として行っている活動のジャンルであれば、

 

色々と、増えて行くものとも言えるだろうし、

むしろ、

 

それはもう既に、

 

自分自身と混ざり合ってしまっているだけに、

誰か人・・・・・・って言うよりかは、

 

概念的なものになっちゃっているだろうし、

 

まぁ、

それ即ち、

 

自分軸哲学とはなっている事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それは即ち、

もう、

 

憧れど〜こ〜じゃあ無くて、

 

仲間的な感覚になっているとも言えるだろうし、

 

それを踏まえた上で、

応援する対象者を決めて行きたいのであれば・・・・・・、

 

それこそ、

 

他人軸的なジャンルにこそ、

 

応援する対象を、見極めて、

応援して行く必要性もある事なのでしょうね。

 

 

 

 

・・・・・・・とは言っても、

ただ単に、

 

実績が良いからとか、

一番人気だから等の理由だけじゃあ、

 

例え、

 

他人軸的なジャンル(自分には活動が無いジャンル)であったとしても、

手放しに応援なんて出来ない事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

ただ単純に、

 

声援をあげたり、お客さんになるって事が、

一番シンプルな応援方法であるとは言えますが、

 

応援、信仰、憧れって事を、

考慮しますと、

 

それだけだと、

ある意味、

 

無差別的に、影響を受けて行く訳でもありまして、

 

折角なんだし、

 

自分軸として、

 

深めて培って行った、ノウハウなりスキルってものを、

それにも活かして行きたいって思うのが、

 

人情でもありますし、

 

それを無かった事にする=今までの人生を、

捨ててしまうって事とも同義でもあり、

 

その報復は、

 

必ず、身を持ってして味わう事ともなるでしょうから・・・・・・・、

 

もう、

 

確定事項ではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

ここまでの事を、

ある意味、

要約してみると、

 

結局は、

 

応援する対象ってものは、

無闇に作らない方が良いとも言えるだろうし、

 

別に、

 

応援団にならなくても、

 

自分軸的な活動なり、行動自体が存在するのであれば、

 

それによって、

 

自分の哲学でもあり、自分の秤ってものが、

出来上がって行っているでしょうから、

 

それを持ってして、

 

分野ごと、スキルごとに、

 

応援する=参考にして行く対象ってものが、

存在するのも当たり前でしょうし、

 

単純明快な、

 

ちょっと情報が浅い分野とか、

スキルに関して言っても、

 

無闇に応援する必要性すら無く、

 

その分野であり、そのスキルの上位者を、

選出し、選別し、

 

その人に対して、応援し、

声援を送り、お客さんとなるのが、

 

一番、悪影響が少なく、

 

尚且つ、

 

自分自身の成長の余地を、疎外しづらい方法論とは、

なって行くのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

また、

 

上記で、その分野であり、そのスキルの上位者とは言いましたが、

 

勿論、

ただ単に、

 

お偉いさんであるとかは、

 

別に、応援する対象であるとは、

言い難い側面があるものですし、

 

純粋に、スキルや実績ってものを見て、

 

判断する必要性があるものであるとは、

補足しておきましょう。

 

 

 

お偉いさんにヨイショするのは、

 

まぁ、

組織においての、

 

仕事の一環である事は、確かではあるでしょうが。

 

 

 

 

まぁ、マトモに仕事に取りかかれば、

 

それは、意識しようがしまいが、

 

客観的に見れば、

 

ヨイショに見えない事も無いのが、

マトモな仕事の仕方ではある事でしょうね。

 

 

 

また一方の、

 

自分軸が無くて、

 

「応援から入った人は、一体、どうすれば良いのか??」

って視点から見ますと、

 

応援から入った人は、

 

エンタメ的、ゲーム的に、

ポジショントークを楽しむか、

 

もしくは、

 

応援から、実際に、自分自身も取り組んでみるか、

 

もしくは、

 

応援する対象に対する、憧れを活用しながら、

 

自分軸としての、活動、行動を構築し、

 

その応援している対象とは、

また別のジャンルでありながらも、

 

その応援活動自体を活用し、

 

オリジナルとしての、活動、行動を、

構築して行くって事が、

望ましいものとはなって行く事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

それはある種の、

挑戦でもあり、

 

それはある種の、

 

その、チョイスしたジャンルにて、

他とは違った、キャラクターブランディングが成されるものではありますが・・・・・・、

 

だからが故に、

 

風当たりが強くなるものでもあり、

 

元々の、

 

そのジャンルのお約束事にうるさい連中とは、

真っ向対立して行く事にはなるかも知れません。

 

 

 

 

が、

 

キャラクターブランディングが成されれば、

逆に、

 

そのジャンル自体からもはみ出す代わりに、

 

独自の、唯一無二のジャンルが構築されるものとは、

言える事でしょうし、

 

それを発展させて行く為にまた、

 

新たな、応援する対象を応援し、

 

その活動を、応用・流用する事によって、

 

自分軸をビルドアップし、

 

新たな客層に、アプローチして行ける事には、

なって行くものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

勿論ですが、

 

アプローチするだけじゃあ無く、

 

その見込み客に最適な、

ノウハウであり、メソッドと言ったような、

 

トレーニング要素がありきでの話ではあります。

 

 

 

 

それを踏まえて言いますと、

その、

 

独自の、唯一無二のジャンルってものが、

 

そのスキルと実績をも含めた上で、

お客さんから認められた人ってこそが、

 

応援させるに相応しい人たり得るとも言えるだろうし、

 

それは、どこまで行っても、

 

疑ってかかれば、

真偽を疑い続ける事が、

可能なだけに、

 

応援、信仰、憧れが必要不可欠とはなるものではありますが、

 

だからが故に、

 

自覚的に、

 

応援、信仰、憧れを描いて行く為の、

活動、行動が必須にはなりますが、

 

それを持ってして、

お客さん自身が自分で、

 

その、

 

応援されるに相応しい人ってものを、

選別して行く事が、可能にはなるものではある事でしょうし、

 

応援を一旦止めるなら止めるで、

 

その対象の人を、

 

独自の、唯一無二のジャンルってものなんて持っていない、

他と代わり映えしないとか、

 

そのスキルも、そない大した事無いとか、

 

実績も嘘っぽい要素が垣間見えていて、

信用に値しないとか、

 

描いて行けば良いのでしょうが・・・・・・、

 

 

まぁ、

 

全部が全部、ダメ出し尽しになっちゃう人って言うのは、

 

自分自身の、ものを見る目とか、

自分自身の秤ってものを、

疑って掛かったり、

 

「今までの人生、自分自身、一体、ボケッと流されるままに、何をしてきたんだろう・・・・・・。」

とか、

 

自分自身の生き方、在り方を、

シビアに振り返った方が良い事は、

言うまでも無い事でしょうし・・・・・・・(苦笑)、

 

まぁ、

 

「応援される対象になる。」って事自体が、

敷居が高い事でもあり、

 

複合的な要素を、

ある意味、

 

完全無欠に組み合わされる事によって、

 

「応援される対象になる。」とも言えるでしょうから、

 

それが、

ある種の、

 

その本人の主観による、

偶像崇拝的な、ファンタジー要素であったとしても、

 

それに自覚があって尚、

 

チェックポイント的な、

 

複合的な要素を満たして行く事が、

必要不可欠にはなってくるものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

それはスタート地点にての、

正解を勝ち取るに過ぎないとも言えるだろうし、

 

まずは、

 

フォームでもあり、スタンスにおいて、

正解を勝ち取った上で、

 

新たなエンターテイメントでもあり、

新たなゲームが始まると言ったニュアンスでしょうか。

 

 

 

ま、

単純明快に言えば、

 

「まずは、正解を勝ち取った。」

けど、

 

心配しないでも、

 

その正解を持ってしても、

失敗は繰り返すだろうし、

 

その正解を担保とか保険としつつ、

 

失敗のデータ蓄積をし、

 

それによって、

 

その正解の導き方法の、

バリエーションを増やして行く・・・・・・・ってイメージでもある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

これも補足とはなりますが・・・・・・、

 

マトモな人間関係が出来上がる、

もしくは、

 

マトモな生き物としての、関係性が出来上がるって事自体が、

 

「応援する対象自身では無い。」って事でしょうから、

 

それこそ、

 

応援される=ステージが違う人って認識となるだろうし、

 

その人と、マトモな関係性を築く為には、

 

そこに混ざった上で、

 

その先の応援する対象者を、

選別して行く必要性もあるのでしょうが、

 

・・・・・・とは言っても、

 

その応援団的な人々とは、

良好な人間関係が出来上がるでしょうし、

 

別に、

 

その先の応援する対象者ってものを、

「応援する仲間ってものが居なかっても良い。」とも言えるだろうし、

 

