かっちん夫婦とマミーの日々<第8話>・・・僕にもできるかも? | 義母と僕とリハビリ介護日記

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脳出血の後遺症で要介護4、一級障害者になった一人暮らしの義理の母マミー、娘夫婦と同居して厳しいリハビリを続けるか? 
それとものんびり施設入所をするのか?選んだ答えは「厳しいリハビリお願いします!」その日から涙を流してリハビリを頑張る
義母と僕の成長日記です。

義母の在宅生活に向け、リハビリを学ぶ-かっちん夫婦とマミーの日々<8>

脳出血を起こして重度の左片麻痺になってしまった義母“マミー”。退院後は娘夫婦が暮らす家で同居し、リハビリを頑張ることになった。マミーが在宅でリハビリをするためには、家族もその知識を身につけることが必要なわけで、マミーの入院するリハビリ病院に僕ら夫婦も頻繁に通うようになった。

[同居を希望するマミーのために、在宅でのリハビリを学ぶ]
リハビリ病院を退院した後の暮らしについて義母のマミーにどうしたいかを
聞いてみると、娘夫婦の家で一緒に暮らしながらリハビリを続けたいという。

その願いをかなえる為に、娘婿の僕は介護休暇(介護休業)を取ることが
必須となってしまった。

マミーが脳出血を起してから退院するまでの約5ヶ月間、妻のかっちんは
ほぼ毎日マミーのもとへ通っていた。

病院での滞在時間は昼の2時から面会時間の終わる夜8時まで。この間
マミーのリハビリを見学したり、ベッド上でもできるリハビリを作業療法士
さんに教えてもらって、マミーと一緒にやってみたりするなど、ずっと付き
っきりだった。

僕も仕事が終わるとなるべく病院に通った。

休みの日はかっちんと同じく、昼2時から夜8時まで病院で過ごすことが
日課となっていた。

そしてリハビリルームでやっているマミーの歩くリハビリ風景をしょっちゅう
見ていた。

[誰かのために、いつも忙しく動き回ってきたマミー]
まだ寝ているのか起きているのかわからないような傾眠状態なのに、理学
療法士さんに声をかけられると、熱心にリハビリに取り組んでいたマミー。

マミーはもともともすごい頑張り屋さんだった。

マージャン屋さんをやっていたマミーの旦那さん(父ちゃん)は、家にお金を
1円も入れてくれないという人だったので父ちゃんの分もマミーが頑張って
働いた。

朝から夜中まで必死に働いて子供達を育てあげたマミー。

60歳でそれまで務めていた会社を定年退職したマミーは、のんびりする間も
なく今度は末期の咽頭がんになってしまった父ちゃんの世話に明け暮れた。

3年後に父ちゃんが亡くなった後もやはり、のんびりする間もなく朝から近所
にある老人センターに通ったり、習い事だのボランティアだのに精を出したり
していた。

そして、そういう場で知り合った一人暮らしの高齢者の方に、手作りのおかず
を持って行ってあげたりしていた。

あまり体が丈夫ではない娘のかっちんにも、よくおかずを作って持ってきてく
れていたマミー。

「誰かの為に何かをしたい」

それがマミーという人だった。

そんな風にいつもバタバタと忙しくしているマミーのことを、近所の人はよく
こんな風に言っていた。

「あの人は、よく鍛えてはるから!!」

70歳を超えても、近所の人から「よく鍛えてはる」といわれていたマミー。
それを耳にした僕は一体マミーは毎日どんな事してたんだろう?と不思議に思
っていたものである。

そんなマミーだったから、このまま一生動けないなんて残酷すぎる、とかっち
んは泣いた。

[僕にもできるかも? リハビリ介助の知識をかじってみる]
マミーの病院通いを続けていく中で何時の頃からか、なんとなく僕にもマミー
のリハビリ介助ができそうな気がしてきた。

理由は分からないが、いつも見学しているとそんな気がしてきたのだ。
するとそれを見透かされたのか、ある日、妻のかっちんからこんな事を言わ
れた。

「なあ、こんなリハビリやったら、あんただってできるんと違うか?」

かっちんにそう言われたからか、それとも理学療法という行為に興味を持っ
たからなのかはよくわからない。

だけどとりあえず、リハビリに関する本を図書館で借りてきて、読んでみるこ
とにした。

その本の中で

「リハビリテーションとは、無くしてしまった能力の可能性を最大限に引き出す
事を目的として訓練をする事である」

という文面を見つけたときに、マミーの中の可能性を、僕が最大限に引き出し
てあげたいと思うようになった。

本を読むだけでは飽きたらなくなった僕は、実際にマミーのリハビリ介助を早
く実践したくなってきた。

そして、マミーがリハビリ病院に移って3ヶ月が過ぎた頃には、マミーを廊下
へ連れ出し、廊下の手すりを持たせて歩く練習をさせるようになった僕。

それを見ていた他の入院患者の男性が

「兄ちゃん、理学療法士か? ワシも歩かせてほしいわ!」

そんな事言ってくれるものだから、ますます調子に乗ってマミーのリハビリ
介助に励む僕だった。


(つづく)

マミーが脳出血を起こして回復期のリハビリ病院に入院していたのは5ヶ月。
その間、毎日1日3時間くらいのリハビリをやってもらっていたマミー。
(3ヶ月を過ぎた頃からリハビリの時間が減ったのだが・・・)

理学療法(基本動作・・・・・・・主に歩く練習)・・・1時間30分
作業療法(日常生活動作・・・整髪、食事を食べる等)・・・1時間30分

しかしそれだけリハビリをやってもらっても、我家のマミーの場合は高次脳
機能障害である左半側空間失認という、自分から見て左側の世界が認識
出来なくなってしまったが為に、バランスが取れなくて杖で歩くという練習は
ほとんど出来なかった。

なのでマミーがやっていたのは、いつも平行棒という体育の授業の時に使う
平均台のような物に手を添えて、理学療法士の介助の下(※動かない左足を
前に振り出してもらう)平行棒に右の腰をあててまっすぐに歩くという練習をし
ていた。

そういうのをマミーの面会に行くたびに見ていた僕は、なんとなくこれだったら
僕にも出来るんじゃないかな?と思うようになった。

なので夕方、仕事が終わった後にマミーの面会に行った時、マミーの夕食の
後とか、しょっちゅうマミーを廊下に連れ出して廊下の手すりを持たせて歩か
せていたものだ。

ある時なんかは、昼間にマミーが疲れていて歩くリハビリがあまり進まなかっ
た日があった。(※かっちん談) その時はいつもの理学療法の先生じゃなくて
違う先生だったんだけど、その先生が僕が仕事帰りに病院に寄ってマミーを
廊下で歩かせている姿を見て

「今日、昼間にあまり歩く練習出来なかったのでやらせて下さい!」

と言って僕と交代してくれた事があった。その病院のリハビリの時間はどんな
に遅くても夕方の5時30分頃までには終わる。

その時の時間は夕方の6時をとうに過ぎていた。

その事に間して後で妻のかっちんはこう言った。

「リハビリの先生、あんたがそんだけやってるんやから、自分もやらんとあかん
と思ったんやろな。」

先生の真偽の程は僕には分からない。分からないけど、もしかしたらそうだっ
たのかな?

マミーが脳出血を起こしてから今年で6年。

今も1年365日、毎日マミーと僕の歩くリハビリは続いています♪

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