遡り報告~
松島の瑞巌寺のすぐそばにあります、『天麟院(てんりんいん)』さんに行ってきました!
(≧∇≦)
って、もはやいつ?なゴールデンウィークのことなんでございますが、ちょうど『五郎八姫祭(いろはひめまつり)』目当てで出かけましたので、五郎八姫の霊廟にもごあいさつです。
天麟院さんではお祭りの小間物なんかが売られていました。主催者の方々の記念撮影中だったので、ちょっと写真は遠慮しまして、高大にある霊廟の方へ先にお参りです。
気品ある優しげなお堂。どこか女性らしいかんじがします。中には髪を落とした後の美しい五郎八姫の木像が。
ちょっと写真で伝わりにいのですが、大変古い大木がお堂のすぐそばにあります。見上げるにも天が見えないような大きな木。
五郎八姫のお堂を守っているんだなと、強く感じる大木です。
五郎八姫は伊達政宗公と正室である愛姫の間に生まれた長女です。徳川家の六男で暴れん坊っちゃまな松平忠輝(まつだいらただてる)の正室となりましたが・・・
夫婦仲は睦まじかったようですが、子には恵まれず、最終的には夫の忠輝が越後高田藩首をクビにされたため離縁されて実家に戻っています。
夫婦揃ってキリシタンだったことから本来は離縁はしないでしょうから、政宗公との繋がりを恐れた徳川に忠輝の命をとらせないための離縁だったという説に納得です。
なにせ忠輝は母親の身分が低かったことで父である家康から徹底して嫌われていたから(じゃあその身分低い女に手を出すなっっつうのな。)、そらもう大変な人生よ。藩主はクビになるは流罪になるは。家康の今わの際にも他の息子たちは枕元に呼ばれながら、駆け付けた忠輝には入城も許さなかったっちゅう。
生まれた際にも捨て子として本田正信に拾わせて、拾いっことして自分に届けさせてから育てるっちゅうね。(当時の風習でそういうのがあったのですけども)身分の差って大変ね。
けっきょく何人も子がいると、嫌いな子も出てくるんでしょうね。言うに事欠いて「顔が嫌い」って理由で邪険にされたようですよ。
ひでえな家康。
そんなわけで五郎八姫は結婚して13年ほどで離縁となり、再婚はせずに髪を落として余生を送ったようです。政宗公の御心はいかばまりだったでしょうね。可愛い可愛い五郎八姫だもの。
美しく聡明で、政宗公に『五郎八が男子であったなら』と言わせる器量だったようですよ。
キリシタンだった五郎八姫様。仏門でお墓に入られています。当時はやむを得なかったことでしょうが、どんなお気持ちだったかしら。
高台にある霊廟からまっすぐ大通りに抜ける道の途中に、偶然にか白い教会が建っています。十字架を眺められる景色で良かったなと、ちょっと思ったりして。
天麟院さんから出てきたら、観光用の自転車屋さん?がいました。二人乗りOKのようですので、ぴったり寄り添いたい人と乗るのも良いかもしれないですね。
楽しいお話が聞けるかも。
ところで
楽しみにしていた『五郎八姫祭』のパレード。
まことにもって残念至極。
時代考証むちゃくちゃな着物と、今風のヘアアレンジで派手に飾った中年女性が練り歩いているだけでガッカリ。政宗公役も貫禄のないぽっちゃりで、よし姫、めご姫、いろは姫に至っては、自分の役どころがどんな姫様方かも知らずに道すがら説明されている有様。あれはもはや冒涜です。
来年以降もあるのであれば、企画の根本的な見直しをお願いしたいところです。
めっちゃ楽しみにしてたのにー!
ギャラリーなめんなよ!
どっかの美容室か着付け教室の内輪イベントっぽかった。
(iДi)
それはさておき、松島まで来られましたら、ぜひ五郎八姫の御堂もお参りくださいませ。
次回は、気を取り直して天麟院の隣にあります「円通院」を紹介します。
しからば、ごめん!
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