変に隠す必要は無いでしょうが、

 

変に共有する必要も無いでしょうし、

 

「そ〜ゆ〜理解が存在していれば良い。」って認識でしょうか。

 

 

 

ま、

 

変に応援する対象を決めてしまわないでも、

 

自分軸的、活動、行動を通して、

便宜的に、

 

応援できる対象は、増えて行くものでもあり、

 

それによって、

 

適当に、チョイスして行けば良いものかと(笑)。

 

 

 

少なくとも、

 

自分のスキル、行動を通しているだけに、

 

「適当でありながらも、的確。」ではあるでしょうよ。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

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どもども。

 

キンジです。

 

 

自分の立ち位置とだけ言いますと、

ちょっと抽象的過ぎて、

範囲自体が、広過ぎてしまうものではありますが・・・・・・・、

 

自分の立ち位置ってものは、

肩書きってものとは、

=では無いとも言えますし、

 

もっと言えば、

 

肩書き=役割って問題も、

決して、そればかりでは無いって事も、

世の常ではありますし、

 

肩書きだけの問題であれば、

所謂、

 

ポジショントークってものが、

先行しガチにもなり、

 

肩書き=責任問題ではあるけれども、

 

肩書き=専門性かどうかって問題には、

甚だ疑問が残るもんでもある事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

即ち、

 

専門性を語る場合においては、

 

その本人の実績の如何ってものが、

問われるもんでもあり・・・・・・、

 

もっと言えば、

 

専門性を語る場合において、

 

その本人が、普段から、

どのような行いを行って、

日々の手頃な結果、もしくは、

小さな結果を、積み上げているのか??って事の、

 

証拠となりうるようなものが、

必要にもなってくるもんではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

それの一番わかり易い例としては、

 

普段行っている、仕事の業務、

もしくは、

 

仕事、趣味、生活習慣を問わずに、

「どのようなスキルを持ってして、どのような事を行っているのか??」

 

もしくは、

 

「どのようなスキルを行使し続けているか??」って事を、

提示出来れば、

 

その本人の、

その専門性を語る為、

もしくは、

 

その専門性の、必要最低限の、

納得を得る為の下準備が、整うものでもある事でしょう・・・・・!!

 

 

 

上記の事によって、

理解可能な事っていうのは・・・・・・・、

 

何よりも、

 

その語る本人の、

専門性の高さ、もしくは、深さとも言えるだろうし、

 

勿論、

 

その専門性が高い、もしくは、深い領域まで行っている程、

その信憑性が高まるものでもあり、

 

その方がより良いとは言えるのでしょうが、

 

それでも、

このような、

 

情報発信者の在り方としては、

 

決して、

 

その専門性が高いとは言えなくても、

もしくは、

 

その専門性ってものが、深い領域まで行っているわけじゃあ無くても、

 

それはそれで、

 

何かの専門性ってものを、

語る資格としては、

必要最低限の資格を、持ち得るものともなるのです。

 

 

 

それって言うのは、

結局は、

 

普段から行っている、

もしくは、

 

習慣付けているって事自体が、

 

少なくとも、

 

「話を聞いてみよう。」って意味では、

必要最低限の、信頼を生む事にも繋がるだろうし、

 

まぁ、

少なくとも、

 

当事者の生の意見ってものは、

聞く事が可能になるだろうし、

 

そこが嘘ばかりの相手とは、

はっきり言って、

 

話をすればする程、

 

マイナスの縁気が展開されてしまうとも言えるだろうし、

 

マイナスの価値の循環でもある、

 

負のスパイラルの、入り口にもなりかねないでしょうから・・・・・・・、

 

ビジネスライクなやり取り以外では、

出来うる限り、接点を持たないように心がける事もまた、

 

より良い人生でもあり、生活を、

展開して、謳歌して行く為には、

必要不可欠なものとはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それらを踏まえて言いますと、

 

自分の立ち位置とは、

結局は、

 

普段から習慣付けている事を、

踏まえた上で、

 

何かの専門性もしくは、

何かのテーマを語っていく事によって、

出来上がって行く、

 

自分でこそ、自分ならではの、

姿勢でもあり、スタンスでもあり、

はたまた、

 

構えのようなものとも言えるものではありますね??

 

 

 

それは結局は、

 

自分の立ち位置とは言いますが、

 

何も、場所や位置取りってものが、

固定化されてしまうものだけじゃあ無くて、

 

本来の意味的に言えば、

 

どのような場所に行っても、

 

もしくは、

 

どのような人たちと関わったとしても、

それを応用・流用させる事によって、

取って行くであろう・・・・・・・、

 

もしくは、

 

取らざるを得なくなるであろう・・・・・・、

 

「在りたい自分。」ってものによって、

決定されて行くものではあるのでしょうね。

 

 

 

そのような、

「在りたい自分。」ってものが、

明確化されていればいる程、

 

その人にとっての、

 

関わる人や、関わる場所によって、

場所や位置取りに関連する、

立ち位置ってものは、

 

絶えず変化するものとも言えるでしょうが、

 

絶えず変化するけれども、

その、

 

「在りたい自分。」ってものには、

一貫性ってものが、生まれる事にはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それはある意味、

その、

 

「在りたい自分。」ってものを、

逆算的に、現実的に、

導き出しているものとも言えるでしょうし、

 

だからが故に、

そこに、

 

頑張って行く要素が生まれる、

 

頑張らざるを得ない要素が生まれるとも言えますが、

 

その頑張り楽しさや、充実感が伴うそこに成長要素が存在するが故に、

 

それは、客観的には、

努力には映っても、

 

その本人にとっては、

 

RPGゲームのようなものにはなっている事でしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

まぁ、

 

そのRPGゲームのようなものには、

 

筋トレ等の、訓練的なものや、

トレーニング的なものをも、

含まれているでしょうし、

 

そこに数値化出来る要素が存在していれば、

 

例え、

 

現状維持の繰り返しのように見えても、

 

その数値を積み上げて行った結果によって、

それは、

 

主観的に見れば、

成長しているように、見えてきちゃうものでもあるのです。

 

 

 

・・・・・・・し、

 

実際、微差の領域で成長しているはずだろうし、

 

数をこなすって事自体が、

結局は、

 

わかりにくい領域でもある、

 

とても小さな領域、とても細かい領域においての、

成長を実感して行く為には、

必要不可欠な要素にはなってくるのでしょうね。

 

 

 

要するに、

 

そのような、

 

数値化が可能なものを、

数をこなす事って言うのは、

 

一種の結果だろうし、

また、

 

とても小さな領域の進化でもあり、とても細かい領域の進化を測る際には、

 

その数の結果を持ってして、

判断するのが、

一番、確実なものとはなるだろうし、

 

まぁ、

 

何事も、1万時間行えば、

達人の領域に入るとも言うでしょうから・・・・・・、

 

どれだけボンクラで、無能であったとしても(笑)、

 

その数は、

 

必要最低限の、信用を測る際には、

無視出来ないものとなるでしょうが、

 

まぁ、

 

1万時間行う為には、

恐らく、

 

ただただ、単純明快に繰り返すだけじゃあ、

難しいものでもあるだろうし、

 

だからが故に、

 

色んなノウハウやエンタメ的なものが、

売り出されている事でしょうし、

 

その、1万時間を達成する為にも、

 

同じ、単純作業の繰り返しだけじゃあ無くて、

 

試行錯誤を含めた上での、

自分自身を楽しませる、充実させる為の、

やり方があるだろうし、

 

それは、

その、

 

1万時間を達成する専門性を、

更に細分化した上で、

 

専門スキルとして、

分野として分ける、もしくは、

種目として分けて行く・・・・・・・って事にもなってくるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

ただただ、単純作業として認識した上で、

 

それでも、

 

それを行うだけで、楽しさや、充実感が存在するって方は、

 

そのまま繰り返せば良いとも言えるでしょうが、

 

それを分析してみれば、

それは、

 

ただただ、ひとまとまりの全体像として見て、

単純化して見ているに過ぎなくて、

 

実は、

 

それを行っている際には、

 

毎回、テーマを変えて、

別の意識で行っているからこそ、

 

そこに飽きがこないものとも言えるだろうし、

 

もしくは、

 

同じ意識で行う、

もしくは、

 

同じフォームであり、同じ姿勢であり、同じ構えで行っているのに、

 

そこに、

楽しさや、充実感=成長要素が存在するのであれば、

 

それは、

その、

 

同じフォームであり、同じ姿勢であり、同じ構えを、

色んな物事に、応用・流用する事によって、

 

少しづつでも、

場数を増やして行っているからこそ、

 

それでも、

 

新しい視点が出来上がる事によって、

飽きってものが、こないものなのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

上記の2パターンの方法論は、

要は、

 

