1月2日 <上野動物園にライオン来たる(1902年=明治35)>

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116年前のこの日、上野動物園に初めてのライオンがやってきました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

上野動物園は、正式な名称を「東京都恩賜上野動物園(とうきょうとおんしうえのどうぶつえん)」といい、東京都台東区の上野恩賜公園内にある東京都立の動物園で、日本一の入園者数を記録する動物園です。

我が国最古の動物園で、開園は1882年(明治15)3月20日で、現在は公益財団法人東京動物園協会が管理していましたが、最初は農商務省管轄で、その後宮内省所管の時期もあったのですよ。

 

最初は1ヘクタールほどの小さな園でしたが、初代の動物園監督として就任した動物学者石川千代松氏が動物輸入の積極的に力量を振るい、1902年(明治35)のこの日には、ドイツ帝国ハンブルクにあった私設動物園のハーゲンベック動物園からライオン(バーバリーライオン)、ダチョウ、ホッキョクグマなどが来園し収容されています。ライオンたちは、前年の1901年(明治34)11月にドイツ発のシレジャ号に乗り、1ヶ月余りの船旅を終えて翌年の元旦に横浜港に到着しました。そして、この日、初荷で賑わう東京の新橋駅に到着したのが午後4時50分。ただちに上野動物園に収められました。

 

上野動物園の施設にある、あの西園と東園とを結ぶモノレールは都営で、これまた日本最古のモノレールだそうです。

 

余談ですが、上記の初代監督の石川千代松氏、とんでもないことでクビになっています。Wikipediaからの引用です。

ドイツ留学から帰国した1889年(明治22年)秋、帝国博物館学芸委員を兼務し、1900年からは天産部長、動物園監督になり、各国と動物を交換して飼育種目を増やした。ジラフ(キリン、ファンジとグレー)を輸入するが当時でも高額な上に「中国の伝説上の獣、麒麟」と偽ったため1907年春に解雇された。この事が麒麟にちなみキリンと名称づけたのは石川だと言われてる。

(Wikipedia「石川千代松」から引用)

キリンを輸入した際の話は、まさに「事実は小説よりも奇なり」ですねぇ。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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