自宅介護から施設介護への道 19 脳出血を見逃した当直医 | 一人っ子がする介護ってこんなもん?

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親の介護が始まって約10年・・・要介護3だった母が心不全で急逝してからは、独居老人の父のもとに1時間かけて通い介護を6年、母の七回忌直後に父は脳出血!施設介護を経て2017年8月12日父は急逝。悲しい・・・なのに義父母介護・・・

きょうも暑い東京。

まだ5月なのに・・・

 

相続手続きも全て終わり

なんだか脱力感がある。

自分の両親がふたりとも此の世からいなくなってしまう日は

いつか必ずくるとわかっていたけど、

いざとなると、この現実を受け止めていくことが悲しく

嫌だ。

結局私は父の世話で苦労した思い出話に

すがっていたいだけなのかもしれない。

 

が、どうしてもここを訪問してくださる方には

大学病院の医師を安易に信頼してはだめだということを

是が非でも伝えたくて

こうしてブログを進めている。

 

2013年8月父はN大学病院の主治医の

雑な薬の処方のせいでひどい不整脈がおき、

徐脈頻脈症候群ということで

心臓にペースメーカーをつける手術をうけた。

また10月には心房粗動を根治するために

カテーテルアブレーションをうけた。

 

もともと父に不整脈があったのかどうかは不明だった。

ただ膀胱がんの手術のときも指摘はなかったので、

私としてはN病院の処方のせいで

父に不整脈が発症したのではないかとも思っている。

 

こうして父はペースメーカーをつけつつ、

ワーファリンという血液の抗凝固薬を服用して、

心房細動の結果起きる可能性のある脳梗塞を予防する

というのが父に対する治療の方針になった。

 

ペースメーカーがはいったばかりのころは

父が一人でいることが心配で

できるだけ介護に多くの人に関わってもらおうと思い、

訪問看護も契約した。週1の訪問看護と週2のヘルパー

週2のデイサービスをいれた。

けれども父は訪問看護師さんをいやがり断るようになっていまい

結局はまた私が頑張るしかなかった。

 

ただその後父にお気に入りのデイサービスがみつかり

そのデイサービスがリハビリを中心としたものだったために、

だんだん父は元気になっていった。

 

母が亡くなった直後は食事もままならなくなっていたのに、

2014年初夏ごろには自分で炊飯器をセットして

お米を炊き好きなものを食べるようになったのだ。

 

よく食事をとれるようになると

今度は父は自分がひとりでなんでもできるような気になり

元気になったから自分は一生この家で暮らす、

なんての給うようになった。

 

父が失敗したのは

自分の体はもう若くないのだということを自覚できなかったこと。

元気になるのと並行して喫煙や飲酒は増加していった。

その結果血圧コントロールがうまくいかなくなり、

自宅マンションで明け方

自分のベッドから立ち上がったところか、

または夜間のトイレからもどったとき

父は寝室で倒れたのだった。

 

セコムからの通報で駆けつけた私は

父の足がうごかないことを不審におもい

救急車をよんだ。

 

根津の大学病院に搬送してもらい

循環器内科の当直医に診てもらった。

 

その結果はどこも異常がないという診断。

 

あとでわかったが

誤診だった。

 

 

ワーファリンという抗凝固薬使用

→血液がさらさら

→脳出血もおこりやすい

こんな簡単なことを循環器内科の当直医は見逃したのだ。