好きな事や、楽しい事を続ける=自分軸を貫くって事に、

他ならないものではありますが、

 

その両方が、ケースバイケースで必要となるだろうし、

 

それを持ってして、

 

他人軸に陥るんじゃあ無く、

 

自分軸として、物事を、推し進めて行ける事にはなるものでしょうし、

 

それを意識的に行う事によって、

 

自分の立ち位置ってものを、

見失うことは無いでしょうね。

 

 

 

 

けれども、

そのような、

 

楽しさベースや、充実感ベースで、

物事を測れる人って言うのも、

 

どうも、

 

人を選ぶ傾向があるものでして・・・・・・、

 

逆に、

 

他人軸ベースで、成長要素を求めて、

物事を測る方が、

 

楽しさや、充実感に、到達する人も結構、

 

多数派として存在していることもまた、

事実なのかも知れません・・・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

どちらにせよ、

 

結果的に言えば、

 

楽しい、充実する成長要素を見出す事が可能って点で言えば、

同じではあるのですが・・・・・・・、

 

両方ともに言えるのは、

 

楽しい、充実するで満足するとか、

成長要素を見出して満足するとか、

 

どちらか片一方で、

止まっていては行けないものであるのでしょうね・・・・・・。

 

 

 

両方ともが、

 

その先を追求して行けば、

必ず、

 

繋がって関連するものであると言えますから、

 

楽しい、充実するならそれで、

 

それを分析して、成長要素を見出す必要性があるだろうし、

 

成長要素が存在する物事であれば、

 

それを、

 

努力とか、死に物狂いで、

借金を背負っているが如く、

命を狙われているが如く行うんじゃあ無くて・・・・・・(苦笑)、

 

成長要素が存在するのであれば、

 

それは、楽しさや、充実感が存在していて当たり前と思って、

そのように行って行く必要性がある・・・・・・って事でもある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

ま、

単純明快に言っても、

 

成長したのに、成長した実感が存在しているのにも関わらずに、

 

苦しそうな人とか、

鬼のような形相の人って言うのは、

 

ちょっと何かがオカシイものでもあり、

 

何処かに、

嘘が存在しているのもまた、

 

当たり前でしょうが、

 

まぁ、

 

マトモな人間であれば、

それは、

 

隠す事自体が、難しいものでもあり、

 

要は、

 

成長の実感と言う意味での、

経験不足な人であるとも言えるだろうし、

 

もしくは、

 

成長の実感を得るまで、

そ〜と〜苦しみ続けてきた、

ちょっと悲しい人なのかも知れませんね・・・・・・・。

 

 

 

・・・・・・とは言うて見たもの、

それも、

 

個人的に、一人から行うスキルであれば、

別に、

 

人にアピールする必要性もありませんし、

 

自分で把握した上で、

それを続けて行けば良いとも言えるでしょうが、

 

まぁ、

 

その楽しさや、充実感ってものは、

確実に、

周りの人には伝わっている事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それは、

勿論、

 

その行為自体が、万人にとって、

 

楽しさや、充実感に繋がるかどうか如何よりかは、

 

その感情自体が、伝染するとも言えるでしょうか。

 

 

 

その感情を持ってして、

 

「何を行うか??」って問題は、

その当人の問題であるとも言えるだろうし、

 

まぁ、

 

同じ行いをトレースするのであれば、

 

その成長要素にフォーカスした上で、

数を重ねる事により、

 

成長を実感し、楽しさや、充実感を、

湧き上がらせるって事が、

重要になり、

 

そのサイクルを繰り返す事によって、

 

それを行うだけで、

楽しい、充実するって事に、

なってくるものではあるのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

また、

楽しさや、充実感ってものは、

ただ単に、

 

その強さだけを求めるものでも無いものかも知れません。

 

 

 

即ち、

 

「それがあるか無いか??」って事が、

重要な要素でもあり、

 

ただ単に、

 

その強さだけを求めて、

 

それが長続きしないとか、

それを再現する事自体が難しい状態であれば、

 

それは、

何処か、過剰な状態であるのかも知れません。

 

 

 

過剰な刺激を求め続けると、

どんどん、

 

その楽しさでもあり、充実感ってもの自体の、

感度の敷居が高くなる事によって、

 

「それがあるか無いか??」の、

無い領域が、広がって行く事にもなっちゃう事でしょうから・・・・・・・、

 

それの強さ如何よりかは、

 

それの持続力とか、再現性にこそ、

拘る必要性があり、

 

正に、

 

0→1の領域を、繰り返すようなサイクルが、

相応しいものとはなるかと。

 

 

 

まぁ、

単純に数値化してみましたが、

 

果たして、

 

1で楽しいとか、充実しているとか、

思えるかどうかは、

僕自身も疑問が沸くものでもありますし(苦笑)、

 

それは、ある種の、

 

達人の領域の話にもなっちゃうので、

 

0→3もしくは、0→5くらいにしておいた方が、

無難なのかも知れませんが・・・・・(笑)。

 

 

 

3もしくは、5を目指して再現し、

尚且つ、

それを持続させて行くイメージでしょうか。

 

 

 

ある意味、

 

集中力との勝負ではありますが、

 

少し休めば、

 

また、再現していけるものでしょうし、

 

楽しさや、充実感ってものは、

 

それを実際に感じて、

表現としてアウトプットして行けばいくほど、

それをまた、再現し易くなって行くものでもあるでしょうし、

 

要は、

 

楽しさや充実感の、敷居が低くなって行くものでもあるだろうから、

 

楽しさ、充実感と言った、

感情先行の人も、

 

成長要素先行の人も、

 

どちらの場合においても、

 

楽しさや充実感を、噛み締めれるような、

表現=アウトプットが望まれるものでもあるでしょうから、

 

人がど〜こ〜言うよりかは、

 

主観的に、

 

しっくりくる、表現=アウトプットが望ましいものとなるでしょうし、

 

それを真似から入る人であっても、

 

求めて行くのは、

 

例え、

 

真似から入ったとしても、

自分でこそ、自分ならではの表現=アウトプットとはなる事かと。

 

 

 

要は、

 

細かい部分や、細部の部分には、

ある種のテキトーさが必要になるとも言えるでしょうが、

 

そのテキトーさにこそ、

 

数をこなした上での、

テクニックが宿って行くものかと。

 

 

 

 

一体、何の話をしているのか、

良くわからない事になってきましたので、

この辺で・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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どもども。

 

キンジです。

 

 

起承転結って概念がありますが、

 

僕自身、馴染みが深いのは、

勿論、

 

文章においての起承転結ってものも、

ありますが、

 

それよりも更に、

 

曲の構成においての、起承転結ってものに、

ギターを弾くのもあって、

馴染みが深いものではあります。

 

 

 

即ち、

 

イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、Cメロと言ったような、

概念の事ではありますね。

 

 

曲の構成としては、

 

イントロから始まって、

Aメロ→Bメロ→サビ→ギターソロ→CメロがあればCメロ→サビの繰り返し・・・・・・etc、

ってパターンが、一般的な流れではある事でしょうし、

 

それを持ってして、

 

曲としての起承転結とは言うのでは無いでしょうか??

 

 

 

でも、

実は、

 

AメロならAメロの中にも、

 

コード進行という風な、

コードの流れってものが存在しており、

 

AメロならAメロの起承転結ってものが、

存在しており、

 

また、

 

BメロならBメロの中での、

起承転結ってものが存在しており、

 

またまた、

 

サビならサビの・・・・・・etc、

と言った具合に、

 

それぞれの項目の中にもまた、

 

そこに、

起承転結ってものが、存在してくるものでもある事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

 

曲として見てみれば、

 

イントロ、 Aメロ、Bメロ、サビと言った具合に、

起承転結を、読み取る事が可能にはなる訳ではありますし、

 

それが、

所謂、

 

リスナー視点としての、

起承転結とはなる事でしょうね。

 

 

 

まぁ、

 

曲の掴みとしての、

良し悪しを測る際に、

 

サビのメロディーから入るって人もいる事でしょうが、

 

それはある意味、

 

上記で挙げた、

 

サビの中の起承転結を、

読み取る事によって、

 

「その曲を、聴き続けるかどうか??」って事を、

判断でもあり、決断しているのかも知れませんね。

 

 

 

・・・・・・・というのも、

 

曲としての起承転結とか、

 

サビの部分の起承転結とかは、

 

正に、

 

リスナー視点だからこそ、

より、重要性が出る部分でもあり、

 

それによって、

 

一般的な、

曲の好みってものが、

出来上がっているものでもあるのでしょうね。

 

 

 

けれども、

事、

 

何かしらの楽器を演奏していたり、

 

もしくは、

 

カラオケ等で、歌を歌う前提として、

音楽に関わっている人の場合においては、

 

