さよならのときに
医療現場で働いていたときに、初めて亡くなる患者さんを受け持ったことがあった。
受け持ちを発表されてからは憂鬱で、先輩からは「何だ、元気ないな」と言われる程態度に出ていた。
こんな状況で元気に業務できるか!とその時は反発したい気持ちでいっぱいだったのだが、よく考えればそれが私の仕事なのだった。
命を繋いでいる沢山の薬。
ピーピーと、その薬を流している機械が鳴る度に、個室のドアを開け、すでに意識のない患者さんと、そのベッドの周りを囲むように座る家族の方と顔を合わせることになる。
部屋の中は静かで、私の作業の音だけが妙に目立つ。
私の唯一の作業は、患者さんの命を繋いでいる薬がなくなったら完全にそれを切りに行くことだった。
普通であれば、大事な薬がなくなったら追加をする。
しかしその患者さんは、もう何を施しても生命を維持できる可能性はないと判断された。
薬がなくなる度、担当の医師に確認に行く。
「先生、薬がなくなりました。追加しますか?」
「いや、もうしなくていいよ」
私はその言葉を聞くたびにひどい不安感に襲われた。
よっぽどひどい顔をしていたんだと思う。
先輩が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。
私は涙を堪えられず、震える声で訴えた。
「先生が、薬を追加しなくていいって言うんです。でもそしたら、死んじゃうじゃないですか」
今思えば、どうしようもなく当たり前のことを言った。
もう蘇生は望まないと家族から了承は得ていたのだから、生かすために使う薬はあるもので最後。後は自然に亡くなるのを待つのみだった。
しかし私は、諦めることに罪悪感を感じていたのだ。
薬を流し続ければ、あと何日かは持つかもしれない。
私だけが反れた考えを抱いていた。
担当の医師が近寄ってきた。
真剣な顔で私にこう言ったのを覚えている。
「死に様をちゃんと見とくんだぞ。それがその人の生き様なんだから」
泣いた。
それこそが私にその日課せられた使命だった。
その患者さんは、多くの家族に看取られながら亡くなった。
亡くなる多くの患者さんの中には、家族の看取りなく一人で逝った人もいる。
先生が、言ったのはそういうことだった。
生きている間に徳を積んだ人は、沢山の大事に思ってくれる人達に愛されながら亡くなっていく。
しかし、逆もまたあるのが現実なのだ。
死に様は、生き様。
私はこの言葉を一生忘れないだろう。
自分が事切れるその時に、自分自身の生き様を見ることになるだろうから。
できることなら誰だって、家族に見守られながら安心して死んでいきたいものだと思う。
生きてるうちに、誰かを愛して、大切にして、優しさを与えて、誰かに愛されて、そんな風に過ごしてほしい。
死ぬときに、寂しくならないように。
誰もが、愛されて死ねますように。