「安全でありたいという思い」について その14~ついに結論(めいたもの)が。 | 龍安寺先生と護国寺君~アインシュタインと般若心経

龍安寺先生と護国寺君~アインシュタインと般若心経

潜在意識の力に気付いたけれど、
まだ科学を捨てきれない人のための、
量子物理学と心理学と哲学と宗教のお話です。

龍安寺「すべての人がもっとシンプルに考えた方が良いと思うんだ」

護国寺「どういうことですか?」

龍安寺「今の問答の用に例えば、問題は問題化されなければ問題ではない、だから今自分を悩ませているこの問題に、これ以上取り合うのはやめようと決める、とか」

護国寺「取り合わなければ問題が消え去るなんて、おかしいと思います」

龍安寺「やってみたことはあるのか?」

護国寺「ありませんよ、そんなこと」

龍安寺「どうして?」

護国寺「怖くてできません。それに無責任な気がします」

龍安寺「それじゃ、どうでもいいような悩みで実験してみればいい」

護国寺「……例えば?」

龍安寺「朝、電車で座りたいのに座れない。だからそのことについて思い悩むのはやめて、座れなくても構わないと決める、とかだよ」

 

 

電車で座るために生きる!


護国寺「そうしたら座れるんですか?」

龍安寺「それは解らない」

護国寺「そんな無責任な」

龍安寺「だが、座れなくても構わないと決めたんだから、座れなくても別にいいんじゃないのか?」

護国寺「それはそうだけど」

龍安寺「座りたいからこそ座れなくても構わないと決めたというのなら、それはがっつり座りたがっているということだろ?」

護国寺「……まぁそうです」

龍安寺「心の底から座ることへの執着を捨ててしまえばいい。そうすれば、その問題は消えてなくなる」

護国寺「本当ですか?」

龍安寺「そりゃそうだろ。座れなくても構わないんだから、座れるか座れないかで頭を悩ますことはなくなる」

護国寺「そういう理屈?」

龍安寺「理屈で言ってるんじゃないの。執着を捨てるのは、座ることが目的じゃなくて、執着を捨てることそのものが目的なの」

護国寺「目的が変わってる気がします」

龍安寺「いや、変わっていない。そもそもの目的は座ることじゃない。座ることが目的なら目の前に座ってる人にカネを渡して席を譲ってくれと言えばいいだけだ。多くの人が譲ってくれるだろう」

護国寺「そうかも」

龍安寺「そして小さな実験がうまくいったら、次の問題に対する執着を捨てる実験をすればいい」

護国寺「少しずつ取り組む問題を大きなものにするっていうことですね?」

龍安寺「違う」

護国寺「違うんだ」

龍安寺「そもそも取り組むのをやめろと言ってる」

護国寺「もうわかりません」

龍安寺「取り組むのをやめる取り組みは、がっつり取り組んでいる姿勢だ」

護国寺「ますますわかりません」

龍安寺「だからもっとシンプルに考えろと言ってる。いや、そもそも考えるな」

護国寺「ドンシンク、フィ~~ル」

龍安寺「そういうことだ」

護国寺「何がそういうことですか!」

龍安寺「簡単すぎて説明が難しいね。やっぱり言葉は不便な道具だ」

護国寺「言葉のせいにしてますよこの人」

龍安寺「だが本当に今言った通りなんだよ。わかる人にはわかると思うが」

護国寺「また無責任だなぁ」

龍安寺「あまり長くなってもいけないので、この辺りでタイトルについての答えを書いておくと」

護国寺「唐突ですね」

龍安寺「人は安全でありたいがゆえに、安全でなくなるのだよ」

護国寺「またそういうことを」

龍安寺「安全が足りない、という問題を抱えているから安全ではない状況に追い込まれる。執着を捨てて、安全でなくても構わないと開き直ってしまえば、危ない目になど遭わなくなるよ」

護国寺「ホントですかぁ?」

龍安寺「実験してみればいい」

護国寺「先生は実験したんですか?」

龍安寺「もちろんだ」

護国寺「で?結果は?」

龍安寺「言うまでもないことだよ」

護国寺「うまくいったってこと?ホントかなぁ?」

龍安寺「ではまた次回!」

まとめ:安全でありたいと思うがゆえに、人は安全でない状況に追い込まれる。問題は問題化されない限り問題とはなり得ない。
安全や問題解決への執着を捨てて、一種の開き直りをしてしまえばいい。
いきなりは難しいならば、自分にとって気にならないことを実験台にしてみよう。

 

この項おわり