サビの起承転結は、勿論、大事な部分にはなってくるでしょうが、

 

それ以外の、

 

Aメロ、Bメロ、Cメロ、

 

もっと言えば、

 

間奏(ギターソロ等)の部分の、

起承転結こそ、

 

実は、

 

もっとも、

馴染みが深い部分にも、なって行くのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

即ち、

 

サビ=要は、

わかり易く、コピーでもあり、共有して行く部分であるとも言えるでしょうが、

 

実は、

 

そこではあまり、冒険する事が不可能な部分でもありますし、

 

そこで、

 

原曲と、別物に聞こえてしまう=ヘタクソ扱いされると、

同義とも言えるのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

だからこそ、

 

それ以外の、

Aメロ、Bメロ等において、

 

そこに、

 

決して、ぬぐい切れるもんじゃあ無い、

「自分でこそ、自分ならでは。」を、

遠慮無く出して行くのでは無いのかと・・・・・・(笑)。

 

 

 

まぁ、とは言っても、

 

Aメロ、Bメロ等にも、

 

コード進行=キー設定や、

それに沿った、決まったメロディラインが存在していますから、

 

勝手に、何でもかんでも、

 

好き勝手に歌ったり、演奏したり出来るものじゃあ無いって事は、

理解可能ではある事でしょう。

 

 

 

・・・・・・・ま、

 

コード進行=キー設定から、大きく外れてしまわない程度には、

アレンジして行く事は可能でもありますし、

 

それこそ、

 

全てのメロディーラインに存在するであろう・・・・・・、

 

細部の部分にては、

 

「自分でこそ、自分ならでは。」を、

表現して行く事が、

可能にはなるでしょうし、

 

もっと言えば、

 

出す気が無くても、出てくるものとなるでしょうから・・・・・・・(苦笑)、

 

それを、

前向きに捉え直して、

 

表現して行く事が、重要にはなってくるのでしょうと。

 

 

 

 

それは、

 

音楽の中でも、

 

人間が歌ったり、演奏するものの中での範疇の話ではありますが、

 

それらの音楽は、

 

ロボット的な、完全な音楽じゃあ無いからこそ、

 

そこに、

 

歌手でもあり、演奏者のキャラクターでもあり、

人間性が垣間見れるものでもあり、

 

その、

 

狙っては中々再現する事も難しい、

細部のズレによって、

 

その奏者や、曲自体の評価が決定されているものではあります。

 

 

 

し、

それは、

結局は、

 

反復練習等の、鍛錬も、

勿論、

そうでしょうが、

 

それだけでも無く、

 

自分自身の、

 

決してぬぐい切る事が不可能な、

手癖や、口癖(この場合においては、もっと細部的な、吐息のようなもの)を、

良い意味で、前向きに捉えて、

表現を繰り返した末に、

出来上がって行く、

 

もしくは、

 

昇華されて行く芸術性ではあるのでしょうが、

 

それらは、

良い意味でも、悪い意味でも、

 

比較する事が難しいものでもあり、

 

またまた、

 

自分自身が歌ったり、演奏する当事者であればある程、

 

自分自身のキャラクターや、癖を、

度外視していては、

 

マトモな評価でもあり、

マトモな判断をする事が、

不可能なものでもあるのでしょう・・・・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

逆に、

 

客観性を持った判断要素としては、

 

上記で挙げた、

 

ロボット的な部分にも当たる、

メロディーラインの正確さとか、

 

コード進行=キー設定から、

変な外れ方をしていないか??とかが、

 

それらの質を測る上での、

判断要素にはなり得るのでもあるでしょうし、

 

それかもしくは・・・・・・・、

 

その使用されているテクニックの正確さとか、

 

単純明快に、

 

メロディーに使われている、

音数の多さとかも、

 

客観性という意味であれば、

 

その曲自体の、レベルを測る上では、

適正な判断要素とはなるものではあるのでしょうね。

 

 

 

・・・・・・・まぁ、

とは言っても、

 

それは、

 

歌い手でもあり、奏者としての、

判断要素ではありますから、

 

一般の、

音楽を、ただただ、

聞いて楽しむ人たちにとっては、

 

そんな判断要素よりももっと、

 

「自分に響く。」という意味での、

 

サビのメロディーラインとか、

 

曲としての、

起承転結と言った要素が、

 

曲自体を評価するのには、

より、

 

大切な要素とはなっているのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

それは、

要するに、

 

「パッと聞き。」の判断要素であるとは言えます。

 

 

 

し、

その、

 

「パッと聞き。」の回数を増やす事によって、

 

より、

 

深淵なる要素に、注視して貰う必要性があるのかと・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

まぁ、

とは言っても、

 

奏者側からの立ち位置で言わせて貰えば、

 

そのような細部の部分は、

 

全てが全て、

コントロールしている領域じゃあ無くて、

 

反復練習の末に、

滲み出たものを、

 

良い意味で、受け入れているものに過ぎないのでしょうし、

 

本人的には、

 

その歌でもあり、演奏に長けていれば長けている程、

それはある意味、

 

無自覚な領域にもなっており、

 

単純明快に言えば、

 

「そんなに神経質に、細かい神経を使っている訳じゃあ無い。」って事でもあるのでしょう・・・・・・。

 

 

 

僕自身、

細部細部とか、

よく言うかも知れませんが・・・・・・、

 

実際に、

 

細部細部に意識を向けて、

行動してみれば、丸わかりかも知れませんが、

 

細部ばかりを見ていれば、

 

連続した行動を行って行く事自体が、

困難な状態に陥りガチではある事でしょう。

 

 

 

即ち、

 

その細部ってものは、

 

連続性の存在する、

ひとまとまりの、

数を構築した上での、

細部の塊であるからこそ、

 

人に響いて行くものが出てくるものでもあり、

 

また、

歌い手、奏者からしても、

ある意味、

 

無意識の領域で、

吐息を吐くように、

 

もしくは、

 

手癖で演奏しているかのように、

極自然に、再現でもあり、

表現出来るようになるものでもあり・・・・・・・、

 

細部に拘り過ぎて、

 

一個一個、流れが止まってしまう状態であれば、

 

その細部の微差自体も、

大差では無く、

 

ただの微差になっちゃうだろうし、

 

もっと言えば、

 

細部に拘って、

体が強張ってる分、

 

極普通に行う際よりも、

パフォーマンスが落ちてしまう・・・・・・・って事に、

なってしまう事でしょう・・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

 

細部に拘るのであれば、

 

無意識の領域で行い、回数を重ねた上での、

 

ひとまとまりの、

数を構築した上での、

細部に拘る必要性があるのかと。

 

 

 

それは、

結局は、

 

試行回数を増やす事でしか、

到達出来ない領域でもあるでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

最初から、

 

無意識の領域で、

ひとまとまりの、細部を構築出来る人も、

中にはいますが、

 

そのような人であっても、

 

上記の事を、

意識して行かない事には、

 

スランプに陥りガチになり、

 

逆に言えば、

 

最初から出来た方がかえって、

 

パフォーマンスの、浮き沈みが激しい、

情緒不安定な在り方に、なりガチではある事でしょう。

 

 

 

だからこそ、

 

日々の、数稽古の如くの、

積み重ねってものが、重要にはなってくるのでしょうね。

 

 

 

またそれは、

 

その他の物事で、

同じようなスキルを使う物事であれば、

応用・流用は可能ではありますが・・・・・・、

 

何よりも、

 

それそのものの、

回数を重ねるって事自体が、

一番、重要な要素にはなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

 

歌い手であれば、歌う、

 

奏者で言えば、演奏する、楽器を触るって事に当てはまる事ですね。

 

 

 

それを踏まえて上で、

 

その歌う、演奏するって行為を、

 

スキルを磨くとか、筋肉を鍛え上げると言う風に、

捉える事によって、

 

自分自身の体を関連させて行く事により、

自己成長の概念としてしまう・・・・・って事でもあります。

 

 

 

これも、

事、

 

ギターの話で言えば、

 

新しいフレーズを覚えて行く際には、

なんか、

 

一音一音、

細かく、丁寧に進めて行く方が、

覚えやすいようにも見えガチではありますが・・・・・・・、

 

実は、

 

ワンフレーズとして、

一気に覚え切るくらいの方が、

覚えやすい=体に馴染み易いものでもあり、

 

その際には、

 

エレキギター と言えば、

 

細かいスキルが要求されるイメージがあるものではありますが、

 

その細かい指先の動きを、出来るだけ、

腕全体を使って行くイメージで行って、

 

ホンマに、正味の意味での、

 

細かい筋肉を鍛えて行く、

 

もしくは、

 

運動神経を繋いでいくイメージで行ってこそ、

 

新しいフレーズを覚えれる=新しいフレーズが、体に馴染むって事に、

なるものでもあるのです・・・・・・・!!

