前回の続きです。
段々と食べ方も変になり、尊敬していた父に嫌悪感を持つようになりました。
今思えば、手に痺れがあったのかもしれません。
この時の私は、19歳。
印刷会社に勤める会社員になっていました。
学校やバイト以外での初めての外の世界。
仕事と職場の人間関係についていくのが必死。
疲れて帰ってきて、父への遅い遅い反抗期を迎えていたこともあり、やがてご飯も自分の部屋で一人食べるようになりました。
私からの言い訳とすれば…
食事前にズボンをおろしてお腹に注射を打ち、お皿に顔を近づけて食べ、働きながらも一日三回の食事を作ってくれた母に文句を言う人と食べたいなんて誰が思うのでしょうか?
病気を理解しきれていなかったこともありますが、一緒に居るなんてやはり無理。
ドライブや親戚へのあいさつの外出も避けるようになって行きました。
母も私と父の間をすごく心配するようになりましたが、仕事と家事で精一杯なのでほぼ何もできず。
定年退職を迎えて、家に一層居るようになった父とはこれ以上無理だと思い始めていました。
働いて貯金もそこそこになったら、この家を出ると会社の人にも相談をしていたほどでした。
もちろん父は猛反対しましたが。
それまではパパ子だった私。
高学歴の親戚に圧倒されて、いつも両親の後ろにいた私が初めて『自立』を考えた時でした。
仕事真面目で怖い人だけど、家ではお茶目で頼りになる一家の大黒柱。
病気になり母や周りを罵倒、犬食い、浪費。
病気がそうさせている。
とは思っていましたが、段々と私の知っている父ではなくなってきたという気持ちがよぎっていました。
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当Blogにお越しいただき、ありがとうございます。
心と体は繋がっています。
お話を伺いながら、あなたの五感を使って、記憶の図書館(潜在意識=あなたの本心)からのメッセージを解読し、あなたらしくしなやかに生きていくためのお手伝いをしています。
3年にわたるひとりっ子長女(私)と母親との壮絶な介護の記録↓
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