キャラを利用する…とろサーモン | りおみーのブログ ニュースとお笑い芸人に不毛な突っ込み

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主にお笑いのネタに関して、時々ニュースに関して、「これってどういう事?」をロジカルに分析してます。

ディスコミュニケーションキャラは損か得か?

注:記事中のセリフは正確ではありません。

□□□□□□はじめに□□□□□□

Mー1グランプリ2017の優勝は「とろサーモン」でした。

正直、「和牛」かなって思ったんですが、
ん~、まぁ、好みとしか言い様がないですね。

他のコンビも結構面白くて、
「ゆにばーす」とか強烈でした。

出演順の影響って、確実にありますよね。


優勝したとろサーモンは、久保田かずのぶさん(ボケ)と村田秀亮さん(ツッコミ)のコンビ。

久保田さんのキャラクターが印象的ですが、
このキャラクターって、、、どう?

□□□□□ディスコミキャラ□□□□□

漫才のボケ役には、
大きく2通りの傾向があります。

一応常識を弁えていて会話が成り立つ状態から入る場合と、
始めから常識を弁えないおかしな言動を全面に押し出す場合。

コミュニケーションをベースにするか、
始めからディスコミュニケーションキャラを演じるかの違いです。

以前、中川家礼二さんが、
「キャラクターを受け付けない観客もいるから、キャラクターを作るのは諸刃の剣」
といった主旨の発言をしているのを聞いた事があります。

私もそう思います。

優勝した「とろサーモン」の最終決戦のネタはというと、
冒頭からディスコミュニケーションキャラ全開です。

村田:「どうも今日は、とろサーモンです。」
久保田:「こちらこそ!」
村田:「何がやねん!こちらこそって!お客さんに言ってるんですよ!」

ディスコミュニケーションキャラは、
それが嫌いな観客がいるというマイナス面以上に、
「思い込みの間違い」が成立するハードルが高いというマイナス面があると思います。

「このキャラクターならこんな事言いそう」って予想されるリスクが高いと思いませんか?

そのハードルを超えるには、
初期設定のキャラクターよりも落差を大きく感じさせるとか、
初期設定のキャラクターから更にズレるとかしなければならないでしょう。

キャラクターを演じる事で、
ボケのベクトルを観客にイメージさせてしまうので、
ベクトルをより大きく感じさせるとか、
ベクトルの向きを変えるとかする必要があるという事です。

それが出来て初めて「思い込みの間違い」が成立するんじゃないでしょうか。

意図的に、
キャラクターによるミスリードを利用する訳ですね。

とろサーモンの漫才は、そのハードルを見事に超える事に成功した訳です。

更に、笑いを一つ付け加える事も、
「思い込みの間違い」の効果を狙ったものでしょう。

□□□□□流れに身を任せる□□□□□

とろサーモン久保田さんはというと、
偏屈で、ひねくれていて、
人の意見にイチャモンをつけて屁理屈をこねるというようなキャラクター。

意味も無く食って掛かるイメージ。

それが初期設定。

村田:「この間腹立つ事あったんよ。道歩いとったら前からオジサン歩いてきて肩ぶつかって無茶苦茶文句言われた。」
久保田:「あー、そう。」
村田:「気分悪いやろ。」
久保田:「いいや。」
村田:「そんな時どうしてんの?そんなら。」
久保田:「もめたくないんだろ?喧嘩したくないんだろ?流れに身を任せるよ。そんなもんは。」

「流れに身を任せる」って抽象的ですよね?

偏屈なキャラクターが「流れに身を任せる」って、
どんな強引な屁理屈をこねるんだろうって思うじゃないですか。

実際は、深い意味とか抽象的な屁理屈でもなんでもなく、
肩がぶつかったまま後ろに押されるという文字通り「身を任せる」という意味でした。

村田:「気持ち悪い事してくんな!何、肩へばりついて後ろ下がって行くねん!」

これ、何が面白いでしょう?

もちろん、普通ではない異常な行動だから面白いのですが、、、

深い意味がある訳ではなくそのままの意味である事も面白いし、

その異常な行動が完全に受け身、無抵抗である事も面白いと思いません?