 

 

 

 

そのイメージで行って行くと、

 

体の強張りでもあり、

筋肉の張りが、安定していけば行く程、

そのフレーズ自体が、

自然に演奏出来るようになって行くものでもあり・・・・・・、

 

その最初の覚えたてってものは、

 

それが、

難しいフレーズであったり、

 

自分の手癖との相性があまり良くないフレーズであればある程、

 

体が強張って、

本当に、

 

エレキギター を使って、筋トレしているような錯覚に、

陥るものでもあるのです・・・・・・(笑)。

 

 

 

また、

 

実際に、筋トレをして、

筋肉を大きくした方が、

 

演奏自体も楽にこなせるようになるものでもあります。

 

 

 

僕自身、

昔は筋トレ的な意識なんて無くて、

 

気合と勢いで、練習に励んでいた訳ではありますが・・・・・・・(苦笑)、

 

なんか、そう言えば、

筋肉が付いてきたなと・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

ある意味、

 

筋トレで言う、

 

自重トレーニングの類に分類されているものなのかも知れませんね。

 

 

 

その自重トレーニングを、

 

全てのスキルが必要な物事に、

当てはめて行くからこそ、

 

物事を、体で覚える事が可能になり、

 

より、無意識の領域で、

 

ひとまとまりの細部に拘る事が可能になるのだろうし、

 

それを持ってして、

 

応用・流用が容易になって行くのではと。

 

 

 

要するに、

 

全てのスキルが必要な物事ってものは、

 

その全てが、

 

運動神経を繋いで行く事でもあり、

細かい筋肉の、自重トレーニングとなっているし、

その意識が必要なのかと。

 

 

 

単純明快に言えば、

 

体力勝負であるとも言えますし、

 

体ってものが、資本であると言えるでしょうが、

 

細かい筋肉を鍛えて、

運動神経を繋いで行かない事には、

 

そのスキル自体が、上達する事は、

ほぼほぼ無いとも言えるでしょうし、

 

筋肉を大きくするって事は、

それだけで、

 

スキルにおいて、体力、もしくは、容量が増えるとも言えるだろうし、

 

単純に、力持ちになって、

 

より大きな力を、発揮出来るようになるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

また、

 

仕事の場合においても、

 

その仕事においての、

数字を上げて行くって事が、

 

所謂、

 

ノルマにはなってきますが、

 

それプラスアルファとして、

 

上記で挙げた、

 

運動神経を繋げるとか、

細かい筋肉の自重トレーニングとか、

 

もしくは、

 

筋肉を大きくするって意識を持つ事によって、

 

仕事の数字を挙げるだけじゃあ無くて、

 

自己成長をも視野に入れて、

楽しみを持って、行う事が可能になるのかと。

 

 

 

ま、

だからとは言っても、

 

企画が全てであるとも言えますし、

 

法外な金額の請求とか、

逆に言えば、

 

法外なノルマの請求には、

 

程々の意識を持って、

付き合う必要性もあるのでしょうが。

 

 

 

体を壊してしまったら、

元も子もないでしょうし、

 

そこまで行かなくても、

 

自己成長が無かったり、

もしくは、

 

過剰なトレーニングのようになっちゃって、

自己成長に滞りが出てきてしまっていては、

 

そこに、

 

楽しみとか、充実感とかを、

見出す事自体が、難しくなり、

 

人間関係自体も、ギスギスとした関係になってしまったり、

事故が併発したりするような・・・・・・、

 

負のスパイラルに陥ってしまうので、

注意が必要かと・・・・・・・。

 

 

 

あ、

 

上記で歌い手とか、奏者が、

筋トレ的であると言いましたが、

 

何よりも、

 

ドラム自体が、一番、しっくりくる感覚なのかと(笑)。

 

 

 

まぁ、

要は、

 

ドラムだけじゃあ無くて、

 

全ての楽器隊が、そのような要素が必要になるかと。

 

 

 

その中でも、

 

ドラムが一番、筋トレ的な要素がしっくりくるでしょうね。

 

 

 

ボーカルも、

 

声量とか持続力の面で言えば、

体力勝負ではありますが・・・・・・、

 

筋肉とか、運動神経的に言えば、

 

全ての楽器において、

 

その楽器特有の、細かい筋肉と、

それ特有の運動神経が求められるものかと。

 

 

 

また、

 

ドラム自体にも、

 

そのフレーズにおいて、

起承転結ってものが、存在してますが、

 

曲としての、

起承転結を担うのは、

結局は、

 

コード進行と、メロディーラインにはなるかと。

 

 

 

まぁ、

 

ドラムやベースと言ったような、

リズム隊が居ない事には、

 

曲自体、成り立たないのですが。

 

 

打ち込みのリズム隊を用意するって手もありますが、

 

人間味でもあり、

キャラクターが欲しければ、

 

生ドラムが一番ですし、

 

僕個人的に言えば、

 

打ち込みってものは、

ドラムが居ない場合の、

最終手段なんじゃあなかろうかと・・・・・・・(笑)。

 

 

 

まぁ、

 

一人で趣味でやっている場合においては、

打ち込みでも、全然okなんでしょうが。

 

 

最近は、

 

youtubeで本人のもそうでしょうし、

 

誰かのコピーの演奏でも、

色んな動画がアップされているんで、

 

合わせて楽しむ為の要素には、

事欠かないですしね。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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どもども。

 

キンジです。

 

 

環境に適応するって言いますと、

所謂、

陽キャラ、陰キャラと言う風な、

イメージも膨らんでくる概念ではありますね??

 

 

 

即ち、

 

環境に適応する=陽キャラとして適応するって事が存在するだろうし、

また、

 

環境に適応する=陰キャラとして適応するって事もまた、

存在するものとはなる事でしょう。

 

 

そのそれぞれは、

まぁ、

 

それをコミュニティもしくは、

一つのグループであり、

パーティー化して見てみれば、

 

その中心にくるのは、

何時も、陽キャラであるとも言えますが、

 

陰キャラがいない事には、

 

そのコミュニティでもあり、

グループでもあり、

パーティーってものは、

 

ある種の、

 

仲間内だけの集まりに見えてくるものでもあり、

 

それ即ち、

 

新しい人が入って来づらい環境になっちゃったり、

 

もしくは、

 

同じタイプの人ばかりが、

その、

コミュニティでもあり、グループでもあり、

パーティーには集まり易くなる反面、

 

新しいタイプの人達や、

所謂、

 

新しい風ってものが、

入って来づらくなる事によって、

 

ある種の・・・・・・・、

 

「同じ事の繰り返し。」に終始する、

それが好きであれば、

そこに集まるのでしょうが・・・・・・、

 

あまり、

 

発展性を見込めない、

コミュニティでもあり、グループでもあり、

パーティーと化してしまう事にも成りかねません・・・・・・。

 

 

 

勿論、

その、

 

「同じ事の繰り返し。」ってものが、

 

歴史や経験を踏まえた上での、

本質的な事の場合においては、

 

それが好きな人自体が、

 

消え去って行く訳でも無いだろうし・・・・・・、

 

そこには、発展性ってものも、

絶える事も無い事でしょう。

 

 

・・・・・・・が、

 

そもそもとして、

 

本質的って事自体が、

所謂、

 

抽象度が高い領域の話でもあり、

概念であるが故に、

 

本質的に同じって事自体が、

実は、

 

具体的な事や、具体的な案に置き換えられて、

抽象度レベルを降りてくると・・・・・・、

 

その各々が、

 

全く関係が無く、全く別物の形態を取るって言う、

理解ってものもまた、

必要にはなってくるものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

「本質的に同じ。」って事自体が、

実は、

 

コミュニティとか、グループとか、

パーティーとしては、

 

あまり、

向かない属性を持っているものだと言う事ですね。

 

 

 

だからこそ、

それを、

 

コミュニティとか、グループとか、

パーティー性にする為には、

 

例え、

 

本質から遠ざかったとしても、

 

何かしらの専門性を持った上で、

具体的な、共有する為のものが、

必要不可欠にはなってくるものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

要するに、

その上で、

 

「本質的に同じ。」を求めるのであれば、

 

そこに集まってくる人々、

もしくは、

 

そこに相応しい人って言うのは、

 

その特徴や、性格ってものが、

似通ってくるのもまた、

当たり前でもあり、

 

その具体的方法を、

より、数値化し、

 

成果を上げる方法論に特化した上であれば、

 

尚更、

 

そこに集まってくる人々や、

そこに相応しい人って言うのは、

同じタイプの人で無いと、

逆に、

 

その本質ってものの、

真偽自体が、薄れていってしまう事にも成りかねないものではある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

し、

 

そのようなタイプの、

コミュニティとか、グループとか、

パーティーってものは、

 

