《情報追加&まえがき》

 

さて…ちょうど、
先々週の(土)つまり11日に


◎15年振りに、病院行って薬もらうような風邪カゼ


…を引くきっかけに、

あたってしまい…


実に久々に、風邪らしい風邪をひいて、

かつ他にも(ええ??)っていうトラブルに当たったりしてショック!

 

 

ま、色々と…リセット期でございました。

 

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さて、先日あげた記事でしたが

以前にも



◎昨年1月に、南相馬へ伺ったときの記録
右矢印本あれから5年の…《ご報告~その②》南相馬に行ってきた
(2016年03月:記)


がありましたんで、
今回は


◎(原発避難の方が)
元の家の場所へ、帰還して1年というタイミング家


ですし、



◎前回調べた「各所の放射線量」が、変化があるか否かはてなマーク


を、
あらたな視点を入れて調べ直していたんですね。


…はい。
実は、前回調べたときに気付いたことがありまして目


◎我が町岡崎市を含め

⇒「花崗岩の地盤」のところは、
そもそもの自然放射線が高いアップ


というコトだったんです。


で、放射線量を調べる際にも
様々なサイト本がありますが


◎要は、震災前の放射線量から
⇒どう変わっているのかはてなマーク


が、ポイントになるのかなと思っています。


本放射線量のサイト色々↓

◎福島放射能測定マップ(福島県の運営)

右矢印http://fukushima-radioactivity.jp/pc/


◎全国の放射線量(震災前の平均値あり)

右矢印http://new.atmc.jp/


◎花崗岩の分布図(日本シームレス地質図)

右矢印https://gbank.gsj.jp/seamless/seamless2015/2d/

 

 

で、印象として

 

 

◎普通に、

様々な人が使う『福島駅』『郡山駅』地下鉄などは、

 

⇒意外と放射線量は、高いあせる

 

 

※もちろん、除染をしてのことです※

 

 

参考に、一般の方の計測ですが↓

 

本福島市の放射線量2016年

 

 

…が、

震災からの変化を感じるのに役立ちます。

 

 

※単位がよくわからなくなるのですが、基本的に

 

→ 『0.1μSv/h』以上

…1時間に0.1マイクロシーベルト以上は、高いですあせる

 

山口県なんかは、自然放射でそれくらいあります目

 

 

ちなみに、福島自体がやはり

 

→震災前から

『自然放射線量が割にあるアップ』トコロですが

 

→福島駅や、郡山駅は、地盤的にはそこから外れています※

 

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ちょうど1年前くらいの昨年1月に、やっと


◎南相馬の仮設住宅へおじゃまして、セルフケア講座


を行ってきた。

…震災後、



◎直接何か“手応えのあるお手伝い”はないかと思っていた


※震災直後の頃は、
自分がお手伝いに行けるような状態ではなかったので

→その後の、あくまでも「遠くから」の支援だが※


…ところ、


◎「福島の現実ー福岡百子の声」
ameblo.jp/aiwazion/


…こちらの福岡さんがまとめておられた


◎仮設の方々などへ、物資支援をする



という活動にて、数度ご協力させて頂いた。

その送り先は、福岡さんのコーディネートで
「南相馬のある仮設の方々」になった。


そこを訪れたあとの春、
4月…やはりちょうど1年経とうとしているが


◎基本的に、そちらの仮設の方々は
⇒津波で家がなくなったわけではないが、除染を待って「帰還」された


わけで。

その仮設の会長さんの、帰還後の生活の様子を


◎今年に入ってやっと手紙にてやり取りが出来た


わけで。

どうやら滑り出しは順調のよう。

※会長さんは、魚屋・仕出し屋をされている※


ただ、周りの環境がどれくらい元に戻ったのか…


この辺りも、複雑な気持ちになるが



◎震災前は、近くの高校の子達が
通学で店の前を通る際に、“寄っていっておしゃべりしてくれる”



…ような日常だったようだが、
その高校がいつ再開するのか、したのか、


また再開したとしても



◎除染地域に、若者が戻ることを喜ぶべきなのか否か


…というのが、ワタシのような


◎“一応あまり放射能の被害が感じられない地域に住む者”の気持ち


…でもあるワケで。


その辺りは、南相馬に訪れた際にお話していて


◎どう言葉を返せばよいか、難しかった部分


でもある。


例えば他の例としても


◎原発地域にある「Jヴィレッジ(:サッカー施設)」を、
東京オリンピックの際に日本代表の合宿地に



…という話が以前からあるわけだが、
今現在どうなのかわからないが


◎原発作業員が宿泊に使っていた場所


…なワケで。

※作業員を差別視しているワケではなく、
それくらい最前線な場所ということ※


そういうのって、ワタシからすると


◎え!?ありなの!?


…という感覚なワケで…


はい、とにかく



◎同じ震災地域と言えども、状況が色々


だと思う。

とりあえずは、つながりの出来た


◎南相馬へ帰還した、パワー溢れる魚屋さん夫妻(:シルバー世代)


とも、やり取りをして



◎震災地域のことを少しでも知っていきたい


とは思っている。



震災のあった日の自分の1日は、結構記憶にある。

そこからすると、



◎自分は、日々が健康に関する研究


で、



◎スタジオのこどもたちや、会員さんと接しながら自問自答


して来て、



◎かなり、ステージが替わった感


は、ある。

あのときから、6年か。



きっと、被災された方々も、


◎予想もしなかった次の生活へ、切り替わっている



方が、たくさんいるだろうな。

というか、切り替わっていてくれたら、
何というか凄く“良かった”と思えることだと思う…


でも、何事もなかったのように


◎震災前の“実はあり得なかったんちゃうん?!驚”という事実


を、忘れて


◎別に正常ですけど?


って、周りの人達が鈍感になることは、

アカン、あかんで汗



って、思う。



って、自分に出来ること、していることなんて全然ないんだけど、


◎世の中うそ八百やん?!


みたいな、震災でわかったことに対して



◎麻痺して付き合う


のだけは、しないで行きたい。