初期設定がむやみやたらと食って掛かるイメージだからこそ、
抵抗しない事が面白いし、、、

初期設定がイチャモン、屁理屈を言いそうだからこそ、
ひねった意味が無い事が面白い。

しかも、、、

村田:「耳元で『ごめんなさいね。ごめんなさいね。』」

……でダメ押し。

初期設定でイメージを作っているからこそ、
それと真逆の行動に「思い込みの間違い」が成立すると思います。

常識とも初期設定とも異なる意表を突く言動が面白い訳ですね。

< 基準 >:強気で偏屈かと思ったら
< ズレ >:受身で卑屈
<ツッコミ>:「何、謝ってんねん!」「お前、そんなキャラ違うやん!」

< 基準 >:深い意味があると思ったら
< ズレ >:深い意味はなかった
<ツッコミ>:「そのままやん!」

□□□□□□トラウマ□□□□□□

村田:「石焼き芋が好きでね。美味しいでしょ。石焼き芋。」
久保田:「嫌い!言わんとって!」
村田:「何で?」
久保田:「トラウマあんねん。」
村田:「何のトラウマやねん?石焼き芋で?」
久保田:「小さい時食べ過ぎまして。家族居たんですけど。ちょっとごめんなさい。重い話なるんですけど。ちょっと出ちゃったんですね。」
村田:「出るよ。おならくらい。」

偏屈で人にどう思われるかなんて気にしなさそうなキャラクターだからこそ、
家族の前でおならにまつわる失敗でトラウマを抱える事自体がおかしい、、、
どんなしょーもない失敗だろう、、、
……って思いません?

「ちょっとごめんなさい」
「ちょっと出ちゃったんですよね」
って、
小さい事を気にする風の演技が初期設定と異なるだけに、観客の思考を誘導する効果があると思います。

村田さんの「出るよ。おならくらい。」というセリフも、
気にする程ではない事を気にしているという方向に観客をミスリードします。

普通に、
「くだらないおならの失敗」を予想するんじゃないでしょうか。

久保田:「匂って、、、亡くなってしまいまして。。。」
村田:「どんだけ臭かったんや!尻から毒ガス出てるやん!」
久保田:「すいもせん。。。」
村田:「すいもせんって何やねん!しょーもない!」

「すいもせん」とか、
おならで死ぬって、
ボケのレベルは昭和のマンガか、小学生レベル

それが笑いになるのは、
初期設定の偏屈なキャラクターと、
「ごめんなさい」「ちょっと出ちゃったんですよね」というセリフで初期設定と異なる、おならを気にする風の人物像に、
観客の思考をミスリード出来ているから。

結果として提示されるのは、
「おならを気にする」話で想像させるレベルを超えているのは間違い無いですね。

「話の大きさ」と「くだらなさ」の両面で、
予想を超越しているでしょう。

< 基準 >:想定出来る失敗談かと思ったら
< ズレ >:想定外の失敗談
<ツッコミ>:「そんなんあるか!」

□□□□□□ドンッ!□□□□□□ 

石焼き芋の移動販売に憧れる村田さん。

村田:「い~し焼~き芋~♪お芋っ♪あったかいお芋、ホカホカ美味しい、アツアツの石で焼いた石焼き芋は如何ですか?」

このセリフの間、観客は何を考えるでしょう?

久保田さんはこの後どんなイチャモンつけるんだろうって思うじゃないですか。

このセリフのどこかの挙げ足を取るとか。

初期設定のキャラクターがあるからこそ、
予想させる訳ですね。

でも実際は、、、

久保田:「ドンッ!助けてくれぇー!
村田:「ひかれとるやないか!あんなゆっくり走った車にひかれとるやないか!」

観客の予想は裏切られたはずです。

更に、

村田:「ただでさえ、うちの会社車事故多いんやからね!」

今度は村田さんの方が予想外の毒を吐きます。

ツッコミの方がそれ言っちゃう?

