GWも終わりにゃん、寂しいにゃん。

とこちゃんです。

写真は無事ちーちゃんと其の旦那に会い、美味しくいただいたお酒のテーブル。

このあと聴いた小曽根真とエリック宮城のボレロ、すごかったー!
スタンディングオベーションが終わらない。
流石です。

さて、昨年のGWにどうしたかという話からでした。
別に人のGWの動向なんてどうでも、、ですが。
やはり自分が福島にこだわるひとつの理由なんです。
今から書くこと。

二本松から福島市に入り、無事ちーちゃんにも会え、自分がやりたいことを言いました。
「小高がみたい」「相馬に行きたい」
さて、小高は、当時線路がまだ開通していません。上野駅で沢山の「復興支援」の旅ログを
見ました。地図では小高から北には線路が点線です。
ただその一つ手前の地区は先頃避難解除されたと聞いていました。
ちーちゃんは快く応じ、車を出してくれました。

そこでみた風景、、いたはずの人の気配が消えた町の空気、
マイクロシーベルトの値が国道6号を通過中どんどん上がり、原発付近一帯でみた
2階があるのに1階がつぶれたままの家、あそこにもここにもあったはずの、でも跡形もない家々、
除染袋の山また山、、のことは、これ以上かきません。
ちーちゃんは福島の原ノ町、今の南相馬市出身ですから、震災当時は
ご実家も被害を受けたのです。実際、道路を隔て500mのところまで
津波がきたとも話してくれました。(彼女は旦那と福島市内で暮らしてます)
当時の混乱、きくちゃんも学校の体育館が避難場所になったので、そのまま先生として役所の人とともに
学校に居続けたこと、今だから冷静に話せるけど、それも震災後三年経った位から。
それまではTVで震災関連の番組見るのもだめだったと話してくれました。
笑顔絶やさず明るい彼女の今の姿は、あのときを乗り越えたからこそのものなんだと痛感したのです。

 やはり目の当たりにするって大きい!

じゃーまねさんが書いてましたね。
復興支援と福島のコンテストの話を熱くとこちゃんとした帰り(こんな話は後にも先にも一度だけ)に
カーラジオから流れた
「福島にオリーブの木を植えよう」の話。

 すべてのタイミングが合いました、、

あるんですね。こういうこと。

 なーんにもなくなった場所に、成長著しいオリーブの木が一面に繁る。
 一面に。

 想像しただけで幸せです。

さて、もう一つ、つらいことを記します。
つづく→





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