沈黙 -サイレンス- | ヤンジージャンプ・フェスティバル

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2017年2本目に鑑賞したのはこの作品。

一応、文学部の日本文学を学ぶ学部を卒業した私ですので、この映画の原作は高校生の頃に初めて読んで以来、何度か読み返していますし、数年前には吹奏楽団で『ぐるりよざ』という隠れ切支丹をテーマにした曲をやった影響とかで改めて読み返したりもした・・・という、要するにかなり好きな作品ですので、それを巨匠:マーティン・スコセッシ監督が映画化する・・・ってんで、公開を楽しみにしていたのでした。

 

では、まずはあらすじの紹介から・・・

 

【あらすじ】
 遠藤周作が信仰をテーマに、世界の不条理と人間の本質に深く迫った日本文学の金字塔『沈黙』を、長年映画化を熱望してきた巨匠マーティン・スコセッシ監督が、原作との出会いから28年の時を経て遂に撮り上げた渾身の歴史ヒューマン・ドラマ。非情なキリシタン弾圧が行われている江戸初期の長崎を舞台に、自らの信仰心を極限まで試される若いポルトガル人宣教師の壮絶な葛藤の行方を力強い筆致で描き出す。主演は「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールド。共演にアダム・ドライヴァー、リーアム・ニーソン。また浅野忠信、窪塚洋介、塚本晋也、イッセー尾形はじめ日本人キャストも多数出演。
 17世紀、江戸初期。日本で布教活動を行っていた高名なポルトガル人宣教師フェレイラが、キリシタン弾圧を進める幕府の拷問に屈して棄教したとの知らせがローマに届く。さっそく弟子のロドリゴとガルペが真相を確かめるべく日本へと向かい、マカオで出会った日本人キチジローの手引きで長崎の隠れキリシタンの村に潜入する。そして村人たちに匿われ、信仰を通じて彼らと心を通わせていく。やがてロドリゴたちの存在は、狡猾にして冷酷な手段を駆使して隠れキリシタンをあぶり出しては、彼らに“転び(棄教)”を迫る長崎奉行・井上筑後守の知るところとなり…。 
(allcinema onlineより)

 

うん。これはすごい。

原作をじっくりと読み込んで、作品の中にある精神、そして、原作者である遠藤周作の想いまでをしっかりと映像化した作品・・・といった印象を受けました。

外国人が撮った、日本を舞台にした作品にはありがちな違和感はほとんどなかったのも、きっと時代考証をしっかりとやった結果だったと思いますし、何よりも日本人キャストも外国人キャストも、皆さん素晴らしい演技!

特にモキチを演じた塚本晋也監督の凄まじさとか、浅野忠信さんの、宣教師に対する愛憎入り混じる気持ちを表現した視線とか、イッセー尾形さんの、一見優しそうだけれども、腹の奥にはどす黒い想いを秘めている雰囲気とかは、本当に江戸時代に実在していたのでは・・・と思うほどでしたし、日本にやってきた若い宣教師を演じた2人も、純真さゆえの危うさが感じられて、本当に素晴らしかったです。

 

それにしてもこの作品。

触れるたびに「人間の幸福とは?」とか「信仰って何だろう?」とか、考えさせられます。

 

特に「信仰って何だろう?」という部分については、この作品に登場する切支丹の末路や、当時弾圧されていた切支丹の人々のこと、はたまた、明治期の廃仏毀釈とか、昨今のカルト教団のこととかを考えると、よく判らなくなってしまいますし、そもそも存在する意義があるのか!?なんてことまで考えてしまうほどで、まさにそれこそがこの作品の一番大きなテーマなわけですが、今回の映画化にあたっては、そこに監督なりの解答が明示されていたように感じました。

 

この映画版の解答をひとつの「解答例」とした上で原作を読んでみると、これまで読んだことのある人にとってはきっと違う目線で作品と向き合えるのではないかと思いますし、読んだことのない人にとっては最高のガイドになるのではないかなぁ。

そんなわけで、この映画。遠藤周作の『沈黙』という作品の素晴らしさと重大さを改めて世の中に知らしめる映画になるのではないでしょうか。

 

自分も久々に原作を引っ張り出してきて、読み返そうかと思います。

(2017年2月5日 109シネマズ湘南にて鑑賞)