< 基準 >:想定した展開かと思ったら
< ズレ >:想定外の展開
<ツッコミ>:「ひかれてるやん!」「ケチをつけるん違うんかい!」

□□□□□□怖い!□□□□□□

村田:「気持ちえぇから、やってみ。ストレス発散になるから。」

村田さんの指示に一旦は従う従順さを見せます。
しかし、、、

久保田:「あちゅあちゅの……」

久保田:「あちゅあちゅの芋で焼いて……」

久保田:「あちゅあちゅの陰毛……」

「言い間違い」自体はくだらないですね。

「熱々」を「あちゅあちゅ」って、
Mー1の決勝でやる「ボケ」ではないですよねぇ。

でも、「前振り」としては、
くだらないからこそ意味があります。


ベクトルの向きをイメージしてください。

偏屈で人を小バカにする初期設定のキャラクターは、自分を優位に置く上向きのベクトル。

しかし、
態度はデカイくせに簡単なセリフすら言えない事で、
ベクトルが下を向き、自分を劣位に置いてしまいます。

ここに笑いのフォーマットが存在するので、
一旦は、
観客も笑います。

< 基準 >:初期設定は偉そうな態度にも拘わらず
< ズレ >:偉そうな態度に反して簡単な事も出来ない
<ツッコミ>:「態度デカイのに出来てないやん!」

…とは言え、
これが面白いというより、
次につながる「前振り」の役割が大きい。

久保田:「うるせーな!俺が言った方が人集まるわ!」

劣位にある久保田さんがキレて、
たかが芋を売る事にどんな屁理屈をこねるのかと思ったら、、、

久保田:「聖なる石からご誕生された芋神様は如何ですか?芋を焼いたじゃない。焼かせていただいたんだ。私達は芋神様からいただいた幸福をつかむのです。さぁ、私達は革命の時代です!芋神様に感謝しましょう!全ては、アイ(I)エム(M)オー(O) 、IMO(芋)のように。『すいません!三年前に会った者です。あなたにいただいた芋がこんなに大きくなりました。今この芋は感情を持ちだしました。貴方に会える事を感謝します!』…善きに計らうがいい!」

たかが芋を売るのに、
神様が出てきたり、
「芋」を「IMO」とカッコつけて表現したり、
あり得ないエピソードをでっち上げたり、堂々と流暢に喋る姿はほとんどインチキ宗教の教祖。

一気に、ベクトルの向きが反転、急上昇するのを感じさせます。

しかも、
偏屈とか、屁理屈とかいうより、
異世界にトリップしているかのようで、
ディスコミュニケーションの極致。

落差も大きいですよね。

だからこそ実際のツッコミは、
ズレの内容より、ズレの大きさにフォーカスする、、、

村田:「怖いねん!

強気で偉そうな態度から(上向きのベクトル)、
セリフを言えない事で、一旦劣位に落としたうえで(下向きのベクトル)、
自信満々な態度で一気に優位に上げる(上向きのベクトル)。

一度落としてから上げる事で、
振り幅を大きく感じさせます。

劣位から優位への変化という意味ではベクトルの向きの変化と言えるし、
話の内容の異常さはベクトルの大きさと言えるでしょう。

どちらの意味でも、
初期設定のキャラクターを超えていると思います。

< 基準 >:まともに喋れない(劣位にある)と思ったら
< ズレ >:どうどうと喋る(優位にある)
<ツッコミ>:「急にどうどうとしてるやん!」

< 基準 >:少し変な奴かと思ったら
< ズレ >:めちゃくちゃ異常な奴だった
<ツッコミ>:「怖いわ!」

□□□□□□はっ?□□□□□□

村田:「全然出来へんやないか焼き芋屋さん!」
久保田:「漫才しか出来へんからな!」
村田:「もーえーわ!」

見事なまとめ方ですよね。

漫才の締めの言葉として完璧でしょう。

ここまで来るとキャラクター関係無く終わりと思うじゃないですか。

しかし、、、

村田:「もーえーわ!」
久保田:「え?フォーエバー??

これ内容的には、かなり強引な「聞き間違い」。

これ、面白いですか?

文字におこしてみると、本当にくだらないでしょう?

でも実際に笑いました。

それも、
「もう終わるんだ」と予想させる事に成功しているからです。

「思い込みの間違い」の効果の大きな笑いです。

< 基準 >:終わるかと思ったら
< ズレ >:終わらずボケた
<ツッコミ>:「永遠に続くんかい!」「ボケるんかい!」

更に一言、、、

久保田:「芋だけに、ゆきみずとれるあしたかな、、、」

……今、「どういう意味?」って考えたでしょう?

笑いだとするとどんな笑い?って考えるでしょう。

それ、何か意味があると「思い込」んでいるっていう事ですよね。

「思い込み」を持たされている証拠です。

実際は、

久保田:芋だけに、ゆきみずとれるあしたかな、、、はっ???

言った本人が「?」の何の意味も無い発言。

見事な「思い込みの間違い」を作っています。

< 基準 >:意味があるかと思ったら
< ズレ >:意味が無い
<ツッコミ>:「意味無いんかい!」「訳解らん事言うな!」「何でそんなん言うたんや!」

最後まで久保田さんに振り回される、とろサーモンの漫才でした。

□□□□□□まとめ□□□□□□

笑いに「思い込みの間違い」が必要不可欠という訳ではないと思います。

でも「思い込みの間違い」が成立させる事の効果が大きいのは間違い無いですね。

キャラクターを演じるのは、
「ボケ」の役割だけを考えるとマイナス面も大きいと思いますが、
上手く「思い込み」を作る「前振り」として使えれば、
そのプラスの効果は大きいと思います。


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