あまり、

 

真の意味での仲の良い集まりでは無く、

どちらかと言うと・・・・・・、

 

ビジネスライクな関係性に落ち着くものでもあり、

 

尚且つ、

 

これまたどちらかと言うと・・・・・・・、

 

格闘技的な、ライバル的、戦友的な集まりとなるのもまた、

仕方が無いものとはなる事でしょうね。

 

 

 

そのような集まりもまた、

 

自己成長を心がける人にとっては、

無くてはならない関係性ではあるとも言えますが、

 

だからとは言っても、

 

毎日毎日、

 

そのような集まりだけであれば、

 

その関係性は、ギスギスしたものに成りガチでもある事でしょうから・・・・・・、

 

そこに必要となるのは、

 

お互いに、

干渉し過ぎない為、

 

もしくは、

 

お互いの責任でもあり、手柄を明確にして行く為の、

距離感ってものにはなってくるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

上記で、

責任でもあり、手柄と言いましたが、

 

中には、責任とか手柄とか、

 

「一々、セコい事言うなよな〜。」とか、

 

「そんな事言うから、殺伐とするんだろうに〜。」とか、

 

のたまう人もいるかも知れませんから、

言っておきますが・・・・・・、

 

責任とか、手柄として、

数値化して把握して行くからこそ、

 

自分自身の、セルフエフィカシー(自己効力感)が高まり、

 

それによって、

 

人に行動を持ってして、

良い影響力を発揮出来るものでもあり、

 

それによって、

 

関係性を持ってして、

お互いの、セルフイメージも、

より良く描いて行くことが可能になる訳でもありまして、

 

人にアピールする場合においても、

 

数値化しているからこそ、

 

極自然に、客観性を持って、

人にアピール出来るものとなるだろうし、

 

人に対してアピールしない場合においても、

 

その数値化して、把握した要素があるからこそ、

 

自分一人の領域であったとしても、

セルフエフィカシー(自己効力感)を、

高めていけることにはなるのです・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

セルフエフィカシー(自己効力感)が高まるって事自体が、

楽しい、充実するって事に繋がるだろうし、

 

それ=成長が存在するって事でもあるのでしょうね。

 

 

 

また、

そうやって、

ある種の、

 

責任と手柄を把握する為にも、

 

ある一定の距離感を保った上でのコミュニティでもあり、

グループでもあり、パーティーってものは、

同じようなタイプの人達が集まりやすいだろうし、

 

その本質的な形態ってものもまた、

同じタイプの具体性となり易いが故に、

 

そこは、

 

洗脳性が高いコミュニティでもあり、

グループでもあり、パーティーとなり易くなって行く側面がある事でしょう・・・・・。

 

 

 

まぁ、

 

その方が、

選民的ではありますが、

 

その本質の再現性の為には、

最適ではあるとは言える事でしょうが・・・・・・、

 

世の中は、

そんな極少数派の人達なんて、

お構い無しなくらい、

 

色んなタイプの人で、溢れかえっているものではありますし、

 

どちらかと言えば・・・・・・・、

 

全く違うタイプの人であった方が、

かえって、

 

違いだらけであるが故に、

 

共有する事=本質的な概念もしくは、

具体的な行動手順に対して、

貪欲な姿勢を持って、

それを死守する傾向があるものでは無いでしょうか・・・・・・??

 

 

 

何故ならば、

 

違いだらけであるが故に、

 

それを死守して、

命綱的に、共有しない事には、

 

吹けば飛んで行ってしまうような関係性であるとも言えるからなのです・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

実際、死守もしくは、

厳守するだろうし、

 

それを蔑ろにすれば、

 

文字通り、

 

違いが違いを生む事によって、

 

本質的に言えば、

全く違う方向性になって、

 

具体的に言えば、

 

全く違う事を行って・・・・・・・、

散り散りバラバラになって行ってしまうもんだと言う事なのです。

 

 

 

 

また、

これを逆のケースから言えば、

 

同じタイプの人であれば、

別に、

 

本質的、具体的な案ってものを、

共有する必要性も無く、

 

価値観とか、趣向的な繋がりを、

いつでも気軽に、

見出す事自体が、可能になるものではある事でしょうが・・・・・・・、

 

これまた逆に、

 

近しい場合においては、

 

本質的、具体的、

どちらのケースの場合においても、

 

同じような事を、

行っていてはいけないだろうし、

 

同じような事を、

同じようなタイプの人で行うからこそ、

 

代わりが効き易い、

コモディティ化した人が、増えてしまう事にはなってしまうのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

最低限な、仕事のノルマであれば、

 

それは、

 

代わりがいくらでも効く方が、

相応しいものでもあり、

 

誰でもある意味、

簡単に、

 

お金を稼ぐ手段とはなるものではあるでしょうが、

 

それを爆発的に加速させたり、

もしくは、

 

お金を稼ぐ以外の、

付加価値を創出する為には、

 

「その人ならでは、その人でこその何か。」ってものが、

必要となり、

 

それが大切になり、

 

それによって、

人生の充実感ってものを満たして行ったり、

 

もしくは、

 

その人ならではの、

顧客属性ってものが、出来上がって行ったりするものなのでしょうね。

 

 

 

また、

上記の理由から言っても、

 

結局は、

 

同じようなタイプの人だけで集まって、

同じような本質、

同じような具体的案を行うって言うのは、

 

仕事の最低限のノルマだけで良いものと言えるでしょうから、

 

結局は、

 

「環境に適応するためには、自覚的に洗脳される必要性がある??」

って問いには、

 

自覚的に洗脳される必要性はあるけれども、

 

それは、

 

最低限のノルマの部分だけで良いとも言えるし、

 

それ以外の部分においては、

その、

 

最低限のノルマをこなしながらの、

ある程度の、自由ってものもまた、

約束されるものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

だからが故に、

 

そのノルマ自体が、

キツい場合においては、

 

それこそ、

 

洗脳される勢いで、

そのノルマ自体を、軽くこなせるように、

自分自身を進化させるか、

 

もしくは、

 

合わないなら合わないで、

早くに見切りを付けて、

 

別の仕事を始めることが、重要にはなってくるのでしょうね。

 

 

 

また、

 

そのノルマ自体が、

予想以上にキツい環境の場合において、

 

その環境にては、

 

同じようなタイプの人が多く集まり、

同じような具体性の事柄を、

共有せざるを得ない状況化を、

予想出来るものではありますが・・・・・・、

 

その場合にては、

 

出来るだけ、

 

違うタイプの人と関わり合いを持ったり、

 

違いが明確な、具体性を持った人と、

関わり合う事自体が、

 

そこの人間関係の、

風通しを良くして行く方法論とはなって行くものにはなる事でしょう。

 

 

 

そう関係性を調節する、

 

もしくは、

 

その意識の元に、関係性を再構築する事によって、

 

その環境の、

洗脳度が下がる事により、

 

仕事の場であれば、

 

最低限の、ノルマの空気感ってものが、

和らぐ事にはなるものでしょう・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

任意とか、裁量性の部分が、

その最低限のノルマが和らぐ事によって生まれたリソースにて、

求められるものにはなりますから、

 

人とか空気感には要求される事は無くても、

 

自分自身の・・・・・・、

セルフエフィカシー(自己効力感)ってものは、

何時も関わってくるものとなるでしょうから、

 

それこそ、

 

気力と体力をマネジメントしつつも、

 

自主的に、

 

自分磨きや自己投資の如く、

 

日々、習慣付けて、行って行くべき行動や、

スキルってものが、

必要不可欠とはなって行くものではある事でしょうね・・・・・・。

 

 

 

それはそれこそ、

 

サボる場合においても、

自分を騙せるだけの理由が必要となるだろうし、

 

それは、

 

意識を切り替える際にも、

同じ事なのでしょう。

 

 

 

 

・・・・・・・が、

やっぱり、

 

数値化して把握しておいた行動やスキルってものは、

 

良い意味でも、悪い意味でも、

自分を裏切ることは無いのでしょうが・・・・・・(笑)。

 

 

 

また、

上記で、

 

同じようなタイプの人とか、

違うタイプの人とか言いましたが・・・・・・、

 

厳密に言えば、

 

人は全く同じ人なんて存在しないでしょうから、

 

厳密に言えば、

 

全員違う人間であるとも言えますし、

 

それを持ってして言えば、

 

誰しも、

 

何もせずにジッとしていれば、

 

全員、違う人間だと定義する事が可能でもありますし、

 

またまた、

 

結果が大事とか、プロセスが大事とか、

両方からの意見も存在するでしょうが、

 

細分化して数値化していけば、

「結果が全て。」と言い切れるでしょうし、

 

細分化した上で、

結果を取らないでプロセスとか言った所で・・・・・・、

 

