東京に出てきたとき、持ってきたものは最小限だった。
テレビ・布団・ちょっとした食器類・カラーボックス1つ・最小限の着替え・スーツ1着・ネクタイ3本…。
年を経るごとに所有するものは増え続け、一時は寝る場所だけが動くスペース、なんてこともあった。


本が好きで、仕事場から神保町がすぐ近くにあったときは、昼休みにもなると古本屋に入り浸りで毎日必ずと言っていい程本を買っていた頃もあった。
高田馬場に住んでいた頃はもっと凄くて、土日の休みのいずれかは早稲田の古本街を徘徊して興味本を毎回10冊ほど買い揃えていた頃もあった。
おかげで(というか、そんなことしていたために)家の中は本棚と積みあがった本に囲まれてしまっていた。それはそれで本望ですが。

本を購入するという事は、それを入れる棚も必要になる。
最初は大仰に「デッカイ本棚を買わないと」とか考えていたのだが、何せ置くスペースが無い。
しょうがないからカラーボックスを毎週のように買い揃え、それを壁際に並べ立てることに。
あっという間に壁は見えなくなり、これでもかという位の本に囲まれた(幸せな)生活を過ごすことになる。

本だけではない。
パソコンを扱う仕事をしていたため、興味の対象が(当然ながら)電脳システムの方向に行きつく。
すると、無駄に高いソフトを購入したり、インターネットのシステムを構築したりと、そりゃもうカネのかかる趣味に没頭。
あの頃はまだ常時接続などできない時代。午後11時になって「つなぎ放題」タイムになると一斉に目的のサイトに接続し、お宝集めに奔走していた。
それらのノウハウ情報も頑張って集めていたことを考えると、いかに無駄な「時間を浪費」していたかわかるというもの。

しかもその浪費した時間で何か素敵なことを見つけたかという事も無し。集めたのはエロ画像だけだったりするw
寂しい独身男のサガよw

何故そんなにモノが必要なのか。
何故そんなにモノを集めたがるのか。
自問自答する。


やっぱ、寂しいんだな、これが。


人生が充実していれば、無用なモノを集めたりしません。
時間にお金を遣ったり、例えばパートナーがいたりしたら、その人と過ごすことに時間とお金を使うことになるでしょう。
楽しく過ごせるパートナーがいたとしてもモノに固執し、物にお金を集中的に使うようなことがあったら、その人はパートナーと「そんなに楽しく時間を過ごせていない」ことの証左だと思います。
私は・・・悲しいかな、そういったお相手が、自分の人生の時間で少なからずあったにせよ、独り身の時間帯の方が長かったために、物に時間を費やすことが多くなってしまった哀れな一人ですww

過去に買い揃えた遺物に囲まれながら、それでもやっぱり新しいモノが欲しくなることもあり、相変わらず余計なアイテムが増えつつある私の部屋。
でも、最近は食指をそそられるようなオブジェクトが少なくなって来ている、というか、既に買い揃えてしまっているがために、同じ機能を持っているモノは必要ない、という方が正しいか。
新しく購入したら、同じ機能のモノは捨てるしかない。
そうしないと、物で溢れかえる昨今。
そんなに私の部屋は広くない。

携帯電話が普及されて久しい。
なので本当は、インターネットも専用線にしてしまえば家電話など必要ない。
ま、イエデンの電話機を外してしまえば問題は解決するのでしょうけど。
それでも何かと「固定電話を使うことがあるかもな」とまたまた余計なことを考えて、ファクス付きの電話機が鎮座している自宅。
ファクス自体、もう自宅では使うことはないな。メールで済む話だし。メール添付時にはスキャナがあるからファクスで送るようなことはないし。

そうやって考えると、私の家には「使わないけどとりあえずおいてある物体」のなんと多いことよ。
そう、「とりあえず」なのである。
これが…断捨離できない根本原因

そろそろ、本格的に。
これ、いっつも言ってるけど何ら進展しない「お題目」だなとおもうが、あえてもう一度。


不要なモノはお片付け。