市川稔の米(マイ)情報

かっこよかったクルマ

男の子にとってクルマやバイクは特別な存在だった。


最近の若い子はクルマに興味ない人が増えているそうだ。

毎月値打ち下がるし、税金、車検、保険、燃料など合わせればかなりの金額になり。

それよりもっと楽しいこと、生活を豊かに、楽しいことにお金使うということなのだろう。


小生の年代ではクルマは特別な存在だった。

1952年生まれだから18歳になったのは1970年(昭和45年)。

1970年11月、誕生日のひと月ほど前に無免許運転で交通事故おこし・・・

瀕死の重傷負ったが、その直後に運転免許試験場に行き。

教習所とかにはまったく通っていない・・・

試験官に運転上手すぎると嫌味言われ1回落とされ。

2回目で合格し1971年2月に運転免許証をもらった。

1971年4月大学入学。

学生の分際でモータースポーツに。

最初は「ジムカーナ」という競技に出て腕を磨き。

そして、富士スピードウェイで開催されていた「ツーリングカーレース」に出るようになった。

レース用に改造したクルマなので公道走れない。

会社のトラックを改造して荷台に載せて運んだ。


最初はカローラで参戦。

兄のお下がりのスカイラインGT(C10型)を売り飛ばしカローラを購入して改造した。

富士フレッシュマンレース、初めて参戦したことは鮮明に覚えている。

1200CC部門だったと思うが、決勝は35台の枠に55台エントリーしていた。

雨あがりの濡れた路面。

富士の直線(幅はたしか32mある)で水たまりに足とられスピンした。

予選は4番手。

最前列3台だが、ポールポジションのクルマがなぜかいない。

2列目のインコースが4番手の位置。

富士ショートコース左まわり(今は右回り)の第一コーナーはノーブレーキで突入するのだ!

1周目最終コーナー手前で2番手につけていた。

最終コーナーでトップ狙いインに入ったその時・・・

スピンしてコースの真ん中に反対向いてストップ。

全部の出場車に抜かれ。

Uターンして必死に追いかけ。

終わってみたら12位だった。

富士の最高位は2位で優勝は出来なかった。



その後、1600CCのレビンに乗り換えた。


これが、今日の話題。


こちらの記事です。

しびれるほどカッコよかった、トヨタの初代「レビン」「トレノ」



当時のクルマは軽かったのだ。


なんと、860kgしかない。

現代は軽自動車でも1トンみたいだからいかに軽いか。



全長3965mm    なんと、4m未満!

全福1595mm    なんと、1,6mもない(小生が今乗っている乗用車は1850mmだから255mmも違う)

全高1335mm    けっこう低いね



0-400mは16.3秒

115馬力のエンジンだが、軽いから早い。

ツーリングカーレースに出るためにドライバーシート以外は取り除くなど徹底した軽量化してたから16秒切ってたかも。


このクルマはよいクルマでした。


レビンでは筑波で3位に入ったのが最高位だったかな。




道楽者のレース遊びは2年少々で。


懐かしい思い出でした。

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