何事も破綻する在り方を体現してしまうだけで、

 

環境的な洗脳のような・・・・・・、

 

声の大きな、先導者の言うがままでしか、

何事も、結果を出せない人間に、陥ってしまうか、

 

もしくは、

 

環境的な、自動の流れに沿ってしか、

物事を推し進めて行けない人間に、

陥ってしまうものとはなる事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

だからこそ、

 

ある一定の、細分化による、数値化が為された上ならば、

 

「結果が全て。」であり、

 

それを持ってして、

 

期待でき得る結果を出しつつ、

 

それ以上を模索したり、それ以上の付加価値を、

創出して行く事が、

肝要にはなる・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

また、

 

細分化による、数値化とは言いましたが・・・・・・・、

 

細分化も、限度を超えると、

 

選ばれし者にしか、

結果を出せない領域になるものでもあり、

 

出来もしない細分化を押し進める=安定した結果を出せない人となるものでもありますから、

 

まずは、

 

細分化、細分化って言うよりかは・・・・・・、

 

自分自身の手足やスキルにとって、

丁度良い領域でもあり、

 

要するに、

 

「やり易い。」領域から、

数値化する事が、重要になるだろうし、

 

そこから、

 

負荷がもっと欲しければ、

 

細分化を推し進めて行けば良いだろうけれども、

無理は禁物です。

 

 

 

細分化が進む、

 

もしくは、

逆に、

 

巨大化が進む=一気に把握する領域が広がるって事は、

 

負荷が掛かる事は勿論ですが、

 

その負荷自体は、

 

スキルが高まる事によって、

軽減出来て行くものではあるでしょうけれども、

 

巨大化の方は特に、

 

誰しも、簡単に見渡せるからこそ、

 

そのスキルを高める意識と、

 

複合される事によって、

それが、凄いストレス負荷となる場合があるからなのです・・・・・・!!

 

 

 

巨大化の方は、

兎にも角にも、

 

小さな結果や、手軽な結果を積み重ねて、

結果を大きくした上で、

見て行けば良いものでもありますから、

 

いきなり、

巨大な領域を見て、

 

無駄にストレス負荷を増やして、

 

脳の非効率な使い方をするのは、

回避した方が無難ではあります・・・・・・。

 

 

 

その方法論ならば、

 

どれだけIQが高い人であっても、

 

あまり、

良い働きは、期待出来ないでしょうし、

 

同じIQでも、

 

その方法論によって、

出来る事に差が出来るだろうし・・・・・・、

 

単純明快に言っても、

 

「目の前の事を、楽しんで集中出来ない。」でしょうし、

 

楽しみを見出す、もしくは、

充実する為には、

 

適度なストレス負荷が必要となるものでもあり・・・・・・、

 

要するに、

 

ゲーム的に言えば、

難易度調整が、不十分でもあり、

クソゲーなゲーム性になっちゃっているって事なのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

それも、

 

人のタイプ論とか、

具体性的に言えば、

千差万別なのでしょうが、

 

本質的に言えば、

 

誰しもが、同じ概念として、

使えるものかも知れないですね。

 

 

 

あ、

僕と同じタイプの人であれば、

 

本質的に言っても、

変えた方がコモディティ化しづらいのかも知れませんが・・・・・・(笑)。

 

 

 

まぁ、

 

ドッペルゲンガー的な人は、

そうそう居ないでしょうが(笑)。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

 

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どもども。

 

キンジです。

 

 

所謂、

キリスト教の聖典でもある、

新約聖書にての、

イエス・キリストの言葉に、

「求めよさらば与えられん。」って言葉があります。

 

 

 

これは、

引き寄せの法則の事を、言っている訳でもあるでしょうが・・・・・・、

結局は、

 

「求めよさらば与えられん。」って事は、

求める事を諦める事によって、

 

その求めて止まなかった事柄でもあり、

物自体が、

 

棚からぼた餅の如く、

極自然に、手に入る事でもあり、

 

もっと言えば、

 

「なんか、手に入る道筋が、現実的に見えてくる。」って事を、

指し表す事でもある事でしょう。

 

 

 

けれども、

我々には、

 

自我ってものが存在している訳でもありまして・・・・・・、

 

大多数に混ざって、

集団心理と同化している内は、

 

ある種の、

 

自我が薄まって、消えてしまったようにも、

錯覚してしまう事により、

 

執着自体が、消え去ったようにも感じる為、

 

要は、

 

「気分が良くなる。」効果や、

テンションが高まる効果を期待出来るものではありますが・・・・・・、

 

事、

 

一人の時間でもあり、一人きりに、

現実的に遭遇すると、

 

その反動によって、

エゴ自体が強くなってしまい、

 

一人の時間でもあり、一人きりになる事によって、

 

「気分が良くなる。」効果や、

テンションが高まる効果の逆でもある・・・・・・・、

 

「気分が悪くなる。」効果や、

テンションがだだ下がる効果が発揮されてしまい、

 

それらを複合して言うと、

所謂、

 

躁鬱状態に陥ってしまうものでもある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

「何が言いたいのか??」と言われますと、

 

そのような、

自我を持ち合わせた、人間であるが故の、

執着ってものを、

 

我々は、

必ずしも、持ち合わせているっている想定を、

持ちましょう・・・・・・・って事でもあります。

 

 

 

どれだけ、

ステージが高く見える人であったとしても、

 

どれだけ、

人生経験を重ねてきた人であったとしても、

 

そこには、

 

執着って概念が、

必ず存在するって想定の事ではありますし、

 

もし、

 

その相手との、

ステージ差や、年齢差や、経験の差ってものが、

大きければ大きい程、

 

その執着ってものを、

 

自分のものだと、定義した方が、

やり易い側面もまた、

 

あるあるな事ではありますし、

 

よくよく考慮してみれば、

理解可能だとは思いますが・・・・・・、

 

 

執着が存在する=それが、メンタルブロックになって、

辿り着けない領域が存在するって事ではあるのですが・・・・・・、

 

執着が存在する=まだまだ、伸び代ってものが、

あなたには存在するって定義する事も、

可能になってくる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それを考慮してみても、

 

執着が無くなる=死をイメージさせるものでもあり、

 

完全に執着が無くなるってことは、

「完全に死亡するまでは、必要無いんじゃあ無いのかなぁ〜??」

って、

 

個人的には思う次第ではありますね。

 

 

 

何故ならば、

 

執着が無くなる=伸び代を感じ無くなる=楽しみや、

充実感自体も無くなるって判断でもあるからなのですよ。

 

 

 

けれども、

 

「求めよさらば与えられん。」って言葉は、

 

ある種の、

 

執着を捨て去りなさいとも、

聞こえてくる言葉でもあり・・・・・・・、

 

それを、

大衆心理によって、

擬似的に体現する事自体は、

可能ではあったとしても、

 

事、

 

個人の見解でもあり、個人の主観による、

世界観の観点に立って言えば、

 

そうなる事によって、

 

その反動の、

所謂、

 

マイナス観点の、執着もまた、

強まって行く傾向がある・・・・・・って事なのですよ。

 

 

 

だからこそ、

 

大衆心理的、

集団心理的な、

 

ある種の、

プラスの執着が、生まれてきた時も、

 

それに流されっぱなしで、

調子に乗ってしまうんじゃあ無くて、

 

ある意味、

 

その、

プラスの執着にこそ、

 

抵抗でもあり、抑えを用意して行く必要性がある・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

それはまた、

 

悟りのようにも感じるものではありますが・・・・・・、

 

悟りは悟りでも、

 

差を取るって意味の、

差取りにはなってくるものではあります。

 

 

 

即ち、

 

例え、

大衆心理、集団心理と、

同化してしまう場合においても、

 

自分でこそ、自分ならではの、

行動習慣なりを、持ち合わせておいた上で、

 

そことは、

決して、

統合してしまわない為の、

差でもあり、微差ってものを、

用意しておくって事にも、

当てはまってくる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・・まぁ、

それはある意味、

 

微差じゃあ無くて、

大差でもいいものではある事でしょうが、

 

「人と全く違う事をする。」って事自体が、

中々難しいものでもあり、

 

それを体現する為には、

 

途方も無い、差と微差の積み重ねを経てでしか、

辿り着けないものでもあるだろうし、

 

安易に、

真逆とか狙ってみた所で、

 

その真逆が、

犯罪者と、同化してしまっちゃったりもしてしまうので、

 

なるべくなら、

 

バリエーションの差とか、

自分ならではの微差を用意して行く方が、

 

何かと、

使い勝手が良いものにはなってくる事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

また、

 

「求めよさらば与えられん。」って事を、

突き詰めて行くと・・・・・・・、

 

執着が無くなる=その、求めていたものが手に入ると、

簡単に言えば、言える事でしょう。

 

 

 

が、

 

執着が無くなった物を、

手に入れる事って言うのは、

 

主観的な視点、主観的な世界観から言えば、

それは、

 

本当の意味でも、真の意味でも、

求めるものが、進化した事により、

 

その、

求めるもの自体の、

ステージが高まった事によって、

 

元々、

考慮していた、求めていたもの自体は、

 

以前程、

求めないように、

 

自分自身もまた、ステージが高まったり、

進化することが出来た・・・・・・とも、

 

定義する事もまた、

可能になってくるものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

それによって、

確かに、

 

執着が薄まった、

求めるものってものは、

簡単に手に入るでしょうし、

 

その、

 

手に入れる、手に入れないって事自体もまた、

己次第でもありますし、

 

もっと言えば・・・・・・・、

 

現在の自分から見て、

 

本当の意味、真の意味で、

求めるものに、向かう為に、

必要であれば手に入れるし、

 

不必要と感じるのであれば、

別に、

 

手に入れないって選択自体もまた、

良いのでは無いでしょうか・・・・・??

