メンタルサンドバッグ

30代独身女、病人で働きたいニートの生活と本音をぶつけてます。

恐怖!恐怖!恐怖!

母親への恐怖が続いています。
思いっきり体調崩してます。
動機と息切れと言い知れぬ恐怖でずっとガクガクしてる。

「そうやっていうと(説教をすると)あんた体調崩すから本当は言いたくない」
と仰ってましたが、だったら2時間も立たせっぱなしで泣かせ続けるなと。他の方法を探す気はないのかと。

「なんで泣くの!!!」
「別に責めてない!!!」

責めてます。私は責められてると感じてます。
怖い。怖い。
母親は上からしか物を言わない。それしか子供への接し方を知らない。同じ目線で、何を考えているのかわかってそれに理解を示してくれようとしない。

さすが母親と言うべきか、言い当てられてることもあるんですよ。でも、
「あんたはさぁ、○○なんだろうけど!」
けどなんだ。
確かに○○ではあるのですか、この一言だけで既に私が○○であることを否定してるのはお分かりでしょう。

例えば、
「あんたが就職するには、ブランクの時間何々してました、って嘘八百並べなくちゃいけないの!誰も精神病でしたなんて言ったら雇ってくれないよ?あんたはそうやって嘘つくのも嫌なんだろうけど!でしょう?ねぇ?」
「就職するときはみんな『御社が第一希望です!』って嘘つくんだよ!」

とこう言う。
ええ、嘘つくの嫌いなので、嘘つくのは嫌です。不誠実に感じます。
でも、それを認めた上で「仕方ないけれど、世の中はそうしなければならないものだ」と諭すのではないのですよ。
「世の中そう渡っていくしかないのにそうできないお前はダメだ」
って文脈で世の不条理を解くとともにそこをうまくやれない私の性分を糾弾しているのです。
こんなので頑張る糧にできます?「私はそれができない」と恐怖しか感じないですよ。

うまくやらねば母親に叱られる、怒られる、何時間も泣かされる。

残るのは恐怖だけです。
子供の頃から機嫌が悪ければサンドバッグがわりに何をしていても叱られ、気に入らないことをすればいつだって捨てるぞと脅し続けられた結果、嫌だ、怒られたくない、怒られないためにお母さんの言うとおりにしないと。それだけが何かをする燃料になった。
すべてはお母さんに怒られないように、お母さん、お母さん、お母さん。

母がいらないわけじゃない。一緒にお風呂に行って楽しむことはできるし、母が機嫌を損ねてなければ普通に会話をすることはできるし、リウマチだなんだと痛い痛いと言うのは心配です。

まあ、私が母のためを思って何かしてあげたことは意に介してくれないんですけど。
(リウマチに効くという器具を誕生日に買ってあげたんだけど全く使わず上に荷物まで置いて使わない意思表示をしている。リウマチに効くバスソルトを「使って」と用意しても決して使わない)

医者にも「お母さんに支配されてる」って言われてるんですけどまあ、支配されてますよね。私も私が被支配を受け入れていることがよくないのだとは感じているのですよ。
しかしね、その支配から脱却することは現状家を出ていけない限り難しいのですよ。
家を出て行けるわけがないのですよ。お金がないのもそうだし、本人言ってるけど母には持病があるし、父のいない家で一人暮らしさせるの怖いし。そこ見捨てられる、「毒親はいつ死んでもしらん」な人間でもないのが私がなんですよね……。


「お母さんがいないほうがいいなら一人暮らしでもなんでもすればいい」
と10回は言われたんですけど、私は「お母さんなんかいらない」なんて一言も言ってないのに何度も何度も繰り返すのは、「私(母)を必要としていないなら出ていけ」って言っているのと同じなんですよね。
必要とされてないと感じるのは実はその人を自分が必要としていないから、と聞いたことがあります。
あらまあびっくり、その通りじゃありませんか。母は本心では私がいらないんですよ。
目の前からいなくなって欲しいと願っているのですよ。

すまんな、失敗作で。

私を責めるのは、きっと自分が育てるのに失敗したのを認めたくないんだろう。
うまく育てられなかった自分が悔しいんだろう。
なまじ成功例(兄)があるだけ、なんでこっちはダメだったんだ?と思ってるんでしょう。

なんでダメって、そりゃ兄はお腹痛い、頭痛いで学校を休むのを許されたのに、私が頭痛い、休みたいも言っても「大人になったら熱があっても働かなきゃならないんだからね!」とか、学生に向かってなぜか社会人の心構えを要求して頭痛いくらいで休むなら学校やめろみたいなこと言って薬飲ませて無理やり登校させたりしたせいじゃないですかね。

たぶん、兄もその扱いをされていたなら、私は僻まずに済んだんですよ。兄の母からの愛されっぷりを羨まずに済んだんですよ。
長男として大切に育てて優秀な兄とサンドバッグがわりで自分のコピー扱いの娘が同じように育つわけないだろう。

とりわけ、中高生の思春期の頃、両親は仲が悪く、毎日のように怒鳴りあっていた。しかも、その不満をそれぞれに私にぶつけた。
母は父の悪口を言い、気に障ればささいなことで私を怒鳴りつけた。
父は毎日のように私の部屋を訪れて母からの避難所とし母の愚痴を私に言い聞かせ続けた。

子供が両親の板挟みになって、それぞれの言い分が半端にわかるためどちらの味方にもなれず、まともな精神が育つわけない。
泣きながら「お父さんとは離婚するかも」と電話して来られたり、
ため息をつきながら「お母さんとはもうだめだな」と言われたり、
怒鳴り声がリビングから聞こえたり、部屋にいつ母親が、父親が相手がたの悪口を言いにくるのかびくびくしながら心安いられるわけがないし、集中して勉強ができるはずがない。

今思うに、学校での私のエキセントリックな奇行はおそらくそれに起因している。

兄が一緒にこの苦痛を共有してくれていたなら耐えられたかもしれない。しかし、両親はともに私を標的にし、兄へそれぞれの不満をぶつけることはなかった。
ていうか上記の愚痴を私にぶつけてるとき、兄いるんですよ。隣の部屋に。でもわたしのほうにしか来ないんですよ。なぜか。
兄は私が嫌いなので、庇ってくれることも親身に話を聞いてくれることもなかった。
私は両親のサンドバッグだった。

なんか、いつの間にか知らんところで仲直りしてて、その経緯については蚊帳の外な私は宙ぶらりんで混乱したまま大学からの生活を過ごすことになり、鬱症状が出始めた頃に何度も当時の苦 記憶が蘇って苦しむハメになったんですが。

大人になって当時を振り返れば、まともな心が育つわけないやり方してたんですよ?
認めないでしょうけど。
それをいったら「そんなことは忘れるもの」「お母さんいないほうが略」になるんでしょうけど。

なんでこんな風に育っちゃったかなって、自覚ないかもしれないけど精神的に殴りながら育てたくせによく言うよ。
踏みつけられても強く立ち直る雑草ほどにも私な心は強くない。


主観的には可愛がって甘やかして育てたのが失敗だったらしいです。
ははは。笑わせんな。