濱田祐太郎さんは「自虐」?
他の人の言動を笑ってるのに?
□□□□□□はじめに□□□□□□
『R-1ぐらんぷり2018』優勝の濱田祐太郎さん。
そのネタは、
「あるあるネタ」らしい特徴を備えていて「あるあるネタ」と受け取られる(←前号をご覧ください)と同時に、
「自虐ネタ」とも説明されます。
「自虐ネタ」は、
自らに関する「下方評価」を提示して笑いにするはず、、、
ところが濱田さんのネタの多くは、
形式的には、まわりの第三者のおかしな言動を提示して笑いにします。
先生の矛盾する発言とか、
友人の間の抜けた質問とか、
初対面の人のちょっとした勘違いとか。
濱田さん本人ではなく、
第三者の言動がディスコミュニケーション。
それなのに「自虐ネタ」?
□□□□□□受け取り方□□□□□□
濱田さんのネタで提示される第三者の言動は、
・学校に黒板がある
・白線に並ぶよう言われる
・修学旅行で先生から「札幌ドームにプロ野球を見に行きます!」と告げられる
・「ダーツした事ある?」と聞かれる
・「車運転するの?」と聞かれる
・「点字とか手話を覚えるの大変でしょう」と言われる
など、一見普通の言動。
この一見普通としか思えない言動をディスコミュニケーションにするのが、
濱田さんの普通の人と違う「受け取り方」です。
前号に書いた木村祐一さんや千原ジュニアさんは、
「受け取り方」が普通の人と違うという事そのもので笑いを作ります。
ただ、濱田さんの場合、
笑いのために故意にひねくれた「受け取り方」をするのではありません。
……その普通ではない「受け取り方」こそが、
濱田さんが先天性な視覚障害者であるがゆえの「受け取り方」。
濱田さんの場合、
その普通ではない「受け取り方」を示す事は、
視覚障害者である事にわざわざクローズアップする事になる訳です。
この「わざわざクローズアップする事」が、
「自虐」の笑いのディスコミュニケーションそのもの。
□□□□□□自虐□□□□□□
普通「自虐」とは、
自らの「下方評価」を提示して笑いを獲る事ですよね。
以前も引用しましたが、
例えば、
フットボールアワーの岩尾さん。
頭頂部を見せて、髪の毛の薄さで笑いを獲る事がありますね。
確かに、後藤さんの突っ込み、
「ハゲとるやないか!」は、
想定される平均的水準と異なる事を笑う「下方評価」の突っ込み。
< 基準 >:平均的水準と比較して
< ズレ >:劣っている自分
<ツッコミ>:「ハゲてるやん!」「太りすぎや!」「お前アホやろ!」
表面的には、
「自虐」は「下方評価」の笑い。
でも、私達は、
「頭髪の薄い事」を笑う訳ではないって思いません?
「頭髪の薄い事」が面白いんだったら、
街中歩けないし、満員電車乗れませんよね。
ずっと笑ってなきゃいけなくなる。
じゃあ、何が面白いかというと、
「突っ込まれるって解っているのに、わざわざ俯いて頭頂部を見せる」
という、その行動でしょう。
必要が無いのに、
わざわざ欠点をさらして、
自らを低く見せる事が、
ディスコミュニケーション。
< 基準 >:自らの欠点をさらす必要はないにも拘わらず
< ズレ >:自らの欠点をさらす言動
<ツッコミ>:「そんなん見せんでええねん!」「何、自分で言うとんねん!」
「ハゲてる事」を「笑われる」「下方評価」の笑いではなく、
「わざわざ頭頂部を見せるという非常識な言動」で「笑わせる」「ディスコミュニケーション」の笑い。
「自虐」の笑いには、
「下方評価」と「ディスコミュニケーション」の笑いがある訳ですが、
その本質は、
「ディスコミュニケーション」の方だと思います。
「ハゲ」と比較して恐縮ですが、
濱田さんのネタも同じ。
「視覚障害者である事」が面白い訳じゃないでしょう?
「視覚障害者である事にわざわざフォーカスする事」が面白いんですよね?
