S子は、離婚するつもりで実家に帰ってきた。

「もう旦那と一緒に暮す気は無い。このまま帰らないつもり」と彼女は話していた。

でも、なぜ今決心したの?と聞いてみた。


「実は母と旦那が大喧嘩して、こんな男とは別れなさい!と母が連れて帰ってきたような感じ。」

「母が用事で上京してきて、数日うちに泊まっていたの。旦那はそれが気に入らなかった様で、私にも母にも暴言ばかり吐いていた。流産の件もあって、もともと母は旦那を良く思ってなかったし。」


「母も最初は我慢していたんだけど、あまりに失礼な態度をとるから、最後は怒りが爆発したのよ。あなたみたいな人といたら娘と孫は不幸になるから、私が連れて帰ります!って怒鳴りつけて私たちを連れて帰ってきたってわけ。」


「その時旦那は、うるさい!好きにしろ!と、母に怒鳴ったのよ。信じられなかった。母にまで酷い態度をとった事、許せなかった。それで決心がついた。母が味方についてくれるなら、安心して実家に帰れると思ったの」

こんな風に守ってくれるお母さんがいるS子が羨ましかった。

 実家に帰ったものの、また次の困難が彼女を襲う。

お母さんが連れて帰った事で、心強かったはずだが、なんとお兄さんが「この家にお前のいる場所はない。帰れ。」と冷たい態度だったそうだ。

お母さんはお父さんと長男に責められた。


「どうやって娘親子3人をうちで世話できるというんだ。息子の孫の世話だけでも大変なのに、迷惑でしかない。部屋も無いし、結婚なんて我慢するのは当然だ。離婚は許さない。帰って旦那さんと一生添い遂げろ」
と、S子も叱られたのだ。


S子の兄さんは、自営業をしており、親が資金面も生活費も援助していた。年金生活の両親が兄さんに振り回されていたようで、目一杯のところに娘が子どもを連れて帰ってきたのだ。


確かに理解できなくもないのだが、当時DVなんていう言葉も認識もない時代、結婚したら我慢だ、どんな相手でも離婚は避けろという考えが強かった。


当時の彼女にとって、どれだけ冷酷な言葉だったろうか。


まだ、お母さんが味方だったから救われたようだが、結果、S子は、仕方なく旦那のところへ戻るしかなかった。


自分に言いたい事!☆もし自分の子どもが逃げ場の無い辛い立場になっていたら、一番の味方になる。
以前の「我慢するしかない。」はDVという観念が無かった時代にはきつかった。