 

 

 

それ即ち、

 

以前は、求めて止まなかったもの自体が、

現在にては、

 

本当の意味、真の意味で、

求めるものを、

手に入れる為の、

 

手段にすり替わっているって事ではある事でしょう。

 

 

 

手段がすり替わった、

以前は求めていたものって言うのは、

 

その、

 

本当の意味、真の意味で、

求めるものを手に入れる為であれば、

 

それは、

 

人に提供する事も可能にはなる・・・・・・・って事ではある事でしょう。

 

 

し、

結局は、

 

原理原則的な、

「手に入れる。」って事は、

 

執着が薄くなる事によって、

可能性が広がって行く事にはなりますから、

 

自分自身のステージが高まる、

 

自分自身が進化するって工程を経て行く前提であれば、

 

その、

「手に入れる。」って事自体もまた、

 

いい意味での、

「どうでも良さ。」ってものが、

生まれてくるのもまた、

仕方が無いものでもあり、

 

それもまた、良いし、

楽しいし、充実感ってものが、

存在する・・・・・・って事なのです。

 

 

 

けれでも、

まぁ、

 

それでも、

「手に入れる。」ものが、

あるのもまた、

当たり前だろうし、

 

その、

 

厳選された、手に入れるものと、

 

どちらでも良くなって、

人にも提供出来るようになった、

 

手に入れようと思えば、

手に入るものってものが、

出てくるって事なのでしょうね・・・・・・・。

 

 

 

それ即ち、

 

「欲しいものを、全て手に入れる必要なんて無い。」

って事でもありつつも・・・・・・・、

 

自分自身が、

本当の意味、真の意味で、

欲しいものって言うのを・・・・・・・、

 

自己成長をキーポイントとして、

更新して、進化させ、

 

その、

 

欲しいもののステージってものを、

高める努力ってものを、

して行く必要性が存在する事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

努力とは、言葉では言いますが、

 

その努力とは、

 

例え、

 

欺瞞、幻想の類が含まれていたとしても、

 

それには、

自己成長ってものが、

含まれているだけに、

 

そこに、

 

楽しみや、充実感を描いて行けなければ、

「あなたの現実には、人に良い影響力を与える要素が存在しないですよ??」

って類のものでもありますから・・・・・・・、

 

必死のパッチで、死に物狂いで、

 

楽しみや、充実感を描いて、

 

演技からであったとしても、

 

表現からであったとしても、

 

体現して行く必要性もまた、

存在する事でしょうが・・・・・・・。

 

 

 

もしくは、

 

ホンマに相性が合わない事柄であれば、

 

別の案件を用意し、

 

自分自身で、自分の行動プロセスを、

企画し、

 

乗り換えて行く必要性もある事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

また、

 

「求めよさらば与えられん。」って言葉は、

 

「与えよさらば与えられん。」って言葉とも、

同義で扱われているものではある事でしょう。

 

 

 

これは、

結局は、

 

自分自身が、以前は求めて止まなかったものの中で、

 

現在の、

本当の意味、真の意味で、

求めているものを、

 

手に入れる為の手段として、

人に与える事もまた、

可能になっているものを、

 

「人に積極的に、与える。」って事ではある事でしょう。

 

 

 

それは・・・・・・、

結局は、

 

自分自身の求める事自体の、

成長を促す活動にもなりますし、

 

そうする事によって、

その、

 

人に与える事=ゆずる事が可能になっているものの、

新たな可能性を、

 

自分だけじゃあ見えなかった領域に、

発見出来る事もあり、

 

逆に、

 

そうする事によって、

 

自分が本当の意味、

真の意味で、

求めるものを、手に入れる手段が、

そこに現れる事もあり、

 

簡単に言えば、

 

前向きに、それを手に入れる意欲もまた、

湧き上がってくるものとはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

「与えよさらば与えられん。」って事は、

 

己を知る為にこそ、

必要となる側面もあり、

 

また、

 

本当の意味、真の意味において、

 

その活用手段を見出すことが難しかった、

以前は求めていたものの、

活用手段を、

 

それを人に提供する=人にゆずる事によって、

 

その可能性を広げて行く・・・・・・とも、

言えるものではありますね・・・・・・??

 

 

 

 

勿論、

 

それが見えた上であったとしても、

 

「返せ!!」とか言わずに、

 

人に提供する=人にゆずる事も可能だし、

 

それはそれで、

いい経験ともなるだろうし、

 

その、

 

見えてきた要素自体は、

 

他の物事に、応用・流用可能だろうし、

 

結局は、

 

欲しいものとか、求めるものってものは、

 

何処まで行っても、

手段に過ぎないものでもあるのでしょうね・・・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

それが手に入ったら、

「何を求めるの??」ってことが大事になるだろうし、

 

それを手に入れることによって、

 

その先のステージに、

否が応でも、巻き込まれて行くものとなるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

・・・・・・・まぁ、

だからとは言っても、

 

自分自身の、

根源たる、趣味趣向ってものは、

 

何処のステージにいても、

あまり、代わり映えしないものでもあり・・・・・・、

 

もっと言えば、

 

人に迷惑をかけない前提であれば、

 

そこには、

正義も悪も存在しないものにはなる・・・・・と、

 

個人的には思う次第ではありますし、

 

ただただ、

 

自分自身が成長を感じ取ることが可能であり、

 

ただただ、

 

自分自身が楽しみを見出すことが可能であり、

 

ただただ、

 

自分自身を充実されることが可能である何かってものでもありますが・・・・・・、

 

それを言えば、

 

あまり、

 

御大層なもの自体は、必要無いものでもあるかと。

 

 

 

大層に、

壮大になって行くのは、

 

それを行う事による、

影響力の結果でもあり、

 

その影響力が、

必要以上に大きくなって行ったが故に、

 

それに正義感が溢れてくるものと、

なって行くのであろうと・・・・・・・。

 

 

 

要するに、

 

それ自体を、

正義だ正義だとか、

 

悪だ悪だとか、

 

言うてしまう事自体が、

ナンセンスでもあり、

 

その人その人による、

 

自分自身に合った、趣味趣向ってものが存在するが故に、

 

ある種の、

 

「前世的な、自分と深く関連した、

別の生き物=動物とか魚とか虫とか・・・・・・etcに、関わってくる問題なのでは??」

とも思いますし、

 

まぁ、

 

仏教の、因果応報的に言えば、

 

全ての生き物の魂は、

 

生まれ変わりを繰り返しているものでもあるが故に・・・・・・・、

 

今世が人間であれば、

 

前世は、他の生物であったと考えるのが、

無難でもあり、

 

今世も前世も人間であったと考える方が、

よっぽど、

 

確率論的にも、

無理が生じるものとはなる事でしょう・・・・・・。

 

 

 

ま、

だからとは言っても、

 

今世は人をやっている訳ですから、

 

人としての、

 

幸せとか、充実を求めて行く必要があるだろうし、

 

前世的な動物的、虫的嗜好は、

 

自分自身に合った、趣味趣向として解れば、

抑えておくに越した事は無いとしても・・・・・・、

 

来世はまた、

 

その時にならないと解らないもんだろうし、

 

人として、

 

楽しさや、充実感、成長要素を明確化して、

 

求めるもののステージを、

 

死ぬまでは、

右肩上がりで高め続けて行きたいもんではありますね。

 

 

 

 

まぁ、

 

今世に生きている、人であれば、

 

勿論、人間も含めた上で、

 

大抵の生物の、

生まれ変わりは経て来ているって考える方が無難ではあるでしょうが・・・・・、

 

だからとは言っても、

 

ゴキブリとか、害虫がいたら、

躊躇無く、しとめにかかる訳ではありますが・・・・・・。

※もしくは、追っ払う。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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