斎藤兆史『めざせ達人!英語道場』(2) | 秀雄のブログ

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(3年前「斎藤兆史を読む」と題して1〜3まで書きました。

斎藤兆史『めざせ達人!英語道場』(ちくま新書)より今回は「単語・文法学習」から。

(引用)
文法や読解にこだわっていたから日本人は英語ができないと言われてきたが、オーラル・コミュニケーション中心の授業に切り替えて英語ができるようになったかというと、少なくとも私の30年以上におよぶ大学英語教師としての経験からすれば、大学生の英文読解力はだいぶ落ちてきている。会話がうまくなっているかというと、そちらもあやしい。本来中学・高校でやっておかねばならない文法・読解の訓練が不十分なため、英語の基礎がぐらついているのである。

(引用終わり)

斎藤氏が教えている東京大学ですら「大学生の英文読解力はだいぶ落ちてきている。」あとの大学では推して知るべし、でしょう。日本で暮らす英語学習者にとって、英語の基本は文法です。その文法の知識や理論をもとに、読解力を高めていく、難しいと思われる文章は、どれがSで、どれがVで……と構文解析をしていく。

たしかに文法を気にしないで、文脈からだいたいの意味を推測して、多読に励むことも大切でしょう。慣れと反復は言葉の学習に必要不可欠です。しかしそれでは「なんとなくしか分からない」所は、いつまでたっても「なんとなくしか分からない」ままです。

文法はいわば「理論」です。明治時代以来、日本人が教育に英語を導入してきたのは、英文読解を通して論理的思考能力を養うという狙いもあったのです。

中学・高校でも少しは「オーラル・コミュニケーション」の授業があってもいいとは思います。しかし、皆さんも御経験がおありかと思いますが、1週間に1、2回、50分間「会話」をしたところで、そう簡単に「会話力」がつくものではありません。中学・高校の英語授業の中心は「文法・読解の訓練」でいいのではないでしょうか。(反発されるかな、笑)

単語においても、私は仕事柄、「何語ぐらい覚えたらいいですか?」という質問をよくうけます。相手は大学受験を目指している高校生ですから、その子の現段階の目標に応じて「シス単(システム英単語)のここぐらいまでかな」とか「ターゲットのここまで覚えれば大丈夫だよ」と答えますが、本来の英語学習から言うと、そんなことはどうでもいい。単語は沢山知っていれば知っているにこしたことはありません。

参考になるかどうかわかりませんが、以下の私の過去記事もご覧いただければ幸いです。








つづいて「発信する」ことについて書かれた章より印象に残った一節を。

(引用)
昨今は、実用性を重んじつつ、そこに「発信型」という理念が加わるものだから、日本人が外国人相手に英語で道案内するという設定の文章が頻繁に教科書に登場する。おそらく中学1年から高校3年までのすべてのレベルの教科書にこの道案内が出てくるのではないか。これから2020年の東京オリンピックにかけて、この設定の文章が英語教科書の中にさらに増えてくることが予想される。だが、改めて考えてみるに、道案内とはそれほど実用的な状況だろうか。

(引用終わり)

私は思わず笑ってしまいました。たしかに現在の検定教科書には、頻繁に道案内が登場します。ほとんどが(英語を話す)外国人が道に迷い、必ず大人ではなく子供である中学生や高校生に道を尋ねます。そして尋ねられた子供は完璧な英語で、道をおしえます。

「〜へ行く道をおしえてもらえませんか」

「〜を右へ曲がると、左手に見えます」

このような表現は「道案内」でしか使えない。マクドナルドでの「お持ち帰りですか、こちらでお召し上がりですか」という表現が「マクドナルド」でしか耳にしないのと同じように。

知っておいても悪くはないですが、もう少し何かあるだろう、と思ってしまいます。

つづく









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