授業は続く。
無記名で投票して五つの俳句が選ばれた。 その中に私の俳句も辛うじて入っていた。
H先生は選ばれた俳句を1句ずつ批評(そう!夏井先生のように)して行く。
# 雪の朝 犬の足跡 梅模様 …「これを詠んだ人は足跡が梅の花のように見えて、新しい
発想だと思ったのでしょうね。残念ながら、この発想は古来から有り平凡な句です」
# フリージアを 枕辺に置き 病める友 …私の苦労した1句もH先生に掛かると
「フリージア、枕辺、病める友、これもどこにでもありそうな句です。発想が平凡です」とバッサリ!
# 裸木の 先まで揺れて 春は来む …この句が圧倒的多数で選ばれたのだが、H先生に
高い評価は得られなかった。
他の2句は、残念ながら憶えていない。 いずれにしても、凡人の発想と言われスゴスゴと
引き下がったのだろう。
「では、どんな1句が素晴らしい俳句なのでしょうか?」 多分生徒達は、苦労して詠んだ句を
一刀両断に切られて、物問いたげな目で先生を見たと思う。
H先生はチョークを取って、サラサラと一つの句を黒板に書いた。
# 凍(い)て蝶の 小さく占むる 掌(たなごころ)
「この句の季語は凍て蝶です。寒さに縮こまった蝶が掌(てのひら)で動けなくなってじっとして
いる。 情景が浮かぶようでしょう。 このように俳句というものは、具体的に、情感を籠めて
詠まなくてはいけません……」
H先生のとっておき?の1句が、生徒達みんなの心を打ったかどうかは、定かではない。
正直、あのとき少しでもお褒めの言葉があったら、2句目、3句目を嬉々として詠んだかも
知れないなあと思うこともある。
夏井先生のように、凡人の俳句にもピカッと光る視点があると、上手に美味しい飴を舐め
させてもらえたら…なんて、自分の才能の無さを棚に上げて、凡人の独り言は留まることを
知らないのである。