濱田さんの場合、
直接的には第三者の言動を提示して笑いにしているはずなのに、
実際は、
わざわざ視覚障害者である事に言及、クローズアップするという「ディスコミュニケーション」が、
「自虐」と同じな訳です。
□□□□□□阻害要因の排除□□□□□□
障害の場合、
「必要が無い」以上に、
より言及する事が躊躇われ、
「好ましくない」とか「してはいけない」とかの「禁忌」と受け取られるんじゃないでしょうか。
上記ディスコミュニケーションの笑いのフォーマットも、
より落差の大きい「禁忌の侵犯」にバージョンアップ。
< 基準 >:障害で笑いを作るのは好ましくないにも拘わらず(禁忌)
< ズレ >:障害で笑いを作る(侵犯)
<ツッコミ>:「そんなん笑いにすな!」
いけない事をやる面白さってありますよね。
こちらの方が、
「基準」と「ズレ」の「落差」が大きいと思います。
でも、だからといって、
笑いを獲り易いという訳ではありませんよね。
以前、自虐ネタを嫌いな人もいるという話の記事を書きました。
ましてや、
その自虐が障害である場合、
より避けられる傾向にあるのは間違いありません。
「禁忌の侵犯」は笑いのフォーマットにもなるけど、
同時に笑いの阻害要因にもなって、
笑いを躊躇させる事も多いでしょう。
その面からも、
濱田さんのネタは巧みだったと思います。
「ワイドナショー」(フジテレビ系)で松本人志さんは、
「全く気の毒な感じしない。それがきっと彼が優勝した要因なんだろうな。お客さんも気の毒な感じで一切見てないから。」
と、コメント。
だって…ねぇ、
提示しているのは第三者の言動で、
形式的には、
第三者の言動を笑っている訳ですからね。
それが、
禁忌の侵犯という阻害要因のハードルを、
下げる効果があったのではないかと思います。
「障害」で笑っているのではなく、
「第三者のおかしな言動」で笑っている、
と、
感じさせる事が出来ていますよね。
□□□□□□突っ込み……□□□□□□
さらには、、、
そんな第三者のおかしな言動に対する濱田さんの突っ込みが、
「二度見しましたからね、、、」
「耳疑いましたよ、、、」
今度は濱田さん自身が、
「突っ込み」で「ズレ」生成。
特にどうという事の無い突っ込みですよね、、、普通は。
もちろん、
視覚障害者だからこそ、
それが可笑しくなる。
< 基準 >:視覚が不自由にも拘わらず
< ズレ >:視覚で確認する
<ツッコミ>:「二度見する意味無いわ!」「見えへんのに?」
< 基準 >:視覚障害者は聴覚が頼りにも拘わらず
< ズレ >:視覚障害者が頼るべき聴覚を疑う
<ツッコミ>:「何を信用すんねん!」「視覚障害者が耳疑ったらダメやろ!」
実際、
「見えへんのに、、、」
「視覚障害者が耳疑う事ないですからね、、、」
……と、自身の突っ込みにあるズレの説明までしています。
これらも、
視覚障害者である事にフォーカスするのは同じ。
やっぱり、
この視覚障害者である事にフォーカスする突っ込みも、
あくまでも第三者の言動のディスコミュニケーションに対する突っ込みという前提があるからこそ、
より笑い易いように思います。
□□□□□□おわり□□□□□□
濱田さんのネタは、
シンプルな漫談に見えて、
「あるある」なのか「あるある」じゃないのか?
「自虐」なのか「自虐」じゃないのか?
第三者のディスコミュニケーションを笑うのか?
本人のディスコミュニケーションを笑うのか?
意外に複雑なネタです。
まとめると、
濱田さんのネタは、
「あるある」の「思い込みの間違い」と、
「自虐」「禁忌の侵犯」の「ディスコミュニケーション」、
それに加えて、
「禁忌の侵犯ゆえに存在する笑いの阻害要因」から眼を逸らす装置が特徴と言えると思います。。。
それにしても、
濱田さんの優勝には、
色々と考えさせられます。
フリップネタやコントは言うまでもなく、
音楽という聴覚情報がレゾンデートルであるはずのリズムネタですら、
そのほとんどのネタで視覚情報は不可欠。
「視覚情報」の「笑いの情報」に占める割合は、
ホントに高いですね。
「R-1ぐらんぷり」にしても、
一昨年のハリウッドザコシショウさんも、
昨年のアキラ100%さんも、
視覚情報が無ければ、
面白さは伝わりません。
生まれつき視覚障害者である濱田さんは、
聴覚情報、特にしゃべり、言葉で伝わる情報のみで、
笑いを楽しみ、
笑いを理解してきた訳でしょう。
それだけでも、
伝わる笑いはあるし、
トップに立つ事も出来る、、、
濱田さんの、
言葉のみで伝える笑いに期待しましょう。。。
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